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【涙腺崩壊】人質を射殺できないテロリスト ペルー日本大使公邸襲撃事件

ペルーでおきた惨劇「ペルー日本大使公邸襲撃事件」。その背景には、国境を越えた感動のストーリーがあった。

更新日: 2015年11月13日

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discovery123さん

ペルー日本大使公邸襲撃事件とは

在ペルー日本大使公邸占拠事件(ざいペルーにほんたいしこうていせんきょじけん)は、1996年12月17日(現地時間)に、ペルーの首都リマで起きたテロリストによる駐ペルー日本大使公邸襲撃および占拠事件。

人質

多くのペルー政府要人や軍人、日本大使館員や日本企業のペルー駐在員らが、人質として大使公邸に残された

日本人が何人かの若いゲリラたちに監禁され、人質となった

人質を拘束したのは12-18歳の少年少女の「ゲリラ」

日本人の数名を監禁したゲリラたちは、12-18歳の少年少女たち。

実は彼らは貧困の貧しい地域から、人身売買等でゲリラに身を投じた子供たち。
子供兵士だった。

子供兵士とは

現在、19ヵ国で25万人以上の少年や少女が、強制的に武器をもたされ、兵士として徴用されていると言われています。

紛争下において、政府軍や武装勢力は、まだ判断能力のない子どもたちを誘拐し、監禁し、洗脳します。そして、子ども兵士として、戦闘の最前線に立たせるのです。子どもたちは、「殺人マシーン」として、利用されます。

少年少女のゲリラたちと、日本人の奇妙な127日の共同生活

人質の日本人達に銃を向け威嚇していたゲリラ青年達。
彼らは少しずつ、日本人と接するようになり、日本の文化に興味をもつように。
次第に日本の文化や教養にひかれ、夢をもつようになった。

「僕日本の警察官になりたい」
そういった青年はまだ10代後半の青年だった。
ゲリラや子供兵隊になりたくてなっているのではなく、
ならなければ生きることができなかったことがうかがえる。

いつの間にかゲリラ青年たちと、人質日本人の間に絆が生まれ、
夢を語ったり、日本の将棋をして遊んだり、
日本の教養を教えるなどの関係ができていった。

父親と変わらない年代の日本人に何かを教えてもらう青年たちは、
普通の青年と何もかわらなかった。

悲劇の始まり

一発の銃声から惨劇ははじまった。
抗争が始まり、楽しかった127日間は幕を閉じた。
テロリストであるゲリラ青年たちは、人質を射殺しなければならない。
それはかれらの任務である。

おびえる日本人の前にたち、
銃を向け手をかけた、10代の少女。
日本人のもってきたカップラーメンを喜んで食べ家族のおみやげにするといっていた
少女だった。

銃をむけられた日本人はおびえ、しゃがみこんでふるえていた。

彼女は銃の引き金に手をかけた。

そしてそのまましゃがみこんだ。

彼女は銃で日本人を撃つことなく、部屋をでていった。
その後すぐ、射殺された。

人質となった日本人と関わっていたゲリラ青年たちは、
抗争で全員射殺された。

でも彼らは銃をもっていたが、日本人を一人も射殺しなかった。
それが彼らの仕事だったのに。

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