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(゚д゚)意外といた!戦国時代の女性武将まとめ

戦国時代に女性武将として戦場に出た人物のまとめです。2017年大河ドラマの「井伊直虎」、のぼうの城で有名となった「成田甲斐」など。

更新日: 2015年08月29日

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sasanamiさん

2017年の大河ドラマが「井伊直虎」をテーマにしたものに決まりました。
井伊直虎は当時としては珍しい女性武将です。

戦国時代に女性武将がいることに驚き、知って調べてみたら結構いたのでまとめてみました。

◆井伊直虎

井伊直虎は強そうな名前だが、れっきとした女性であることが記された、戦国には珍しい女性武将だ。直虎は、遠江井伊谷(現在の静岡県・浜松市)の当主。

父や従兄弟が相次いで跡継ぎができないまま亡くなったため、女性の身でありながら当主を継ぐ。その後、徳川家康に仕え、乱世から井伊家を守り抜いた人物だ。

◆成田甲斐(甲斐姫)

忍城(現在の埼玉県行田市)城主・成田氏長の長女で、東国随一の美女と言われ、兵法・武芸に秀でた姫君とされる。

小田原征伐の際、父・氏長が小田原城に詰めたため留守となった忍城を一族郎党と共に預かり、豊臣軍が城に侵攻した際には武勇を発揮して城を守りぬいたと伝えられている。

甲斐姫はその容姿から「東国無双の美人」と評されたが、武芸や軍事に明るかったことから、「男子であれば、成田家を中興させて天下に名を成す人物になっていた」とも評された。

◆立花誾千代(たちばな ぎんちよ)

立花誾千代(たちばな ぎんちよ)とは、立花宗茂の正室であり7歳にして城主となった女性である。

豊臣秀吉の命により宗茂が柳川城へ移ると、立花山城の明け渡しに反対して別居。関ヶ原の戦いの際には、鎮西に撤退してきた宗茂を出迎えた。 宗茂が改易された2年後にこの世を去った。

関ヶ原で敗北した時には、甲冑を着込み自ら出陣し敵軍を威嚇したとも伝わっている。

◆義姫

義姫(よしひめ 1548年~1623年)とは、最上義光最愛の妹であり、二度も戦場へ参じた鬼姫であり、仁愛が後世誤解された鬼姫であり、伊達輝宗の妻であり、伊達政宗の母である。

義姫はその激しい気性と体格から「男勝り」であったようだ。女ではなく男であったら兄義光の右腕か家督を争うほどの名将になったかもしれない。

家督相続で揉める父義守と兄義光を抜いた刀で脅して相続権を決めたといった伝承も残る。大崎合戦では兄義光と子の伊達政宗の陣の間に輿で乗りつけ合戦を止めさせた。

◆小松殿(稲姫)

徳川四天王の一人で、猛将として知られる本多忠勝の長女。幼少期は於子美(おねみ)於小亥(おねい)、稲姫。後に小松殿と呼ばれています。信之の妻小松殿は昨今ではコミックの影響で「鬼嫁」として知られているようです。

本多忠勝の娘、真田信之の妻。孫に会いに来た真田昌幸を「今は敵味方だから」と追い返すものの、近くの寺で面会を許した。鎧をまとった肖像画が残る。

しかし一説には、野営している父を訪れて丁寧に饗応したとも言われており、心配りもまた細やかな女性であった。

◆妙林尼

吉岡妙林とも呼ばれています。史料がほとんど残っていないそうです。鶴崎城主だった夫が戦死したために出家しました。

後から追いかけてくるはずの妙林尼一行を待ちながら千鳥足でゆっくり撤退する島津軍に乙津川辺りで奇襲攻撃を仕掛け、白浜重政、伊集院久宣ら大勢を討ち取った。

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