1. まとめトップ

【ナポレオンの敗因】戦争における補給の歴史と勝敗の鍵

華やかな戦術や戦略の裏方、補給。その補給がどのように始まり、どう重視されるようになったのかを簡単に、ヨーロッパ史をもとに解説。補給線、補給戦。

更新日: 2015年12月27日

1 お気に入り 2651 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

cobaltblueさん

補給とは?

足りなくなった分を補うこと。「ガソリンを―する」「栄養―」

ほきゅうせん【補給線】
前線と後方の兵站(へいたん)基地とを結ぶ、兵員・弾薬・食糧などの補給のための交通路。

ほきゅうきち【補給基地】
物資を補給する根拠地。

戦争に必要な物資を運んだり貯蔵したりすることです。
いくら強い兵士がたくさんいても、食べ物や弾薬がなかったらまともに戦えません。戦闘や戦術を支える地味だけど、大事な役割です。

補給線の登場前 ~16世紀ごろ

現地調達が基本。いわゆる略奪。
まだ運搬手段が馬車か船しかなかったため、一度に大量に物資を供給できなかった。

結果、戦場が流動的になり、軍隊の後ろに武器商人、食料商人、パン焼き屋、娼婦が列をなしてあとをついていくことになった。

調達は相手国の領地にある町や村の食料を供出させること。蓄えている小麦でパンを大量に焼いて、兵士たちの食料をまかない、宿も提供。
そうしないと殺されるから、仕方なかった。

蓄えていた食料を敵軍に供給したことで、冬に餓死する村人もたくさんいた。

兵站の登場 17~18世紀ごろ

宗教派閥の対立で始まった戦争は、30年も続き、ドイツの地を荒廃させた。
村も町も人も失ってしまえば、供給される物資を生み出す者がいなくなるし、飢餓に苦しむ。

それを教訓にし、兵站が発明された。

絶対王制時代の代表的な戦争-プロシアのフリードリッヒ大王の制限戦争(持久戦争)
 高額な常備軍、移動、駐留の莫大なコストの為、制限された政治目標の達成以上の戦闘を行わず。

兵站の登場により、制限戦争へと戦術が変化した。限られた物資と兵士で戦うのである。
敵が兵站を経由してルートを決めるのを利用し、フリードリヒ大王は戦略を練ったことで、不利といわれた戦いに勝利したといわれる。

戦争で移動する中途に武器、飼葉の食料庫を作っておき、補給をする――はずが、途中で足りなくなってしまい、また現地調達という名の略奪が多かったという。

予め進路を決めておいても、順調に自軍がルートを通過するとは限らないのも原因だった。

あと、冬の荒れ地では補給がままならないのもあり、季節を考慮しながらルートを決める必要があった。
そうすると予定どおり行軍できないため、現地調達することになる。

ナポレオンの登場 18世紀末~19世紀初頭

兵站を使った制限戦争だと、軍隊の機動力が堕ちるのを嫌ったナポレオンは、昔のように現地調達を補給の手段にした。

迅速な戦術で勝利を重ね、ついに天下をとったナポレオンは皇帝に即位した。

補給を考えてロシア遠征したものの、冬になると現地調達がままならなくなり、ナポレオンは敗退。
道がぬかるみ、馬車が使えず、うまく調達ができなかったため。

冬が来るまでは、順調に勝利していたが、さすがのナポレオンもロシアの厳しい寒さには勝てなかった。

19世紀 普仏戦争

鉄道が登場したことで、補給手段もがらりとかわった。
大量に早く物資だけでなく、兵士を輸送することができるのを、いち早く着目したのがプロイセン(現ドイツ)。

モルトケが鉄道を使った戦略で、フランスに大勝利を治めた……といわれている。

しかし実際は、鉄道も計画されていたほど有効ではなかった。
敵兵が線路を爆破してしまえば、輸送がストップするからである。
大量に輸送しようと、列車を無計画に運行させたため、渋滞になることも多かった。

最終的には、駅から馬車を使って運ばなくてはならず、まだまだ実用的とはいえなかった。

第一次世界大戦

http://www.thelocal.de/galleries/1/the-first-world-war-in-colour-photos/2

19世紀より規模が大きくなったものの、駅まで鉄道、その後馬車が主流だった。

やはりゲリラ戦がネックとなり、補給を絶たれたドイツ軍は戦争に負けた。

第二次世界大戦

馬車の代わりにトラックとジープが補給手段となる。

しかし車を動かすガソリンや、タイヤの材料であるゴム等が不足したことで、ドイツ軍は補給を絶たれ、戦況が不利になった。

アフリカへ進軍したロンメルは、暑さでトラックが故障したり、食用が腐ってしまい、補給が難しくなったことが敗因といわれている。

名将といえども、補給を絶たれてしまえば勝利が厳しくなる。

1