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明治~大正期の浮世絵・新版画まとめてみた

浮世絵といえば江戸時代のものというイメージですが、新しい文物を取り入れ、風景が写実的になった明治・大正時代の浮世絵や新版画はあまり知られていないのでまとめてみました。

更新日: 2018年03月15日

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Cabodarocaさん

小林清親

小林 清親(こばやし きよちか、弘化4年8月1日〈1847年9月10日〉 - 大正4年〈1915年〉11月28日)は、明治時代の版画家、浮世絵師。月岡芳年、豊原国周と共に明治浮世絵界の三傑の一人に数えられ、しばしば「最後の浮世絵師」、「明治の広重」と評された。
明治9年(1876年)、大黒屋(四代目松木平吉)より洋風木版画の「東京江戸橋之真景」「東京五代橋之一両国真景」でデビュー、同年8月31日から「光線画」と称して昭和初年以来『東京名所図』と総称される風景画シリーズ(計95種)を出版し始める。その西洋画風を取り入れたそれまでの浮世絵にはなかった新しい空間表現、水や光の描写と郷愁を誘う感傷が同居した独自の画風が人気を博し、浮世絵版画に文明開化をもたらした。

築地明石町寒夜の月

威海衛進軍配置之図

楊州周延

楊洲 周延(ようしゅう ちかのぶ、天保9年8月8日〈1838年9月26日〉 - 大正元年〈1912年〉9月29日)とは、江戸時代末期から明治時代にかけての浮世絵師。
明治28年(1895年)から明治30年(1897年)にかけて、江戸っ子が知らない江戸城の「御表」と「大奥」を3枚続の豪華版の錦絵で発行、江戸城大奥の風俗画や明治開化期の婦人風俗画などを描き、江戸浮世絵の再来と大変な人気を博した。江戸時代には描くことができなかった徳川大奥や幕府の行事を記録したシリーズ物は貴重な作品として挙げられ、特に「千代田の大奥」は当時ベストセラーとなった。

また明治維新後、公の場では華族や新政府の高官の夫人、令嬢は華やかなロングドレスを身に纏うようになった。周延は、女性の注目を集めたこのニューファッションを取上げて錦絵に描いた。これにより、周延は明治期で人気一番の美人画絵師となっている。ただしこの文明開化の新時代に浮世絵に描かれた女性たちは、その髪型や着るものは新しいデザインであっても、その容貌は未だ江戸美人のままであった。

色彩がとにかく華やかで、洋装、楽器演奏、軍事教練などの新しい文物を積極的に取り入れながらも人物の顔は江戸時代の美人画そのままなのがなんかエキゾチック。人気があったのもうなづけます。

月岡芳年

月岡 芳年(つきおか よしとし、1839年4月30日(天保10年3月17日) - 1892年(明治25年)6月9日)は、日本の画家。幕末から明治前期にかけて活動した浮世絵師である。

「血まみれ芳年」の異名も。

歴史絵、美人画、役者絵、風俗画、古典画、合戦絵など多種多様な浮世絵を手がけ、各分野において独特の画風を見せる絵師である。多数の作品があるなかで決して多いとは言えない点数でありながら、衝撃的な無惨絵の描き手としても知られ、「血まみれ芳年」の二つ名でも呼ばれる。浮世絵が需要を失いつつある時代にあって最も成功した浮世絵師であり、門下からは日本画や洋画で活躍する画家を多く輩出した芳年は、「最後の浮世絵師」と評価されることもある。

月岡芳年といえばやはり、歴史上有名なシーンに月を絡めて描いた「月百姿」や、合戦シーンや怨霊が描かれた無惨絵。ドラマチックな物語絵巻の世界へいざなわれます。

月宮迎 竹とり (月百姿)

「芳年武者旡類」 「畠山庄司重忠」(無惨絵)

忍岡月 玉淵斎 (月百姿)

はかなしや波の下にも入ぬへし つきの都の人や見るとて 有子 (月百姿)

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