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伝説の日本人モデル山口小夜子…その人物像を紐解く映画が公開

10月31日から映画『氷の花火 山口小夜子』が公開されます。山口小夜子は70年代から世界を舞台に活躍した日本人モデルです。日本国内においても欧米礼賛の風潮が強かった時代、黒髪と日本的な容姿を前面に出し、ニューズウィーク誌でアジア人として初めて「世界のトップモデル」にも選ばれた人物です。

更新日: 2015年11月09日

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映画『氷の花火 山口小夜子』が10月31日から公開

10月31日から山口小夜子さんのドキュメンタリー映画『氷の花火 山口小夜子』が公開されます。山口さんは1970年代から欧米で活動を展開した日本人女性モデルの先駆け的存在です。

当時は日本国内においてすら欧米礼賛の風潮が強かった時代。当然ながら欧米においてはアジア人差別が色濃く残っていた時代でもありました。そのような時代において、日本人的容姿と黒髪を前面に押し出し、外国人にも負けない存在感を放ったのが山口小夜子さんです。世界進出を果たした山口さんは、アジア系モデルとして初めてパリコレに起用されるなど、海外でも高い評価を受けました。そんな山口さんの謎に満ちた人物像がついに紐解かれます。

世界中の人々に“東洋の神秘”と称賛された伝説のモデル・山口小夜子のドキュメンタリー映画『氷の花火 山口小夜子』が31日から公開される。

デザイナー高田賢三さんが「かぐや姫」とたたえるなど、映画ではさまざまなアーティストたちが山口さんの魅力を語る。

資生堂専属モデルとして日本でも親しまれ、憧れの存在になり、化粧や衣装の文化を人々と紡いだ“ファッションの女神”の人生が描き出されている

欧米の猿真似ではなく…日本人の美で世界と勝負した女性がいた

1970年代初頭、当時の日本は欧米の真似をすることにエネルギーを注いでいた

そんな時代に“日本人であること”を武器に、たった一人で世界に闘いを挑んだ女性がいた。

黒髪に切れ長の瞳、神秘的で妖艶な容姿でセンセーションを巻き起こした山口小夜子だ。

パリ、NYなど数多くのコレクションに出演し、イブ・サン・ローランやジャン・ポール・ゴルチエらに愛され、スティーリー・ダンのアルバムジャケットを飾った。

欧米コンプレックスに真っ向から挑戦した山口小夜子

山口 小夜子(やまぐち さよこ、1949年9月19日 - 2007年8月14日)は、日本のファッションモデル、ファッションデザイナー。杉野ドレスメーカー女学院卒業

彼女がモデルをはじめた1970年代はとにかく西洋風の顔立ち、ハーフモデルが全盛で純日本人な容姿が喜ばれることはほとんどなかったという。

オーディションに行っても「髪を染めてから来なさい」と言われ、メイクもとにかく“外国人風”になるよう注意された。

しかし、純粋な日本人である自分の顔かたちに海の向こうから来たヘアスタイルや化粧が似合わないことを、そしてなにより、なぜ“西洋人になる”ことがベストなのか納得がいかなかった彼女は、いくらオーディションに落ちようと自分のスタイルを変えることはなかった

山本寛斎との出会い…そして世界へ進出する

とにかく「欧米風」「白人風」が尊ばれた時代であった。
ハーフモデルが特に優遇され、純血の日本人であれば髪を染めるなど、メイクも外国人風になることを要求されたのである。
そんな時代にあって山口小夜子は自分のやり方を貫き通した。

素顔の山口小夜子はくりっとした大きく丸い目だったといわれるが、あえて"東洋人風"の切れ長の目をメイクでつくっていたという。

黒髪では仕事が少ないなか、山本寛斎との出会いがあり、髪を染めずそのままで山本寛斎の服を着ます

山本寛斎も世界に向けて活動を広げていき、ザンドラ・ローズを紹介し山口も世界に向けて活動していきます。

170センチ代の山口は独自の伸びやかな歩き方で、外人モデルにも負けない存在感を出していました。

1972年、パリコレクションにアジア系モデルとして初めて起用され、次いでニューヨークコレクションにも出演した

東洋人があからさまな軽侮を受ける時代…一躍脚光を浴びた

「日本人がパリを歩いていると、頭のてっぺんからつま先まで冷たい視線を感じるような時代」

「小夜子メーク」を本人とともに作りあげたアーティスト富川栄さん

そんな時代背景だったが、日本人らしさを前面に押し出すヘアメークでランウエーを歩いた小夜子は、ファッション業界では前衛的でクールな存在として一躍脚光を浴びた

白人モデルの間で小夜子メークがはやっただけでなく、実物の彼女に似せた「SAYOKOマネキン」が欧米の有名デパートのショーウインドーを飾った

ヴォーグ誌のカメラマンとして知られる写真家の横須賀功光、総合芸術家のセルジュ・ルタンスらクリエイターのミューズとして一世を風靡(ふうび)した。

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