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こと3さん

昔はジャズ喫茶を経営する青年だった!?

村上春樹といえば、ノーベル文学賞候補にも選ばれる人気作家ですが、昔は小説だけで生活できない頃もあったそうです。彼は『風の歌を聴け』で新人賞を受賞しましたが、本業は、国分寺にあった「ピーターキャット」(ジャズ喫茶)を経営する青年でした。毎日、ロールキャベツを作り、小説を書くという兼業作家だったそうです。

もしあなたが芸術や文学を求めているのならば、ギリシャ人の書いたものを読めばいい。真の芸術が生み出されるためには奴隷制度が必要不可欠だからだ。

出典風の歌を聴け

ここでいう奴隷制度とは、村上春樹にとって、日々の雑務に追われない執筆環境を指しているのでしょう。つまり作品に専念する環境が大切だと思っていたのですね。もしそうなら、彼の中でフラストレーションが溜まっていたのではないでしょうか?「芸術や文学」を書く環境を整えたかったはずです。

ジャズ喫茶に通う村上龍

村上龍は、春樹の喫茶店に通っていた時もありました。
当時、二人は互いの事をよく認め合っていました。
言葉を多く交さなくても、「作家」として通じ合っていたのでしょう。

これはなんだ…コインロッカーショックとは!?

村上龍は芥川賞で鮮烈なデビューを果たし、専業作家として「コインロッカ―ベイビーズ」を書き上げました。それを読んだ村上春樹は、すぐに村上龍に電話し、以下のように感想を伝えたそうです。

しばらく時間が経ってから、ある種のショックがあった。

村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』を読み、こんな本を書きたいと仕事を辞め、小説一本にしました

出典京都大学の講義にて

コインロッカーベイビーズってどんな本??

改行の少ない濃密な文章から想起される、匂い立つような生々しい映像と疾走感。
かなり人を選ぶ小説だと思います。

龍を読むならこの本から入って欲しいです。
読書が苦手だった自分は一生懸命この本を読み終わり、その時の衝撃は計り知れなかった。

野間文芸賞作品、発行数200万部突破!!1980年に刊行された村上龍3作品目の長編小説です。コインロッカーに遺棄された赤ん坊が、退廃的で閉塞感ある世界と対峙する物語。スピーディで散文的な文体が特徴で、作品の放つエネルギーは凄まじいです。2015年、初の舞台化も決定している話題の作品です。

1971年、生後間もない乳児をコインロッカーに捨てる事件が起きました。婚姻外出産に対して、社会保障が整備されていなかったので、親は育児放棄するしかなかったからです。しかし、なぜ、コインロッカーに入れる必要があったのでしょうか。通気性が悪く、暗い箱に閉じ込められた赤ん坊は、死ぬしかありません。まるで、赤ん坊が生き残る事を微塵も望んでいないようです。親が子を無条件で愛するわけではない。従来の日本では、あまり考えられなかった事件です。

季節は夏。うだるような熱気が地表のアスファルトから昇り、コインロッカーの中は蒸されていたことでしょう。その中で赤ん坊が泣いています。死へのカウントダウンが刻々と進み、赤ん坊は衰弱していきます。そのような地獄から運よく生き延びたのは、二人にとって幸せだったのか、不幸の始まりであったのか。

二人は少年時代を西九州の離島で過ごします。かつて海底炭鉱で賑わった廃坑の街です。鉄条網で封鎖された灰色の炭鉱住宅、赤く錆びたフェリーボート、退廃的な雰囲気が街全体を覆っています。

両親の愛情を受け取ることが出来なかった、または歪んだ愛情を受けて育った、成育歴のある人間が、本作品の登場人物であります。そのような機能不全家庭で育った人間の衝動は、酷く哀しい色を帯びた欠損感情です。それは、中途半端な嘘で覆い隠せるものではなく、暴力、性、など原始的な行動と深く結びついています。。

村上龍の文体の魅力を一言で表すなら、凄まじい描写力にあります。具体的で情報密度の濃い描写力は、世界一と言えるかもしれないです。例えば、『限りなく透明に近いブルー』では、ドラッグ、性や暴力などに溺れた若者の物語と紹介され、若者の透明さと汚れた世界との対比について語られることが多いですが、その描写力も物凄くないですか?本当に、ドラッグをやったのではないだろうか?と感じさせるほど、生々しい描写です。彼の作品の中でも、コインロッカーベイビーズの描写力には圧巻の一言でしょう。

作品を愛するあまり新装版の解説に怒り出すファンも!?

だが、解説と銘打たれた箇所で、金原ひとみが色々書いているのが、酷い。人の小説の解説欄を使って、自分語りをしている。自分の本の中でなら許されるような、読書感想的に書くような中身を垂れ流している。

たしかに、解説は作品の内容について説明する場であり、解説者自身を語る場ではありません。しかし、旧作のようにジョルジュ・バタイユと無理やり結びつけて、理知的に説明するよりも、他人の人生へ如何に「影響」を与える作品なのか、語る方が芸術作品を説明する上で効果的なのではないでしょうか?説明不能で、平準な言葉に置き換えられない芸術があると、私は信じているからです。

他の作家も、コインロッカーベイビーズを賞賛している

私は彼の作品の熱心な愛読者だったし、ちょうどそのころ読んだばかりの『コインロッカー・ベイビーズ』に感動し、この年若い作家は天才だ、と確信していた。

村上龍は変った。感性が自己完結的でなくなったかもしれないし小説の技術に目覚めたのかもしれない。この小説にはいたるところに工夫が凝されている。その結果この小説は純文学でもあり、SFでもあり本学小説でもあり、また、社会小説としても、冒険小説としても、風俗小説としても読めるという作品になった。いい小説とは本来そういうものでなければならないのかもしれない。これだけ面白いものを書く人は、エンターテインメントの作家中にすら、ちょっとみあたらないのではないか。4年前デヴューしたばかりの村上龍と、「いつか必ずSFを」という約束をした。彼は覚えていたらしい。約束は期待以上に果たされた。満足だ。

初刊行本の推薦にて筒井康隆さんのコメント

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