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2015年マウンドに戻ってきたフェニックス

2015年7月11日、対DeNA戦にて勝利投手となり、じつに1019日ぶりとなる復活白星をあげた。

3度のトミー・ジョン手術に肩関節、股関節などの7度の手術を乗り越えての復活マウンド。
館山の右肘など全身にはおよそ150針の傷跡を残している。

「館山昌平」とは

「松坂世代」の一人。
高校時代は日大藤沢高に在学し、横浜高の松坂大輔と度々投げあいを演じた。

出典laughy.jp

館山と投げ合った横浜高・松坂大輔

1997年秋の神奈川県大会決勝では0-9で横浜高校相手に敗退。
関東大会決勝で再び横浜高校の松坂と対戦し、延長10回まで投げ抜いて、0-1で敗戦投手となった。

1998年、春のセンバツに出場、準決勝で久保康友のいた関大一高と対戦し、6回から3回無失点の好リリーフを見せるも3-5で敗戦。
同年春の関東大会決勝で三度横浜高の松坂と投げ合い、延長13回150球超を投げながらも、0-1で敗戦投手となった。

夏の県大会はベスト4どまりで、夏の甲子園出場は叶わなかった。
結局、甲子園は1998年選抜のみだった。

高校卒業後は、東都の日本大学に進学。
リーグ戦通算36試合に登板し8勝6敗、防御率2.24。同期に村田修一、堤内健、大野隆治がいる。

2001年の3年時には、春季リーグ戦でエースとして活躍しチーム17季ぶりの優勝に貢献。
日本代表にも選ばれ、ワールドカップに出場。
そして、2002年にドラフト3巡目でヤクルトに指名され入団。

最初のトミー・ジョン手術

2004年キャンプ中に右肘の靭帯を断裂。
3月に右肘内側側副靱帯再建手術(トミー・ジョン手術)を受け、以降リハビリのため二軍のマウンドにも立てずにシーズン終了。

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