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奴隷制度・奴隷貿易の歴史。アメリカに連れて来られた黒人奴隷たちの運命。奴隷市場

アメリカに連れて来られた奴隷制度・奴隷貿易・黒人奴隷の歴史についてまとめました。現代の非正規労働者も、奴隷まで厳しくないにしても、似たような境遇にあるのかもしれませんね。

更新日: 2016年11月27日

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misukiruさん

アフリカで行われていた奴隷狩り

ヨーロッパでは奴隷制度は社会の一部であり、社会的弱者(戦争による捕虜や、誘拐された子供など)の人身売買は一つの経済行為として確立していた。

大西洋の奴隷貿易

船は100トンからせいぜい200トンほどの小さな帆船で、信じられないほど多くの奴隷を積み込んだらしい。

物として扱われた奴隷

寝がえりすら打てないような状況の中に詰め込まれた。

奴隷一人に許された空間は寝返りすら打てないほどひどいもので、それは棺桶の中の方がまだ快適空間であった。

暗い船倉にまるで商品を運ぶように積めるだけ積むといった劣悪極まりない環境

船長が船内を見回った時に体の衰弱した者を見つけ、「こいつはいらない。捨てた方がいいな」とつぶやくと、それは即刻、死刑宣告となるのである。

食事はイモ類、ナタマメ、バナナなどを粉状にした家畜の餌であった。

航海中に何らかの理由で死んでしまった奴隷は全体の3割ほどいたらしい。

奴隷市場で売りさばく

本当は実年齢で35才を過ぎていると、もう老人扱いで商品の価値は半減するのだが、見かけだけでも若くて丈夫そうに見えればいい値で売れる

1776年のアメリカの独立当時、その数は50万人に達した。1771年にはイギリスの奴隷貿易船は190隻を超え、年間4万7000人が運び込まれた。

奴隷としてのアメリカ大陸

死亡した奴隷は海に捨てられて生命力の強い者だけが生き永らえるが、そこまで過酷な試練を超えた先に待っている未来は奴隷としての人生だった。

南部では農場主によって長らく奴隷制擁護論が唱えられ、南北戦争を経て、ようやく1863年のリンカーンによる奴隷解放宣言によってアメリカ全土の奴隷制は廃止されたのである。

日本における奴隷制度

一説には、すでに縄文時代において奴隷制が存在していたとされるが、歴史文書に初めて登場するのは弥生時代であり、『後漢書』の東夷伝に、「倭国王・帥升が、生口(奴隷)160人を安帝へ献上した」(西暦107年)という趣旨の記録がある。

いわゆる『魏志倭人伝』にも、邪馬台国の女王・卑弥呼が婢を1000人侍らせ、西暦239年以降、魏王へと生口を幾度か献上した旨の記述がある

平安時代後期に、日本が中世へと移行すると、社会秩序の崩壊にしたがって人身売買が増加し、「勾引」(こういん)や「子取り」と称する略取も横行した。

中世には人身売買が産業として定着し、略取した人間を売る行為は「人売り」、仲買人は「人商人」(ひとあきびと)や「売買仲人」と呼ばれた。また、奴隷が主人から逃亡することは財産権の侵害と見なされ、これも「人勾引」と称された。

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