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mototchenさん

「戦前の日本軍や昭和後期のリンチ私的制裁」をトゥギャりました。 togetter.com/li/880364

食事

ラーゲリの食事再現。ノルマが達成出来なかった捕虜の100グラム黒パンとバランダ(水っぽいスープ)です。 pic.twitter.com/clHZyITetg

シベリア抑留日本人が石のような固いパンと称したのも、ロシアの日常で食べられているパンでした。食文化の違いが生んだとんでもない誤解です。

シベリヤ送りにされた関東軍将兵が、食料給与に関して、赤軍に体力維持のため、黒パン以外にも、米食をさせろと交渉した史実があり、どうも日本軍はこれにこだわるところがあるんですね。

当時、農民など普通のロシア人の日常の食事は、黒パン ジャガイモ 粥 程度だったそうです。

20 世紀初頭でも栄養状態に大きな変化は起きなかった。「ロシアの労働者は、カロリーバランスを主としてライ麦パン・ジャガイモ・キャベツで保持している」。大部分の農民の食事の状態も「やはりとても乏しいものであった」。

Population Change in Russia: Population Change in Russia: Population Change in Russia: Past, Present and Future Characteristics

黒パンについてもロシア人は白パンを尊ぶというような記述があるが、そうではない。ロシア人にとって黒パンは日本人の米のようなものである。多分フスマ入りパンと混同したのではないか?黒パンと言ってもライ麦100%の黒パンはボロヂンスキーぐらいで、一般に出回っているのは小麦粉が混ぜてある灰色パンсерый хлебである。黒パンだけだと消化が悪い(腹もちはいいが)ということらしい。それゆえ病人には白パンを出す。日本で言うお粥代わりである。

A・Sプーシキンは…コーカサスを訪れ、グルジア軍事道路の建設現場で働からされているトルコ人捕虜たちが、ロシアの酸味のある黒パンに辟易して故国のラバシ(丸い扁平の白パン、インドのナンに相似)を懐かしがって苦しがる様を観察する。
…数日後…プーシキン自身が…アルメニア…黒パンの無いラバシだけの生活…
「あのダリヤ渓谷でのトルコ人の捕虜たちの望郷の想いを掻き立てたラバシかい。僕ならトルコ兵があれだけ嫌がった黒パンのためなら大金を積んでも惜しくないというのに。」

出典旅行者の朝食 (文春文庫) 米原 万里 221-222 日の丸より日の丸弁当なのだ

トイレ

おどろいたことに、このラーゲリのトイレを、ソ連側もときどき私たちとおなじように使用したのである。私たちがやっている隣へひょいと来て下士官も兵隊も草色のズボンをおろし、シリを丸出しにしてやるわけである。
 彼らは紙は使わない。終わればズボンを上げてそのまま出て行ってしまう。もちろん手など洗わない

下の話のついでに言えば、ソ連兵はチリ紙を使用しなかった。それが彼らの習慣なのか、それとも当時の深刻な紙不足からきた生活の知恵なのかは聞きもらしたが、用便後さっと立ち上がってズボンをあげる。カンボイ(警備兵)はラーゲルの便所を使用するので、この光景にはしばしばおめにかかった。私の観察したところ、将校も中尉までは大体同様だった。食物の相違なのか、彼らのものは私たち日本人より硬いせいもあるが、それにしても不潔千万である。

当時のソ連人は全く紙を使わず、用をたしたらそのままズボンを上げて終了。手も洗わない。しかもパンツを履いていないので、ルパシカ(ロシアのシャツ)の下の端が黄ばんでいたという証言も。

日本人捕虜たちは、捕虜だから「落とし紙」すら配給しないのかと、ソ連の非人道ぶりと捕虜虐待に憤っていたらしい。ところが、実はそうではなく、ロシア兵そのものが、そんなもの使う習慣がなかったのだ

第二次大戦が終わった頃のロシアにはトイレットペーパーなるものが存在しなかったらしい。
ロシアに抑留されてた日本人捕虜が大勢証言しています。
捕虜収容所だからトイレットペーパーが無かったのか?
ところがロシアの捕虜収容所では捕虜も、ロシア人の兵隊も同じトイレを使ってた(それ自体が考えられないことですが)。

そのトイレにトイレットペーパーが無かったのです。
日本人捕虜は草を乾燥させたものや、衣服の切れ端をもってトイレに入っていたらしい。
これでお尻を拭くのです。
ぢゃあロシア人は?
拭かないんです。
ウ○コし終わったら、そのままズボンをあげてお終い。

しかもトイレには手洗いなるものも存在してなかった。
トイレを使った後は手を洗うのが当たり前の日本人の習慣がおかしいのか?
だからロシア人のパンツは・・・で汚れていました。
同じ日本人捕虜で、ロシア兵のパンツを洗う係りをしていた人の証言では、何十枚もの汚れたパンツを1枚1枚洗うのはカナワンとドラム缶にお湯ためて、煮沸したと云ってます。
それを見ていたロシア人に、これはいいアイディアだと褒められたと云います…

第二次大戦でロシアが樺太に攻め込む前、樺太の新聞社に勤めていた日本人の証言。
ここにはロシア人のスタッフも数十人勤めていました。
ここの社員用トイレの板壁、至る所に指でこすりつけたウ○コがぬったくってあったのです。
ちゃんとした新聞社ですから、紙は置いてあったのですが、習慣と云うのは恐ろしい。
日本人スタッフはこの行為に辟易して、ほどなく会社のトイレを使わなくなりました。
たまりかねて会社の集会で善処をお願いしたところ、ようやくこの行為は治まったとか。
この話には後日談があります。
ロシア人から「社屋のまわりに、立ち小便の跡がたくさんあります。これは日本人のみなさんがした汚い行為です。たいへん下品なことです。善処してください」
当時の日本人の男は、ところかまわず立ち小便をする習慣がありましたが、北国の生活に長い伝統を持つロシア人にはガマンできぬことだったのです。

「私はこれまでの人生で日本の山や梅の充分にヤル気に満ちた赤裸々便所をはじめとして世界のかなりのさまざまな荒くれ便所をを見てきたのだが、そのレストランの便所は過去私が見てきたいかなる凶悪型の汚れ便所よりも汚かった。堂々と果てしなく圧倒的決定的に汚なかった。
どう汚かったか、筆舌に尽くしがたいとはこのことで、いくら微細詳細に文字に書いてもその時の迫力と壮絶さは百分の一も伝わらないとは思うものの、せめてそのほんの一部でもつたえたいという思いを込めて何とかわずかでもここに書き記しておきたい。
真ん中にしゃがみ式の便器があった。問題はそこに点在し堆積するおびただしい糞の山であった。
あるものは暗黒色にひからびて固まり、あるものは円形状にだらしなく広がり、あるものは暗赤茶緑オウド色といったあんばいのまことに複雑な色配合混濁ぶりををみせて横たわり、またあるものは灰色にくるまって大地の上からぐいんとその半分ほどをつきだして、虚空に身をよじっている。
「うう、うう」と私はしばしおのれの次なる動きを忘れて低くうなった。…」

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