日本は軍艦建造に、国家予算の1/3を使っていた。 軍縮が懸案となっていた。 大正11(1922)年のワシントン軍縮会議、昭和5(1930) 年のロンドン軍縮会議から太平洋戦争開戦への道のりで、海軍部内で激しい派閥抗争が展開される。堀悌吉は随員として、ワシントン軍縮会議では加藤友三郎全権(海相・大将)を補佐した…

 軍務局長だった堀悌吉は、英米に対しては不戦協調が望ましいという意見を持ち、 会議を成立させるべきという立場で次官の山梨勝之進を補佐した(条約派)。
 結局は日米の妥協が成立…

ロンドン海軍軍縮条約に調印した。
 この条約は海軍内部に大きな亀裂を生んだ。 艦隊派が台頭する海軍内で堀の立場は弱くなり、海軍中央から遠ざけられることになった

出典海軍軍縮会議と堀悌吉、艦隊派対条約派: 轟亭の小人閑居日記    馬場紘二

前へ 次へ