大正15年・昭和元年である。昭和に入って三度も大命降下(天皇から組閣を命令される)のあった宇垣一成(うがきかずしげ)が陸軍大臣で行ったのはいわゆる「宇垣軍縮」と言われる軍人の大量解雇だった。人件費を減らし兵器を近代化するのが本心だったようだ。日米開戦前の「アメリカ憎し」と同じで、世相は軍縮ムードだった。関東大震災にも見舞われて、大日本帝国と云いながら国の経済が下り坂だったからかも知れない。宇垣軍縮の恨みは、軍部に根強く敗戦まで付きまとう。

大正時代から昭和初期「原敬」「浜口雄幸」「犬養毅」「高橋是清」「斎藤実」の5人のその時の現職、或いは元総理大臣が暗殺されて命を落とす。更に軍部に拒否されて総理大臣になれなかったのが宇垣一成、昭和10年、暗殺された永田鉄山も陸軍では、世界を見渡せる優れた軍人であり、共通するのは“軍縮”である。どの昭和史の書だか忘れたが、この軍縮で軍人の仕事を奪われて失業したことが軍部の底流にあった。その不満を吸収したのが“統帥権干犯問題”である。

出典日米開戦への道1

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