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【第二次世界大戦】アメリカ海軍の戦闘機まとめ【太平洋戦争】

第二次世界大戦時の米海軍戦闘機まとめ。米軍の実用戦闘機から試作戦闘機まで掲載しています。F2AバッファローからFD-1ファントムまで。

更新日: 2019年07月16日

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holy777さん

・艦上戦闘機

初飛行:1937年12月
生産数:509機

 米軍最初の近代的単葉戦闘機。
 それまで複葉戦闘機が主力だった艦上戦闘機を近代化する目的で開発がスタート。F4Fとの競争試作に勝ち、製造、配備が進んだが、その後F4Fの性能が向上したことで主力の座は奪われた。
 性能は枢軸側戦闘機に遠く及ばず、緒戦で零戦、隼を擁する日本軍に完敗。第一線から引き上げられた。
 期待を裏切る低性能だった本機だが、フィンランドに輸出された機体は特筆すべき成果を挙げた。対ソ連との冬戦争で数的優位なソ連軍に対し奮戦。数多くのエースパイロットを生み出し、「空の真珠」と絶賛された。

初飛行:1937年9月
生産数:7,722機

 アメリカ海軍の第二次世界大戦初期の主力艦上戦闘機。
「グラマン鉄工所」と呼ばれるほどの頑丈さが特長で、高い急降下性能や防弾性能を持つ。反面、低速と鈍重な運動性能から大戦初期には零戦との戦いで惨敗した。
 しかし大戦中盤以降、米軍内で対零戦戦法が徹底されたことで対等以上に渡り合えるようになる。この時期にはF6Fに主力機の座を譲ったが、小型の護衛空母などで終戦まで運用された。
 イギリスにも供与され、「マートレット」という名称で使用されている。

初飛行:1942年6月
生産数:12,275機

 最も多くの日本軍機を撃ち落とした米戦闘機。
 F4Uが失敗した時の保険として開発されたが、F4Uが開発に手間どり、堅実な設計の当機が対戦中期以降の主力艦上戦闘機となった。
 日本軍パイロットにも一目置かれる空戦性能を誇り、最も手強い相手とされた。頑丈な機体構造と防弾性能からパイロットの信頼も厚かった。反面、2000馬力級エンジンを装備しながら速度は600km/h程度と低速であったが、対する日本軍機が軒並み速度性能は低かったことから問題とはならなかった。

初飛行:1940年5月
生産数:12,571機

 戦後も各国で活躍した高速戦闘機。
 正面から見るとW型に見える逆ガル翼が特徴。2000馬力の大出力エンジンに大型プロペラの組み合わせで700km/hを超える高速を発揮。しかし、それ故に着艦が困難で初期は陸上基地からの運用に留まった。
 大戦後半からは空母で運用され、対地攻撃もこなす機体として重宝された。
 戦後も朝鮮戦争で使用された他、1969年にはホンジュラス・エルサルバドル間で起きた「サッカー戦争」でF4U同士が交戦。レシプロ戦闘機最後の戦いとして記録されている。

初飛行:1943年11月
生産数:364機

 異色の双発艦上戦闘機。
 狭い空母で運用する艦上機は単発機であるのが当時の常識だったが、広い太平洋で長大な後続距離と汎用性を持たせるため双発の大型機となった。
 対地、対艦攻撃も出来る機体として開発された本機は、12.7mm機銃×4、20mm機銃×4という大火力と最速740km/hの高速を発揮する高性能機となった。
 しかしグラマン社がF4FやF6Fなどの他機を優先したために生産は遅れ、大戦末期に配備されたものの実戦参加前に終戦となった。
 朝鮮戦争では夜間戦闘機や偵察機として活躍し、退役後は山林火災消防機となった機体もあった。

初飛行:1944年8月
生産数:1,266機

 大戦には間に合わなかった最強のレシプロ艦上戦闘機。
 F6Fと同系統のエンジンを装備しながら、機体サイズは一回り小さく、F6Fの4.2トンから3.2トンにまでスリム化している。大馬力エンジンと小型の機体がマッチし高い飛行性能を実現。レシプロ機として最高レベルの機体となった。
 しかし実戦部隊配備後すぐに終戦。純粋な戦闘機として開発された当機は汎用性が低く、ジェット戦闘機の台頭により早々に実戦部隊から姿を消した。
 戦後はフランスやタイで使用された他、エアレースで当機をベースにした改造機が850km/hのレシプロ機世界最高速度記録は達成した。

初飛行:1944年6月
生産数:66機

 レシプロエンジンとジェットエンジンの複合動力戦闘機。
 1940年代に入るとジェットエンジンに注目が集まったものの、初期のジェットは燃費が悪く、信頼性も低かった。そこでレシプロエンジンとジェットエンジンを両方搭載し、それぞれの長所を活かそうとしたのが複合動力方式の本機である。
 戦争末期に採用されたが、実戦参加には間に合わず66機が生産されたのみである。ジェットエンジン搭載機として初の空母離着艦を行ったが、その後のジェットエンジンの進化によって燃費と信頼性が向上したことから本機は早々に退役した。

初飛行:1945年1月
生産数:62機

 米海軍初のジェット艦上戦闘機。
 次世代を睨んだ米海軍は1943年8月30日にジェット艦上戦闘機を新興のマクドネル社に発注する。ウェスティングハウスのターボジェットエンジンを翼付け根に2基装備し、機首に12.7mm機銃4丁を装備する機体として仕上がった。最高速度は771km/hを発揮。
 1945年3月には量産型の発注がされたが終戦までには間に合わなかった。1946年7月に空母での発着艦に成功。1947年7月から部隊配備が開始されたが、この時代のジェット機の進化は早く、1949年には一線から退いた。

・試作機

初飛行:1940年1月
生産数:1機

 試作のみで終わった双発艦上戦闘機。
 高速艦上戦闘機という軍の要望に対してグラマン社は当時の艦上機としては異例の双発機で応えた。狭い船内での収容を考慮して双発ながら機体は単発機なみのサイズとなっている。
 しかし完成した機体の速度は予想を下回る600km/h程度で、エンジンカウルに起因する着艦時の視界不良や小さな機体故の搭載燃料の不足などから不採用となった。

初飛行:1940年5月
生産数:1機

 陸軍のP-39を元に開発された艦上戦闘機。
 ベル社は海軍の高速戦闘機計画にP39を改設計したものを提出。基本構成はP-39と同様で液冷エンジンを胴体中央に配置して延長軸を介してプロペラを回している。武装はプロペラ軸から発射する35mm機関砲と主翼の7.7mm機銃×2。翼や胴体にも設計変更を加えており、P-39とは構造は大きく異なっている。
 テストの結果、飛行中の振動や安定性不足が発覚。ベル社もこの改修に尽力したが、同じ頃に開発されたF4U成功の目処が立ったため、軍は1941年12月に本機を不採用とした。

初飛行:- (V-173は1942年11月)
生産数:2機

 「フライングパンケーキ」の異名を持つ円盤型戦闘機。
 ヴォート社は円盤翼が短距離離着陸性能や低速性能に優れる点に着目。海軍の支援を受けてV173実験機を製作する。
 XF5Uの縮小版とも言えるV173は試験の結果、僅か6mでの離陸や強風時の空中停止も可能であった。
 これを受けて海軍は艦艇から離陸可能なSTOL戦闘機としてXF5Uを開発を指示。しかし前例の無い形状に開発は難航。会社がF4Uの生産に忙殺されたこともあり、試作機完成は1945年8月20日となった。結局ジェット機時代の到来もあり、飛行することなくスクラップにされた。

初飛行:1943年9月
生産数:1機

 B-29と同じ強力なエンジンと二重反転プロペラを装備した戦闘機。
 高出力エンジン搭載の艦上戦闘機として1941年に開発開始。搭載予定のエンジンが開発に失敗したことで機体の完成は遅れ、海軍に引き渡されたのは1944年になってからであった。
 エンジンにはライトR3350を使用。これはB29戦略爆撃機と同じ高出力のものであった。その強烈なトルクを相殺するため二重反転プロペラを採用している。
 ターボチャージャーの効果で高空性能は高かったが、機体の振動問題が解決できず、諸性能も機体したほどでは無かったため不採用となった。

初飛行:1944年5月
生産数:19機

 F4Uの改良発展型戦闘機。
 F4Uは劣悪な前方視界や強烈なエンジントルクといった問題があり、艦載機としては使いづらかった。そこで海軍は比較的手の空いていたグッドイヤー社に改良型F4Uの製作を依頼した。
 エンジンは3000馬力級の物に換装。エンジン大型化による機首延長を抑えるため胴体前部の燃料タンクを翼に移した。また強烈なトルクに対応して垂直尾翼も大型化。武装は12.7mm機銃×4。
 最大速度は694km/hとエンジン強化の割には伸びず、視界やトルクの欠点も未解決だったが、低空用戦闘機として一定の評価をされた。大戦終結により計画中止。

初飛行:1944年11月
生産数:3機

 艦上爆撃・攻撃機としても使える万能戦闘機を目指した機体。
 日本軍機より長い後続距離を持ち、更に雷撃・急降下爆撃も可能な機体として開発。ボーイング社は3000馬力の強力なエンジンに全長・重量共に単発戦闘機最大級の機体をまとめ上げた。
 最大695km/hの速度を発揮。更に爆弾倉には1.5tの爆弾か魚雷を装備。ここに補助燃料タンクを追加して最大5,600km/hもの飛行も可能だった。反面、戦闘機としては運動性に欠けた。
 試作1号機が完成した時点で終戦したため採用はされなかった。

初飛行:1945年2月
生産数:1機

 ジェット黎明期の複合動力機。
 初期のジェットエンジンは燃費の悪さや出力調整の難しさから、特に艦上機とするには問題が多かった。これを補うためにレシプロエンジンを併用する複合動力機として作られたのが本機である。
 開発開始は1944年にだが、エンジン不調による試作機の墜落などで軍の採用テスト開始は1946年11月となった。速度性能は755km/hを発揮し、後続距離や着艦性能も問題なかった。しかしエンジン併用による整備の難しさやジェットエンジンの爆発的進化によって、結局複合動力機というコンセプト自体が廃れ、不採用となった。

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