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斎藤環さんのツイート

曽野綾子氏、またしても安定の老害ぶり:岩手県矢巾町・中2いじめ自殺事件、文部科学省(週刊ポスト(2015/09/18), 頁:68)からの引用「自殺した被害者は、同級生に暗い記憶を残したという点で、彼自身がいじめる側にも立ってしまったのである」。貴方こそ「分際」をふまえては如何?

このツイートへの反応など

曽野綾子の発言が暗い記憶を残したという点で、曽野綾子自身がいじめる側にも立ってしまったのである。

@pentaxxx @638732 これは自殺した人を責める意見なんですね。 ひどいじゃありませんか。

「いろいろと厄介だから、自殺はよしましょう」てな文脈の話かもしらんけど、それにしても、もう少し配慮ってもんがないとイカンよねえ。 twitter.com/pentaxxx/statu…

…いやちょっと何いってっか解んないっすけども… >RT 曽野綾子「自殺した被害者は、同級生に暗い記憶を残したという点で、彼自身がいじめる側にも立ってしまったのである」。

希代の大馬鹿・曽野綾子。石原もそうだが、極右ファシストはいつも強いものの味方、弱いものの敵だな。害悪以外の何者でもない。 twitter.com/pentaxxx/statu…

曽野綾子に限らず「他人が言わない事を言ってやったぜ」という芸風の「書き物芸人」って多い…。 「新たな視点」を提供しているつもりかしら? でも個人で発信できる現代社会でそんな事は無理w また言わない人には「言わない理由」があるしwww twitter.com/pentaxxx/statu…

曽野綾子氏がなんで支持を得るのか問題。新刊とおぼしき本、近所のメガ書店でも面陳だもんなぁ。誰が読んでるんだろう……。

いじめ自殺に関する曽野綾子氏の文章が話題になっていますが、「たまたま運が悪く自殺されただけ。いじめなんかいくらでもあるのに、どうして私だけがこんな目にあうのか」みたいなのは、多くのいじめ加害者に共通する心理だと思う。「他の国もやってたのにどうして日本だけ〜」みたいなのと似ている。

加害者の側が被害感情を募らせて、被害を告発する行為に対する一種の憎悪感情を表明しつつ、あたかも自分は同種の被害感情を抱くその他大勢の、マジョリティとしての加害者の意識を代弁しているかのように振る舞い、自分自身の加害者性を希釈するというような話法は、いたるところに見られる。

いじめ自殺の後、この曾野綾子氏のような感情の論理が、地元住民の主流派のようになってしまうことの方が多い。曾野氏はこのような大衆の原像を露骨な言葉にする.ご本人もそのような人物の一人なのだろうが。@pentaxxx

実際には少数であっても「みんな」であると脅威を感じさせやすいので、いつのまにか多数派から多数派と思われてしまう。するといつのまにか、本当に多数派になってしまう。学校の民兵のような立場の保護者グループは、多数派工作で優勢になりやすい。これも学校が及ぼす有害作用@pentaxxx

いじめ自殺後に、自分たちの生活が動揺させられたと、被害者遺族を憎み孤立させて団結する学校側・保護者たちの現実感覚、秩序感覚を一言で表した表現だと思います。このようなタイプの大衆の代表として、曾野氏も自信満々で発言しているようです@pentaxxx

曾野綾子先生の話は全部社会論でなく「寓話」で、アパルトヘイトにせよいじめ自殺にせよ彼女の視線に沿って彼女の言いたいことだけを慮って行くと彼女の作家的テーマ「人間の罪深さとその自覚」が出てくるんだけど、頼むから小説でやれと。複雑な現実社会と生きた人間を内面の寓話の指人形に使うなと

『週刊ポスト』で曽野綾子の文章を読んだ。最後に書いてある珍説ばかり話題になってるが、いじめアンケートで回答があった項目を列挙して「これくらいのことは昔からいくらでもあった」と切り捨てていることも問題のような気が。

曽野綾子の言ってる「自殺した被害者は、同級生に暗い記憶を残したという点で、いじめる側にも立った」ってツイッター上で「差別者への差別だ!」とか言ってる人達とすごい相性いいじゃないですか。「被害者の仮面を被った自分への反応には敏感な加害者」以外の何者でもないですけど。

曽野綾子氏はエッセイのなかで、いじめは人類が始まった時からあり、これからもあるもので、なくすことはできないと述べている。

「いじめをなくそうとなどということは、できることではない。個人的に人をいじめないことは今日からでも可能だ。しかし社会的にこれを防ぐ方法などない。 」

曽野氏は、教育再生実行会議のスタート時の委員だったけれども、いじめは制度でなくせるものではないと思っていたので、委員を辞任したとも書いている。

だったら、個人的な道徳よりも制度が、いじめをなくすために重要だ、ということになるはずだが、曽野綾子氏には、いじめを社会的に解決するという考えは薄そうである。かわりにいじめられる側に「強さ」を求める。

「(前略)私はこれくらいのことは、昔からいくらでもあったと思うし、私の身近にいる人たちに聞いても、たいていの子供が体験し、時には泣いたりもしたが、それに抵抗して生きてきたものばかりだ。

 食事中に教科書を投げつけられれば、汁がこぼれて教科書が汚れるだろう。しかしたかが教科書だ。机に頭を押さえつけられるのは屈辱だが、その場合は手を振り回して、できれば相手の顔をひっかいてやればいい。(後略) 」

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hiraoyogiさん