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【高橋是清】安倍総理も参考にしている、1930年代に日本をデフレから脱却させた高橋是清についてまとめ

安倍総理も参考にしている、1930年代に日本をデフレから脱却させた高橋是清についてまとめ。財政の天才といわれた

更新日: 2015年08月22日

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hcheckinさん

▼高橋是清は、日本のケインズといわれた

▼米国留学時代は手違いで奴隷に売られてしまう

▼米国より帰国後は、英語教師をした後、農商務省の官吏となって特許局長にまで昇進

▼南米に渡り、ペルーで銀山開発に取り組んだが、失敗

▼日本銀行入行。副総裁の時、日露戦争の戦費調達に成功(外債募集)。その後総裁に就任

▼財政の天才といわれ、7度大蔵大臣に就任

▼第20代総理大臣

▼1930年代に世界恐慌の影響で日本がデフレ不況に陥ったときには、ケインズの登場よりも早く、ケインズ政策的な内容(いわゆる積極財政)を行い、デフレから脱却させた。

▼デフレ脱却後の急激なインフレを避けるために軍事予算を削減しようと試みるも、軍部の反発を買い、昭和11年「2・26事件」で、陸軍青年将校の凶弾に倒れた

高橋 是清(たかはし これきよ、1854年9月19日〈嘉永7年閏7月27日〉 - 1936年〈昭和11年〉2月26日)は、日本の幕末の武士(仙台藩士)、明治、大正、昭和時代初期の官僚、政治家。立憲政友会第4代総裁。第20代内閣総理大臣(在任 : 1921年〈大正10年〉11月13日 - 1922年〈大正11年〉6月12日)。栄典は大勲位子爵。幼名は和喜次(わきじ)。財政家として知られているため総理大臣としてよりも大蔵大臣としての評価の方が高い

日本銀行第7代総裁:高橋是清(たかはしこれきよ)
高橋是清
就任明治44年6月1日
退任大正2年2月20日
出身地東京都

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