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インディアンス・村田透の経歴がまるで「マンガの主人公」

村田透の経歴がまるで「マンガの主人公」。ケガを乗り越え、ドラフト1位。1軍登板なく、3年で戦力外。諦めず渡米し、メジャーデビュー。村田透の挑戦は続く。

更新日: 2015年12月10日

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12241435さん

村田透の経歴がまるで「マンガの主人公」

阪神、村田透獲得すんのか!! 通用すんのかはよく分からないけど、 07年度巨人ドラフト一巡目 ↓ 10年に戦力外になり渡米 ↓ 今年3A最多勝 とか、この経歴が不屈すぎてアツい選手過ぎるでしょ、楽しみだわ(ノ´・ω・)ノ

右足首の靭帯を切断・手術!リハビリ漬けの大学時代

大阪体育大学進学後は肘・肩の痛みに悩まされたが、3年時の全日本大学野球選手権大会では5試合全てで抑え投手として起用され、18回2/3を投げて初優勝に貢献。自身も4勝0敗・防御率0.48の成績を挙げて大会MVPを受賞した。大学通算13勝10敗。2007年2月に右足首の靭帯を切断・手術し、大半をリハビリに費やすことになった。

ケガを乗り越え、巨人からドラフト1位指名!「上原2世」と呼ばれる

2007年秋の大学・社会人ドラフトで巨人の1巡目指名を受けて入団した。上原の後輩で、大学日本一に輝いた投手がプロの門を叩く。その男には「上原二世」としての、期待がかけられていたものだった。

しかし、1度も1軍登板せず、わずか3年で戦力外

しかし──プロ入りから3年後の2010年、彼はジャイアンツから戦力外通告を受ける。1軍で1試合も登板することがないまま、日本球界を後にした。

「“ドラ1入団の選手ならば、たとえ芽が出なくても5~6年は我慢して契約する”というのが、プロ野球界の暗黙のルール。それを反故(ほご)にしてしまったら、その球団は後々のドラフト候補選手から敬遠される可能性もあるからだ。そういうことも考えなければいけないのにたった3年でクビにしてしまうなんて、あれは異例中の異例といっていい処遇だった」と苦虫を噛(か)み潰しながら振り返ったのは当時の状況を良く知る巨人の球団関係者だ。

そこで、諦めないのが村田透という男

戦力外通告を受けた日の翌日、村田は通常どおりジャイアンツ球場へと向かった。「ここで練習しなかったら、自分はこのまま終わってしまう」という想いがあったからだ。その後も忸怩たる思いを断ち切るように、遮二無二練習を続けたという。すると、戦力外通告から1カ月後に参加していたトライアウトの後に、待望のラブコールが届いたのだ。その球団が、クリーブランド・インディアンスだった。

通訳もいない異国の地での挑戦!「野球選手として1回死んだ」

渡米後は、異国での生活に戸惑いも多かった。言葉や習慣が異なる上に通訳もいない。マイナーの過酷な移動など、初めて経験することばかりだった。その一方で、オフにはパナマやベネズエラのウインター・リーグに参加するなど、向上心が途絶えることはなかった。

「僕が日本で活躍できなかったのは、どこかで自分への甘さがあったからだと思うんです。ジャイアンツでの3年間があったから、今の自分があると思っていますし、クビになったことで自分の甘さが分かって精神的に強くなれた。野球選手として1回死んで、気づけたことも多かった。今年は、本当に結果を残さないといけない年だと思っています。野球選手として、僕はまだ大した仕事もしていないので、やりきった感じがない。一番上のリーグ、メジャーに上がって活躍しないとやりきった気持ちにはならないと思います。結果を残していけば、チャンスはやってくると思う。僕に次はないんで、野球人生の勝負の年という気持ちで、結果を残したい」

渡米5年目の今年、ついにメジャーデビュー!3A最多勝!

インディアンス傘下3Aコロンバスの村田透投手(30)は、渡米5年目にして待望のメジャーデビュー。6月28日のオリオールズ戦に先発し、3回1/3を5失点で敗戦投手となったが、テリー・フランコナ監督は「多くのマイナーの選手に勇気を与える偉業」と話した。

3Aでは27試合に登板し、マイナーリーグ最多勝となる15勝(4敗)を挙げ、防御率も2・90と安定。

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