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名酒に物語あり 幻の焼酎「百年の孤独」を巡るストーリー

朝ドラ「マッサン」にも描かれたように、名酒と呼ばれるものにはその作り手をはじめとした、さまざまな物語が隠れている。現在ではほぼ入手困難ともいわれる焼酎「百年の孤独」(黒木本店)にも、皇太子や中沢新一氏、ノーベル賞作家・ガルシア=マルケスらとのエピソードがあった。

更新日: 2019年05月18日

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aku1215さん

◇入手困難な焼酎の代表「百年の孤独」

数ある焼酎の中でも、百年の孤独という焼酎の知名度は、焼酎好きの間ではダントツ。長い年月を生産に要することから、生産量も非常に少なく、値が張るというプレミア焼酎と同じ特徴を持ちます。

皇太子様が媒酌してるっていう焼酎「百年の孤独」。人気が有りすぎて県内でも全然手に入らないんだよね。昔家にあったんだけど、結局飲みそびれちゃったし。飲んでみたいなぁ。

◇それは昨年亡くなったノーベル文学賞作家の代表作に由来する

百年の孤独は、厳選された大麦と手造りの麹を原料とする、本格派の麦焼酎です。名前の由来はコロンビア出身のノーベル賞作家、ガルシア=マルケスの小説からとられました。

瓶詰めされた百年の孤独のボトルのラベルの片隅に以下のような言葉が記されています。これは、ジャズ・ミュージシャンのエリック・ドルフィーの有名な言葉。

When you hear music , after it's over , it's gonein the air.
You can never capture it again.

『あなたが今、耳にした音楽は空中に消えて、再びそれを聞くことはできない。』

◇名付けたのは黒木本店社長の黒木敏之さん

1953年生まれ、62歳。立教大経済学部を1977年卒業後、株式会社ソニープラザ入社、1980年合資会社黒木本店入社、現在、株式会社黒木本店代表取締役、1996年より株式会社尾鈴山蒸留所代表取締役、2004年より農業生産法人甦る大地の会代表を兼務。高鍋商工会議所会頭。

「うちが小企業なのを幸いに、とことん僕の趣味でいくことにしたんです」。黒木敏之社長は立教大学でトロンボーンを吹き、脚本家を志したこともある。「焼酎もラテンアメリカも、文明に駆逐されていく運命が似てる気がして」、一九八二年十月二十一日にノーベル文学賞に決まったガルシア・マルケスの代表作を、商品名に頂戴した。

◇売れない焼酎メーカーの跡取りが東京から帰ってきた

第1次焼酎ブーム直前の1980年代初頭、26歳で東京の企業を辞めて帰ってきた。「父は『大変だから継がない方がいい』と言っていた。あのころはまだ、売れない焼酎メーカーだった」。

立教大学卒業後、輸入雑貨店に就職。その勤めを辞め、東京でシナリオライターを目指した。だが、いざ机に向かうとペンが進まず、1980年に帰郷した。帰郷の前にマルケスの「百年の孤独」を手にする。小説に影響を受けた映画で知ったのがきっかけだった。

◇挫折から腰を据えてじっくりと焼酎づくりをはじめた

まずは山芋で焼酎を造った。2年間は大ヒットしたが、その後全く売れなくなった。「これが売れなくなったおかげで、今度は麦焼酎を樫樽(かしだる)で貯蔵することを考え、百年の孤独が生まれた」。

「第1次焼酎ブームも終わったころだったのでじっくりじわじわ売っていこうと思っていた」。自分の焼酎に対する思いを伝える商品になることを常に考えながら、丁寧に造り、丁寧に売った。

◇「百年の孤独」の作者から許可を得て、コロンビアまでお礼に!

長期熟成のプレミアム焼酎を発売するにあたり、世界的な支持を得る超有名小説を商品名にしようと、日本の・・九州の・・宮崎の・・片田舎の・・酒蔵の社長が思い立ったこと自体に驚くが、不躾を承知でマルケス氏に直接電話を入れ熱心にくどき、商品名使用の許可を得るやいなや「直接本人にお礼を!」をと即コロンビアに飛び立った。

◇大ブレイクは思わぬところからやってきた

人気をさらに不動のものにした逸話がある。皇太子殿下のご成婚時にテレビ番組で「殿下のお気に入りのお酒」として紹介されたこと。一日中、電話が鳴りっぱなしだったという。

高鍋町出身の今井美樹さんが「笑っていいとも!のテレフォンショッキング」に出て、『皇太子様がこれで晩酌してる』と紹介し一躍全国に有名になりました。

◇インテリ社長の次の一手は中沢新一の著作名を付けた米焼酎だった

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