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<山田洋次×美輪明宏×二宮和也> 未来のために

ニノ32歳、美輪明宏さん80歳、山田洋次監督84歳、映画「母と暮せば」つながりの三人。美輪さんの語る戦争体験は迫力があります。

更新日: 2015年12月20日

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bunicaさん

「男はつらいよ」の舞台、葛飾柴又。
葛飾出身のニノにとって山田監督は神様のような人で、映画に出るのは夢のような話だったという。

(監督)おなかから生まれて、こうして(抱きしめて、大事にして)育っていくんだからね。親子の愛情を丁寧に描きたいと思った。
なぜ息子は死んでしまったのか、背景には戦争がある。20世紀は日本人が忘れてはいけない時代。

(ニノ)監督の小さい頃なんだろうなと思った。お母さんとの思い出、向き合い方。遠くから監督を観察した。

(美輪さん)色は禁止されていた。男は国民服、女はどぶねずみ色のもんぺ。母は上海の服装学院で学んだので洋裁ができたが、戦時中において不謹慎である、と着替えさせられた。音楽も流行歌を聞いていると、密告されてしまう。美は軟弱である、国策に反する。一切の文化がダメだった。

(監督)楽しむことは悪いことだった。

(美輪さん)敵性用語も使っちゃならない。バイオリンは「ひょうたん型糸こすり器」。
クラシック、ジャズ、シャンソン、タンゴ全部禁止。軍歌以外歌ってはダメ。

ニノ演じる浩二には、モデルがいる。23歳で戦死した詩人、竹内浩三。
映画監督になりたいという夢もあった。

(監督)笑うこと、笑わせることが大好き。
軍服を着ても、彼の個性を奪えない。ユーモラスな表情の写真がとても好きだ。

(美輪さん)原爆の後、小学校の校庭という校庭が死体置き場だった。ずらっと並んでいて、家の木材を使って焼いていく。親子の死体は引き離せないくらい、自分は焼け死んでも子供は助けたいと覆いかぶさって、しっかり抱きこんでいた。警防団の人が、親子っていうのはこうありたいね、と言っていた。

両親は繁華街でカフェを営んでおり、美輪さんは10歳の時、自宅で被爆した。

(美輪さん)いい天気なのに、マグネシウムを100万個たいたような光がピカッと光った。このいい天気なのに雷、と思うか思わないかの一瞬に、世界中の音が全部止まった。そして、世界中の音を全部集めたような音がした。目の前のガラスが全部なくなった。

表は地獄。馬車引きの馬が倒れている。おじさんは、フライパンで豆を炒るときみたいに、ぴんぴん飛び上がっている。何も見ないようにして逃げた。

日本は唯一原爆が落ちた国でもあるわけじゃないですか。
監督の思う原爆、核…。

ニノ。

(監督)そこまで本当は考えてほしいよね。戦争の悲惨さ。原爆が落ちるっていうことはそういうことなんだと。
たくさんの本を読んだけれども、美輪さんの話は力強く伝わってくる。表現者だから。伝えることは表現者の役割だと思った。

(美輪さん)向こうは原爆作ってるのに、私たちは竹やりの練習。女の子はなぎなた。向こうは火炎放射器、バズーカ砲。

(美輪さん)カフェに掃除や給仕をするボーイがいた。出征することになり、長崎駅に見送りに行った。汽車が出ていく時、お母さんが、みんなを跳ね除けて前に出て、息子の足元にしがみつく。生きて帰ってこいと言った。軍の人が、貴様!非国民と襟首をつかんで突き飛ばした。鉄柱にぶつかり、頭から血が流れた。血だらけで、怒鳴られている母の姿。それを最後に見て出征した、悲しい顔が忘れられない。

(監督)戦後、これから良くなる一方だと思った。配給も回復していくし、新しい憲法ができ、空は広く、青かった。いい音楽を聞きたい、いい映画を見たい、という気持ちも強かった。

(監督)寒くても、おなかが空いていても希望があった。
今は不安が多い。

多い。

ニノ。

(監督)先行きが不透明。今はつらい時代。

(監督)今でも紛争が起きていて、人間は賢くなっているのか考えてほしい。

(美輪さん)昔話じゃない、今の話。波打ち際にいて、もう足が濡れかけている。

すごいところにいる…。

ニノ。

(美輪さん)錦織くん、羽生くん、浅田真央ちゃん、白井健三くん。世界的な技術を持っていながら、謙虚で親孝行で品が良くて、仲間と仲が良く、対戦相手の悪口を言わない。
そういう若い人が出てきて、日本もまんざら捨てたもんじゃないと思う。自信を持っていい。

対談を終え、ニノは、昔の話に色がつき始めた、と思ったそう。

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