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【歴史の事実】カップヌードルがバカ売れしたのは、「あさま山荘事件」がきっかけだった。

全世界で愛されるカップヌードル。印象的なCMも有名で、今では知らない人がいません。そんなカップヌードルが売れたのは、ある事件がきっかけのです。意外なところでつながる歴史の面白さでもあります。

更新日: 2015年12月05日

su_tabibitoさん

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□ 言わずと知れた、世界食”カップヌードル”

2011年時点で世界80カ国で発売され、発売以降の累計販売数は310億食を突破した。日本国内の累積販売数は2011年7月に200億食を超えた。

□ では、”あさま山荘事件”とは?

1972年2月19日から2月28日にかけて、長野県北佐久郡軽井沢町にある河合楽器の保養所「浅間山荘」において連合赤軍が人質をとって立てこもった事件である。

10日間におよぶ攻防の末、警察が強行突入、運良く人質を無事救出、犯人全員の逮捕に成功するが、3人の死者(うち一人は民間人)と多数の負傷者を出す悲劇となった。

□両者には意外なつながりがあった。

1.販売当初はカップヌードルも売上が散々だった。

カップラーメンが発売されたのは、1971年のこと。

この当時、まだ、カップラーメンは食文化として定着しておらず、カップラーメンは、まだまだ一般の人にとっては真新しいものであった。

そういった時代背景もあったが、販売初年度、大々的に宣伝したこともあり、4時間で2万食を売ることに成功した。
しかし。
その後は、イマイチ売れなかった。

それには、色々と分析があるが、やはり、食文化として定着しなかったことが原因の一つではないだろうか。

出典http://都市伝説まとめ.biz/cupnoodle_td/

2.氷点下の中での事件が発生

『あさま山荘』は事件当時、極寒の地で警察との銃撃戦が行われ
警察官2名と民間人1名が死亡。事件の経過はテレビで生中継され
当時、大きな注目を浴びた事件となった。

事件現場は当時、-15度前後の寒さであり、機動隊員たちに配給される弁当なども凍ってしまう状況であった。

出典http://話題・.com/asamasansou.html

事件当時、場所が、長野県の山間部、更には、時期が2月ということもあり、氷点下を超える厳しい寒さであった。
そして、多くの機動隊が、前線に出動したのだが、その際に問題となったのが、食糧だ。
普通の弁当などでは、凍ってしまううえ、温かいまま食べることが出来ない。

そこで、注目されたのが、日清のカップヌードルだ。
お湯さえあれば食べられるうえ、持ち運びが非常に楽なカップヌードル。

出典http://都市伝説まとめ.biz/cupnoodle_td/

3.事件がテレビ生中継

突入の様子は、テレビで生中継された。その日の総世帯視聴率は調査開始以来最高の数値を記録し、18時26分には民放、NHKを合わせて視聴率89.7%に達した。同日のNHKの報道特別番組は、平均50.8%の視聴率を記録した。これは2000年代に入った現在でも、報道特別番組の視聴率日本記録である。

浅間山荘事件は、当時、大々的にテレビで生中継されていた。

その視聴率は、驚異的な数値をたたき出し、多くの視聴者が、事件の行く末にくぎ付けになっていたのだ。

そして、そのテレビに映し出されたのは、厳しい寒さの中、湯気が立ち込めるカップヌードルを頬張る、隊員たちの姿だ。

その光景に、視聴者は、「彼らは何を食べているの?」と興味を掻き立てられた。

出典http://都市伝説まとめ.biz/cupnoodle_td/

4.予期せぬ宣伝効果 → 爆発的な大ヒット

結果として、これが、大きな宣伝効果を生み出し、カップヌードルは、爆発的に売れるようになった、と言われている。

テレビ中継でカップヌードルを美味しそうに食べる隊員達の姿が映像に映り、同商品の知名度を一挙に高めた。カップヌードルの売上は発売開始時の1971年には2億円だったのに対して、事件後の1972年には前年比33.5倍の67億円になっている。

出典cafy.jp

カップヌードルの歴史案内でも紹介されています。

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静岡県掛川市生まれ。地元静岡に就職後、掛川→静岡→裾野→浜松→藤枝と転々。2児の父で、子育て満喫中。「#静岡こんなトコ」で地元紹介。関心分野:断捨離、ライフハック、二宮尊徳、稲盛和夫、日本史、防災