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古今東西の世界中で有名なおもしろ故事・思考実験

世界中で有名になっているのような、含蓄深い故事やおもしろい思考実験についてのご紹介。

更新日: 2018年09月21日

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この記事は私がまとめました

知っておくと賢くなれる豆知識です。

moepapaさん

ダモクレスの剣

ある日、ダモクレスがシチリアの僭主・ディオニュシオスの権力と栄光を羨み、追従の言葉を述べた。すると後日、ダモクレスは僭主から豪華な宴の招待を受けた。宴は贅を極めたものであったが、その豪華な席からダモクレスがふと頭上を見上げると、天井から今にも切れそうな細い糸(馬の尾の毛)で、剣が吊るされていた。僭主・ディオニュシオスは、ダモクレスの羨んでいる僭主という立場が、いかに命の危険をともなうものであるかを示したのである。

悪魔の証明

悪魔の証明(あくまのしょうめい、ラテン語:probatio diabolica、英語:devil's proof)とは、所有権帰属の証明の困難性を比喩的に表現した言葉である。

悪魔が実在するのかどうかは、今日でも様々な分野で議論が続いている問題である。
しかし理屈・理論の上では、悪魔の存在を証明するのは難しいことではない。
悪魔を実際に連れてくる、または悪魔実在の物的証拠を提示し、全ての人間に悪魔は実在すると信じさせればいいのだ。

が、これに対し、『悪魔が実在しないことの証明』となると、これは理論上でさえも困難な話になる。
何故なら『悪魔が存在しない物的証拠』は存在しないからだ。
対象がそもそも実在しないのなら物的証拠が無いのも当然である。
そして、「悪魔は存在する」と主張する文書などは大量に存在している。

「我々が見つけていないだけで、今もどこかに悪魔が隠れ住んでいるのだ」という主張を、誰も否定することはできない。
否定したければ、『存在しないことの証明』をするしかないのだ。

つまり悪魔の証明とは、『何かが存在しないという証明は、何かが存在するという証明よりも難しい』という考え方を比喩を交えて表した概念なのである。

シュレーディンガーの猫

シュレーディンガーの猫(シュレーディンガーのねこ、英: Schrödinger's cat)またはシュレディンガーの猫は、量子力学での基本的な考え方である「重ね合わせの原理」(例えばミクロな粒子はx1という地点に存在しながらx2という地点にも同時に存在している状態を持つ)を猫の生死によって観 測する思考実験のことである。 ミクロな粒子の状態によって、猫の生死を決定する実験装置を作ると、ミクロな粒子の状態は複数の状態を同時に重ね持つのだから、猫の状態も「生きていながら死んでいる」という不思議な状態を起こすと考えられている。

まず、蓋のある箱を用意して、この中に猫を一匹入れる。箱の中には猫の他に、放射性物質のラジウムを一定量と、ガイガーカウンターを1台、青酸ガスの発生装置を1台入れておく。もし、箱の中にあるラジウムがアルファ粒子を出すと、これをガイガーカウンターが感知して、その先についた青酸ガスの発生装置が作動し、青酸ガスを吸った猫は死ぬ。しかし、ラジウムからアルファ粒子が出なければ、青酸ガスの発生装置は作動せず、猫は生き残る。一定時間経過後、果たして猫は生きているか死んでいるか。

この系において、猫の生死はアルファ粒子が出たかどうかのみにより決定すると仮定する。そして、アルファ粒子は原子核のアルファ崩壊にともなって放出される。このとき、例えば箱に入れたラジウムが1時間以内にアルファ崩壊してアルファ粒子が放出される確率は50 %だとする。この箱の蓋を閉めてから1時間後に蓋を開けて観測したとき、猫が生きている確率は50 %、死んでいる確率も50 %である。したがって、この猫は、生きている状態と死んでいる状態が1:1で重なりあっていると解釈しなければならない。

ヘンペルのカラス

ヘンペルのカラス (Hempel's ravens) とは、ドイツのカール・ヘンペルが1940年代に提出した、帰納法が抱える根本的な問題を喚起する問題である。また、対偶論法による帰納的実証の、直観との相違を指摘した問題である、ともいわれる。「カラスのパラドックス」とも呼ばれるが、パラドックスとして扱うべきかどうかには異論もある。

「ヘンペルのカラス」は「全てのカラスは黒い」という命題を証明する以下のような対偶論法を指す。

「AならばBである」という命題の真偽は、その対偶「BでないものはAでない」の真偽と必ず同値となる。全称命題「全てのカラスは黒い」という命題はその対偶「黒くないものはカラスでない」と同値であるので、「全てのカラスは黒い」という命題を証明するには「全ての黒くないものはカラスでない」ことを証明すれば良い。そして「全ての黒くないものはカラスでない」という命題は、世界中の黒くないものを順に調べ、それらの中に一つもカラスがないことをチェックすれば証明することができる。そしてこの命題が真である場合、カラスを一羽も調べること無く、それが事実に合致することを証明できるのである。これは日常的な感覚からすれば奇妙にも見える。

こうした、一見素朴な直観に反する論法の存在を示したのが「ヘンペルのカラス」である。

「ヘンペルのカラス」の奇妙さを表したものとして「室内鳥類学」という表現がある。これは、実物のカラスを観察することなしに(カラスが存在するかどうか明らかでない場合でも)、カラスについての性質を確証できてしまうことを表している。この論法の「実物を観察できなくても」という前提を「観察できないものについても」と言い換えることができるならば、これは「八本脚でないもの」を調べて「火星人ではない」ことを確認していき、「火星人は八本脚である」と結論づけるのと形式的には同様の議論である。

胡蝶の夢

夢の中で蝶としてひらひらと舞っていた所、目が覚めたが、
はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、
それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか、という説話である。

この説話は、無為自然、一切斉同の荘子の考え方がよく現れているものとして有名である。
「無為自然」を荘子の言葉でいえば「逍遥遊」となる。
目的意識に縛られない自由な境地のことであり、
その境地に達すれば自然と融和して自由な生き方ができると荘子は説く。

荘子が他の説話において提出してきた是と非、生と死、大と小、美と醜、貴と賎などの
現実に相対しているかに見えるものは、人間の「知」が生み出した結果であるが、
荘子はそれを「ただの見せかけに過ぎない」という。

水槽の脳

ある科学者が人から脳を取り出し、脳が死なないような特殊な成分の培養液で満たした水槽に入れる。脳の神経細胞を、電極を通して脳波を操作できる非常に高性能なコンピュータにつなぐ。意識は脳の活動によって生じるから、水槽の脳はコンピュータの操作で通常の人と同じような意識が生じよう。実は、現実に存在すると思っている世界は、このような水槽の中の脳が見ている幻覚ではなかろうか?

水槽の脳(すいそうののう、Brain in a vat、略: BIV)とは、あなたが体験しているこの世界は、実は水槽に浮かんだ脳が見ているバーチャルリアリティなのではないか、という仮説。哲学の世界で多用される懐疑主義的な思考実験で、1982年哲学者ヒラリー・パトナムによって定式化された。正しい知識とは何か、意識とはいったい何なのか、といった問題、そして言葉の意味や事物の実在性といった問題を議論する際に使用される。水槽の中の脳、培養槽に浮かぶ脳、桶(おけ)の中の脳、水槽脳仮説などと訳される。

抜き打ちテストのパラドックス

ある教師が、学生たちの前で次のように予告した。
来週の月曜日から金曜日までのいずれかの日にテストを1回行う。抜き打ちテストであり、テストが行われる日がいつかはわからない。
これを聞いたある学生は、以下の推論の結果「抜き打ちテストは不可能である」という結論に達した。

1.まず、金曜日に抜き打ちテストがあると仮定する。すると、月曜日から木曜日まで抜き打ちテストがないことになるから、木曜日の夜の時点で、翌日(金曜日)が抜き打ちテストの日であると予測できてしまう。これでは抜き打ちとは言えないので、金曜日には抜き打ちテストを行うことができないということが分かる。

2.次に、木曜日に抜き打ちテストがあると仮定する。すると、月曜日から水曜日まで抜き打ちテストがないことになるから、水曜日の夜の時点で木曜日か金曜日のどちらかの日に抜き打ちテストがあることが予測できるが、1. により金曜日には抜き打ちテストがないことが既に分かっているので、翌日(木曜日)が抜き打ちテストの日であると予測できてしまう。よって、木曜日にも抜き打ちテストを行うことができないということが分かる。

3.以下同様に推論していくと、水曜日、火曜日、月曜日にも抜き打ちテストを行うことができないということが分かる。したがって、「先生はいずれの日にも抜き打ちテストを行うことができない」という結論になる。

しかし翌週、テストは水曜日に行われた。上記の推論にもかかわらず、学生は全くテストの日を予測できなかった。

すべては教師の予告通りになった。

哲学的ゾンビ

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