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杉原千畝だけじゃない…「ユダヤ難民」を救おうとした日本の偉人達

先日、映画「杉原千畝」が全国公開されました。6000人にも及ぶユダヤ難民に対し、「命のビザ」を発給した杉原千畝氏の人道的決断は広く知られています。しかし、ユダヤ難民達を救おうと動いた日本人は杉原氏だけではありません。日本の名誉を守ることにもなった先人達の功績についてまとめてみました。

更新日: 2015年12月10日

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現在"日本のシンドラー"杉原千畝の決断を描いた映画が公開中である

自らと家族の危険も顧みず、ユダヤ難民にビザを発行した杉原千畝氏の偉業は広く知られています。

しかし、杉原千畝氏がビザを発行して終わりではありませんでした。命のビザを手にしたユダヤ人達は酷寒のシベリアへと向かい、そこで杉原氏から"命のバトン"を繋いだ日本人達がいました。

ウラジオストクで日本への渡航証明書を発給した総領事代理の根井三郎、日本での滞在期間延長を画策した神学者の小辻節三、ユダヤ人の移送に尽力したジャパン・ツーリスト・ビューローがその代表的な存在です。

また、軍人の中にもユダヤ難民保護に尽力した人々がいました。それらの知られざる人道的行為について簡単にまとめてみました。

“日本のオスカー・シンドラー”と呼ばれた彼の、知られざる一面にも迫った歴史ドラマ『杉原千畝 スギハラチウネ』が、12月5日(土)より公開

329スクリーンで公開され、土日2日間で動員11万8453人、興収1億4538万9600円をあげた

実は…杉原氏から"命のバトン"を繋いだ人たちがいる

帝国外務省は大量のユダヤ難民の扱いに苦慮し、発給されたビザの「再審議」をウラジオストクの総領事館に厳命した。しかし、総領事代理の根井三郎一度杉原領事が発行したビザを無効にする理由がないと抗議した。杉原氏の同窓生でもある根井氏がその善意を繋いだのであった。

リトアニアから国外脱出を果たしたユダヤ人たちはシベリア鉄道に乗り、ウラジオストクに到着した

ユダヤ人たちから「ミスター・ネイ」の名で記憶されている根井三郎は、本来漁業関係者にしか出せない日本行きの乗船許可証を発給して難民の救済にあたった

杉原はユダヤ人達に10日間の「通過ビザ」を発行していた。すなわち、ユダヤ人達は10日以内に出国先を決めて日本から立ち去らなければいけなかったのである。しかし、日本に入国したユダヤ人達には次の受け入れ先などあるわけもなく、10日以内に出国することなど不可能に近い話であった。そこで、小辻博士は彼らの滞在期間を延長するべく方々を駆けずり回った。小辻博士の活躍が無ければ日本も血も涙もない非人道国家として記憶されてかもしれないのである

日本に到着した難民が出国先を見つけられるまで日本にしばらく滞在できるように、ユダヤ難民側に立って奔走して廻った

杉原千畝から託された命のバトンを受け取り、それぞれが覚悟と責任を持って受け継いだからこそ、命のリレーは繋がり、全世界へと広がっていった

あのJTBも"命のバトン"をつないだ

ユダヤ人の移送、米国から届けられた滞在資金の手渡しなどを行ったのがジャパン・ツーリスト・ビューローであった。

敦賀に臨時の事務所を開設して駐在員、添乗員を派遣、一度に何百人という難民たちの移動が要領よく行われるよう、バス輸送を準備したり、時には臨時列車の手配なども行ったという。また、ウラジオストク~敦賀を結ぶ連絡船「天草丸」が数千人にも及ぶユダヤ人を運んだ。

日本が誇るビューローマンの手腕が歴史上に燦然と輝いた瞬間であった。

「ロシアのウラジオストックから福井の敦賀まで、彼らを輸送したのがビューローの船だったのです」

『命のビザ、遥かな旅路』(交通新聞社)などの著書がある、ライターの北出明氏

期間は、1940年(昭和15)年の秋から翌年の春までの約10ヵ月。中心的な役割を担ったのが、大迫辰雄というビューローの職員である

大迫は、1940年~1941年の厳しい冬の間、荒れ狂う日本海を29回往復し6,000人にも及ぶユダヤ人を運び、杉原から根井へと繋がれた命のバトンをしっかりと引き継いだのだった

軍人にも…ユダヤ人の保護に力を注いだ人々がいる

ユダヤ難民の保護に取り組んだのは民間人や外交官だけではなかった。幾人かの軍人は職を賭して彼らの命を救う為に動いた。

杉原がビザ発給でユダヤ人を救うよりも2年前の1938年、ナチス・ドイツの迫害から逃れた大量のユダヤ難民が、シベリア鉄道に乗って満州国の北東のすぐソ連側に位置するオトポールに到着した

ソ連は彼らの受け入れを拒んだので、ユダヤ人たちは満州国への入国を強く望んでいた。

このときの満州国は日本の国防の最前線。そこで任務にあたっていた関東軍の特務機関の機関長、樋口季一郎少将(当時)は、ユダヤ人たちを受け入れ、彼らを救った

数百人のユダヤ難民の命を救ったといわれている

当初この「オトポール事件」は存在自体が疑問視されていた。しかし、近年の研究によりその実態が解明されつつあるという。

1938年、満州国との国境沿いにあるシベリア鉄道のソ連領オトポール駅に、ドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人が押し寄せ、難民化していた

樋口はこの惨状に見かねて、ユダヤ人に対し、直属の部下であった河村愛三少佐らとともに即日給食と衣類・燃料の配給、そして要救護者への加療を実施、更に膠着状態にあった出国斡旋、満州国内への入植斡旋、上海租界への移動の斡旋等を行った

樋口によって発給されたビザ、そして開かれた「ヒグチ・ルート」により、一説には2万人ものユダヤ人が救出されたという

ただし、この数字は信憑性にかけており、樋口の回想録の誤植から流布した数字であるという。実際には多くても数百人程度ではないかといわれている、。

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