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KatesHeroさん

板垣征四郎

陸軍大将、陸軍大臣。陸軍士官学校、陸軍大学校卒業。作戦参謀石原莞爾(いしわらかんじ)とともに1931年(昭和6)満州事変を引き起こし、「満州国」創設後は満州国軍政部最高顧問、関東軍参謀長、師団長を歴任した。この間、「満州国」を「五族協和」「王道楽土」にすると主張した極東国際軍事裁判でA級戦犯として、1948年(昭和23)12月23日絞首刑に処せられた。

「戦争に対する共通の計画謀議、米・英・蘭に対する大東亜戦争の遂行、他に中国・ソ連・シンガポールにおける罪」で絞首刑。

辞世の句

「ポツダムの宣のまにまにとこしえの 平和のために命捧ぐる」

「とこしえの平和のために身を捨てて 糞土を黄金にかえる嬉しさ」

「大神の御魂の前にひれふして ひたすら深き罪を乞うなり」

「今はただ妙法蓮華と唱えつつ 鷲の峰へといさみたつなり」

「さすらいの身の浮き雲も散りはてて 真如の月を仰ぐうれしさ」

「懐かしき唐国人よ今もなほ 東亜のほかに東亜あるべき」

満州帝国

石原莞爾らと謀り柳条湖事件を起こし、これを奇貨として満州事変を実行した。

「将来の世界は、大国だけが存在し、他の小国は経済的に従属の地位に落とされる。確実な資源の供給地と、製品の販路を持たない国は、経済的に独立することができない。日本が満州を失えば、重工業の基礎は破滅だ。満州は戦略的拠点だ。現在の情勢では、日ソ戦争は北満で起きる。大日本建国には満州は絶対に必要な戦略拠点だ。」と語っている。

「満州帝国は治安ますます良好で、庶政は発展している。満洲国は日、鮮、満、漢、蒙の五族協和の国だ。満州三千余万の人口中、日本人は僅か五十万人である。これでは心細い。二十年間、百万戸、五百万人の日本移民が実現されなければならない。」と述べ、関東軍主導による満州農業移民百万戸移住計画を推し進めた。

数々の工作

内モンゴル独立運動の指導者、デムチュクドンロブ(徳王)を支援して、関東軍参謀長の機密費の流用や冀東防共自治政府による特殊貿易の収入を充てるなどの援助により蒙古軍政府を組織させ、綏遠事件を起こした。

熱河作戦では天津特務機関長となり、反蒋介石勢力によるクーデターを起こさせる「北支親日政権」樹立のための調略活動に従事していたがこれに失敗、ヨーロッパ出張を命じられる。

「桐工作」では「蒋介石の下野」でなく蒙疆・華北への防共駐屯を求めたり、日本側は汪精衛・蒋介石政府の合作を日本が仲介する事で蒋介石・汪精衛・板垣征四郎の会談を要求したが、実現しなかった。板垣は一度は敵対していた蒋介石と和睦を考えたのである。

張鼓峰事件では板垣は閑院宮参謀総長と共に昭和天皇に対し武力行使の裁可を求めた。天皇が「関係大臣との連絡はどうか」と問うと板垣は、宇垣一成外相も米内光政海相も賛成であると答えた。しかし二人とも反対であると知っていた天皇は「自分をだますのか」と怒り、更に柳条湖事件などの陸軍の独断専行に不信を抱いていた天皇は「今後は朕の命令なくして一兵とも動かすことはならん」と、板垣達を叱責した。

ノモンハン事件では参謀本部の不拡大方針を無視した関東軍参謀の辻政信の独走を「まあいいじゃないか」と黙認した。

朝鮮軍司令官となってからも東亜連盟運動に関与しており朝鮮の活動家青年達とも接触を持ったが、司令官としては朝鮮総督の小磯国昭や朝鮮総督府政務総監らと共調した内鮮一体の植民政策を押し進めた。

豪胆な性格

「今次の世界大戦が起きる前に、世界最終戦ということを一部で唱えた。今から二十年以内に世界最終戦がある。日本はその時に備えて準備しなければならない。その戦争後に最後の平和が来る。それに準備しなければならない。私どもはそれに全力を尽くした。意に反して支那事変が起きた。たいへんと思って早く収拾しようとした。私は陸軍省にいた時だから、全力を尽くしたができなかった。世界大戦となり、日本は最終戦の戦力を失ってしまった。」とも語っている。

「自分のようなものが、この糞土の身を変えて黄金の身とさせてもらえるということは、実に幸福である。ポツダム宣言を実行されて、自分が永久平和の基礎となるならば、非常に幸いであり喜びである」と述べたという。

満州で最後まで抵抗する馬占山軍閥に会見したいと申込んだ際、「面会は謝絶する。万一来られても生命の安全については保証できない」との返事が返ってきました。
しかし、板垣は「それで臆しているようでは帝国軍人の看板を下ろさなければなりません。行きましょう」といって、馬占山に面会に行き、ハルビンの張景恵(後の満州国総理)と協力する約束を取り付ける。

阿波丸事件

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