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この記事は私がまとめました

daiba49さん

一向一揆と呼ばれる戦争が信長と本願寺との間で闘われた。この戦争は勅命講和(天皇の命令による講和)によって終結し、「転向」した本願寺は大阪から退去した。だが、講和に反対する門徒は多かった。  

信長の後を継いだ秀吉は、1585年、一揆を継続して太田城に立て籠もる門徒衆を水攻めにし、生き残った人々を「穢多」身分とし、その子孫を代々部落寺院に管理させた。これ以前に部落寺院はなく、壬申戸籍にもつながる宗門人別改帳もない。  

天皇の命令に抗う人々を子々孫々まで「人間外の人間」とする。それが被差別部落を成立させた論理であり、「国体」としての天皇制を今日まで維持してきた論理である

「血のケガレ」という一種の宗教的意識と見る。動物屠殺を生業とする人には血のケガレがとりついているとする人々の意識自体が部落差別を支えてきたとする。

では何故この「血のケガレ」説が一般に広がらず政治起源説がはびこっているのだろうか。井沢もここには書いていないが私の考えは以下の通り。
政治起源説はマルクス主義史学の強い影響下に生まれた。マルクス主義史学では権力は常に悪であり、人民は常に善でなければならない、このような不合理な差別を善良なる人民がするはずがない。これはきっと権力の狡猾な企みに違いない。
という次第であるからマルクス主義史学では人民自身がこの差別を支えたとなると具合が悪いことになる。

井沢はこの続きで日本教は二つからなる、一つは「ケガレ」もう一つは「和」とする説を展開する。日本人が独裁者を嫌うのは「和をもって尊しとなす」思想が「ケガレ」意識と共に無意識下にあるためだとする。この問題も非常におもしろいテーマではあるが別の機会に譲ることにする。

大学の講義で現代の部落問題について話すと、「まだ差別がなくなっていないことに驚いた」、「昔の話だと思っていた」、「もう差別などないと思う」、「高齢者は差別するかもしれないけど若い世代は差別しない」といった反応がある。また、部落問題を知らなかったという学生や、耳にしたことはあるが学校で習った経験は一度もないという学生は、クラスの中の一定の割合を占めている。 一方、少数ではあるが、小・中・高で日常的に.

朝日新聞出版は「出自を根拠に人格を否定する誤ったものでした。橋下市長に多大な精神的苦痛を与えた」とし、佐野氏は「理不尽な差別にいまなお怯えて暮らしている被差別部落出身者のことを思えば、反省しても反省したりない」と述べている。

だが、問題は残っている。橋下氏の場合は、『週刊朝日』側が謝罪する姿がテレビなどで公表され、損害賠償を求める裁判に訴えて和解金を得た。

一方、今回の記事によって「DNAをさかのぼる」「本性をあぶり出す」など憎悪に満ちた言葉によって、自分たちの身元も明かされるのではないかと恐怖に感じた被差別部落の人たちに対しては、公式の謝罪は一切なく、心を傷つけたことへの償いはなされていない(詳報は本誌14年8月8日号で筆者が記した「『週刊朝日』差別報道問題は終わったのか 果たされていない被害当事者への謝罪と責任」を参照)。ヘイト・スピーチと同様、不特定多数の差別被害者が救済される法制度がないことがネックになっている。

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