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【物理学】悪魔の物質デーモン・コアとは【放射性物質】

▼物理における放射性物質デーモン・コアに関するまとめです。▼苦手な方はブラウザバックして、どうぞ。

更新日: 2015年11月29日

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warm7さん

▼デーモン・コアとは?

この通称「悪魔のコア」は、実験用にロス・アラモス国立研究所がつくり出した、約14ポンド(6.2kg)のプルトニウム(Plutonium)の球のことだ。

プルトニウム239とウラン235は、「連鎖的核分裂反応」を起こす、きわめて危険な物質として知られている。

この2つはある濃度、ある分量、ある形になると、ひとりでに、連鎖的な核分裂をはじめる性質があり、だからこそ、核爆弾や原子炉の燃料になるのだ。

ソフト・ボールほどの大きさで、決してお勧めできないが、素手でふれると「放射能の温かみ」が感じられるという。

不注意な取り扱いのために1945年と1946年にそれぞれ臨界状態に達してしまう事故を起こし、二人の科学者の命を奪ったことから「デーモン・コア(悪魔のコア)」のあだ名がつけられた。

▼なんでそんなもの作ったのか。

アメリカは当時、核兵器を持つ世界で唯一の国だったが、この状態は長く続きそうもなかった。やがてまちがいなく核武装する敵と渡り合うには、核爆弾の生産とともに、それをグレード・アップさせる必要があると政府は考えていた。

この時点で、科学者たちに課せられた研究の一つは、爆弾の核燃料を最大限に活用すること、つまり核燃料をすべて中性子に変える技術の開発にあった。

この実験は、研究所のリチャード・ファインマンが「まるでドラゴンの尻尾をくすぐるようなものだ」と批判し、ノーベル賞物理学者エンリコ・フェルミも「そんな調子では年内に死ぬぞ」と忠告する、ほとんどの研究者が参加を拒否する悪名高いものだった。

ファインマンもまた朝永振一郎、シュウインガーとともに1965年にノーベル賞を受賞したアメリカの物理学者です。

▼そして科学実験の最中、悲劇は起こった。

原爆投下後の8月15日、ポツダム宣言をやむなく受諾した日本は連合軍に降伏し、15年もの長きに渡る、アジア・太平洋戦争はようやく終結した。

二ューメキシコ州のロス・アラモス国立研究所(Los Alamos National Laboratory)で、ある実験のさなか、身の毛もよだつ恐ろしい事故が発生した。

若きアメリカ人核物理学者ハリー・ダリアン(Harry Daghlian/1921~1945)は、ロスアラモス国立研究所で、「デーモン・コア」を使った、デリケートな実験に没頭していた。

緊張が頂点に達したその時、ハリーの手からブロックが落ちて、プルトニウム球の右上に当たった。悪魔は、この時を待ち構えていたかのように、たちまち臨界に達した。

瞬間、放射線の放出を告げる青い閃光が迸り、ガイガーカウンターが悲鳴をあげた。ハリーはパニックになり、落としたレンガをつかみとったものの...再びそれを落とした。

この間、およそ1分。それはハリーとっておそらく、人生で最も長い1分だったにちがいない。彼は致死量の放射線(推定5.1シーベルト!)に曝されていて、すぐさま病院に収容された。

数日後、手が放射線火傷のために無残に膨れはじめた。その後、症状は悪化の一途をたどり、事故後25日たった9月15日、彼は急性放射線障害のために死亡した。

画像はイメージです

ハリーの事故が起こり、あたり一帯がプラズマの青い閃光に包まれた時、研究室の警備にあたっていた陸軍二等兵ロバート・ヘマリー(29才)は、33年後、白血病で死亡した。

また、スローティンの事故の際、彼の肩越しに「デーモン・コア」をのぞいていた核物理学者アルビン・グレイブス(Alvin Graves/ 1909–1965年)も重度の放射線中毒で数週間の入院を余儀なくされた。

画像はイメージです

その後も、視力の低下や神経障害など、慢性的な健康不安にさいなまされつづけ、18年後、放射線症に苦しみながら、心臓発作により55才で他界した。

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