1. まとめトップ

この記事は私がまとめました

daiba49さん

アメリカの原爆投下は、広島、長崎が最後ではなく、始まりだった、という史実だ。
 なぜトルーマン米大統領は一般市民が多数いる大都市に、無警告で、原爆を投下する事を最終決定したのか。
 それはソ連に対して「核兵器開発を断念させる」ため、「目にもの見せる」ためだ。
 決して、「終戦を早める」ためでも「真珠湾でだまし討ちした日本に罰を与える」ためでもなかったのだ。

 驚くべき事に、米国は広島・長崎原爆投下の後に、ソ連と満州主要都市を壊滅する計画を考えていたのだ。しかし、そのために必要な核爆弾の製造が間に合わなかった。
 その間に、ソ連はスパイ戦で勝利し、米国の計画を察知して核兵器の開発を急ぎ、米国が核兵器を実戦配備する前に原爆実験に成功したのだ。
 まさしく、広島・長崎の原爆投下は、今日の米・ロ・中の核大国のせめぎ合いの始まりだったのだ。

 唯一の被爆国である日本は、それから74年経った今、日米安保体制の下で米国の核の傘に守られ、ロシア、中国と戦う国に完全に組み込まれてしまった。

そして、いまロシアも中国も、これまで以上に米国との核戦争に対抗できる国になり、日本への米国の核配備に反対している。
 74年前には考えられなかった破滅的な核軍拡競争が始まろうとしている。
 いまこそ日本は、唯一の原爆投下国と唯一の被爆国が同盟関係にあるという、日米安保体制の矛盾に気づくべきだ。

陸軍と海軍の専横があった政治の決定に対して、日本人の全員が賛成していたわけではない。陸軍と海軍の対立は、関東軍が政治の同意なしに中国領の拡大を試みた原因の一つである。それを解体したアメリカの決定は、日本政府によって評価されている。

1