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【第二次世界大戦】アメリカ陸軍の戦闘機まとめ【太平洋戦争】

第二次世界大戦時の米陸軍戦闘機まとめ。米軍の実用戦闘機から試作戦闘機まで掲載しています。F2AバッファローからFD-1ファントムまで。

更新日: 2018年08月18日

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holy777さん

アメリカ陸軍航空隊

アメリカ陸軍航空隊(United States Army Air Corps, USAAC)は、かつて存在したアメリカ陸軍の部門。1926年にアメリカ陸軍航空部(英語版)(US Army Air Service)の再編によって設立され、1942年にアメリカ陸軍航空軍(US Army Air Forces)に統合された。また、航空軍は1947年にアメリカ空軍となった。

・戦闘機

初飛行:1935年8月
生産数:196機

 P-43、P-47の元となった米陸軍初の単葉引き込み式戦闘機。
 P-36との競争試作に勝利して陸軍に採用された。機体は全金属製で、主翼は後方に半分露出したままで収納される。
 太平洋戦争開戦時には旧式化しており、フィリピンに48機が配備されていたのみであった。これらの機体も殆どが陸上で破壊された。
 スウェーデンや中国に輸出された他、複座型が日本海軍に護衛戦闘機として輸入されたが、性能不良のため偵察機としての運用に留まった。

初飛行:1935年5月
生産数:1,115機

 P-40の元になった戦闘機。
 P-35競争試作で敗れたものの、カーチス社はエンジン換装で諸問題は解決すると判断して計画を続行。本機を輸出専用の「カーチス75」として諸外国に販売する一方、改設計した機体を陸軍に採用させることに成功する。
 最高速度500km/hと機首に12.7mm機銃と7.7mm機銃を装備。翼内に7.7mm機銃を追加した重武装型も存在する。
 フランスが開戦時に使用した他、イギリスや中国、タイなどでも使用された。
 1940年以降はP-40に米陸軍主力の座は譲っていたが、大戦中を通じて二線級機として運用された。

初飛行:1939年1月
生産数:10,037機

 双胴形式が特徴の双発戦闘機。同時期の双発戦闘機が単発戦闘機に対抗出来ない中、唯一対等に渡り合うことが出来た。
 600km/hを超える高速と重武装が持ち味。戦争初期は不利な格闘戦に挑んだことで、日本側から「容易に撃墜できる=ペロリと食えるP-38(=Pろ8)」から「ペロハチ」と呼ばれる有様であった。しかし、高速を活かした一撃離脱戦法に切り替えてからはキルレシオが逆転し、強敵と認識されるようになった。連合艦隊長官山本五十六を撃墜した機体としても有名。
 欧州では対地攻撃機としても活躍した。

初飛行:1939年4月
生産数:9,584機

 エンジンを胴体中央に装備した特異な戦闘機。
 高高度迎撃機開発の要求に対し開発。操縦席後方にエンジン装備して重量バランスの改善を図ったことや、プロペラ軸から発射する37mm砲、排気タービン装備など新機軸を多く盛り込んだ。
 試作機は高性能であったが、量産時には装備増による重量増加や排気タービンが省略による高高度性能低下に悩まされた。輸出先のイギリスでは受取を拒否され、太平洋戦域でも日本軍機に歯が立たなかった。
 しかしこの機を譲り受けたソ連では好評で、抵高度での空戦や37mm砲を使った対地攻撃などに活躍した。

初飛行:1938年10月
生産数:13,738機

 連合国各国で使用された戦闘機。
 性能的には平凡な機体であったが実用性が高く、戦争初期にも量産体制が整っていたため、他の戦闘機の補完的存在として広く使われた。
 開戦直後は日本軍やドイツ軍戦闘機相手に苦戦したものの、国外にも広く輸出され、中国戦線やアフリカ戦線、ソ連などでも使用された。
 中国国民党を支援した米国義勇軍「フライングタイガース」の機体としても有名。

初飛行:1940年3月
生産数:272機

 名機P-47に発展した戦闘機。
 リパブリック社はP-35を改良したXP-41を競争試作に提出。並行して更に改良を施したXP-43を開発した。
 XP-43はP-35を一回り大型化、エンジンに1200馬力空冷エンジンを搭載。更に高高度でのエンジン性能アップのためターボチャージャーを装備した。武装は12.7mm機銃×4。
 最速573km/hの性能を見せたが、軍は日独の戦闘機には対抗できないと判断。少数機のみ生産させ、中国やオーストラリアに送った。米軍自身はこの機に更なる改良を命じ、これがP-47へと繋がっていく。

初飛行:1941年5月
生産数:15,660機

 第二次世界大戦後期にP-51と並び、アメリカ陸軍の主力戦闘機として活躍した重戦闘機。
 大柄な機体と強力なエンジンによって操縦性や機動性は良くなかったが、頑丈で強力な火力(12.8mm機銃×8)が持ち味であった。
 航続距離も長かったことから、欧州では対独爆撃機の護衛戦闘機として活躍。また爆弾搭載量も多かったことから、戦闘爆撃機としても大いに活躍した。アメリカ以外の連合国の空軍でも使用されている。

初飛行:1940年10月
生産数:16,766機

 第二次世界大戦中最強と呼ばれる傑作戦闘機。
 開発当初は米国製エンジンを搭載していたが、イギリスのロールス・ロイス マーリンエンジンを搭載したことにより高性能を獲得。元々の優れた設計に優秀なエンジンがマッチし、大きな航続力、高高度性能、運動性、700km/hを超える最大速度を持つ最高のレシプロ戦闘機となった。
 戦争末期のドイツ空爆や日本空爆の際には多くのP-51が爆撃機の護衛に来襲し、日独の迎撃機を返り討ちにした。
 戦後も多くの国で運用された他、エアレースでもその高速を活かして活躍している。

初飛行:1942年10月
生産数:66機

 米軍初のジェット戦闘機。
 1940年頃からジェットエンジンに各国の注目が集まり、米陸軍でも開発がスタートした。ジェットエンジンの技術で専攻していたイギリスの支援を受け、1942年にアメリカ初のジェット戦闘機としてP-59は完成した。
 初期ジェットエンジンの宿命で燃費・応答性・信頼性と全てが実用以下であったが、1943年8月には量産機80機が発注された。
 機体は最高速度664km/hを発揮したが、当時の米陸軍主力のP-47やP-51には劣り、運動性能も低かっため、量産30機で残りはキャンセルとなった。

初飛行:1942年5月
生産数:742機

 強力なレーダーを装備した大型夜間戦闘機。
 ドイツによるイギリスの夜間爆撃が始まると、アメリカは夜間戦闘機開発の必要性を認識し、試作を命じた。
 双胴式の機体に夜戦用のレーダー、4連装のリモコン式の12.7mm旋回機銃を装備。12tを超える重量級の機体ながら、2000馬力の大馬力エンジンでこれを補った。また、大型機ながら軽快な運動性も持ち味だった。
 初期型は旋回機銃が原因でフラッターを起こす不具合があったが後に改善され、大戦後半の夜間戦闘や地上攻撃、夜間爆撃などに従事した。

初飛行:1942年12月
生産数:3,303機

 P-39と同様のコンセプトで設計した後継戦闘機。
 P-39は高高度能力不足が弱点であった。そこで同コンセプトのままエンジンに高高度性能の高いアリソン-V1710装備として開発されたのが本機。
 プロペラ軸発射の37mm砲と主翼の12.7mm機銃×4、660km/hの高速と層流翼が特徴。
 しかし同時期にP-51やP-47という優秀機がいたことや、航続距離の短さから米陸軍では訓練用に留まり、ソ連などへの海外輸出に回された。
 派生型に爆撃機銃手の標的用練習機RP-63がある。これは弾が当たるとランプが光る仕組みの特異な有人標的機であった。

出典avia.pro

初飛行:1939年5月(NA-50)
    1940年9月(NA-68/P-64)
生産数:13機(NA-50×7 + NA-68/P64×6)

 名作T-6テキサン練習機を元にした輸出用廉価戦闘機。
 中小国向けの安価な戦闘機としてT-6練習機を1人乗りに改修し、風防をファストバック化。7.62mm機銃を機首に装備した。
 この機体はNA-50としてペルー空軍に7機輸出され、ペルー・エクアドル戦争で使われた。
 翼下に20mm機銃を追加した重武装型はNA-68としてタイへの輸出が決定したが、輸送中に太平洋戦争が勃発。米政府により接収され、陸軍でP-64となった。

初飛行:1939年9月
生産数:146機

 海外向けの輸出用軽戦闘機。
 当初は空冷エンジンながら機首を細く絞り込んだ戦闘機として開発されたが、結局エンジン過熱が解決出来なかった。しかしスウェーデンがこの機体に興味を持ち144機を発注。機首を通常の形にして生産を開始した。
 その後、連合国以外への平気輸出が禁止されたため宙に浮いた当機はイギリスやカナダ、アメリカ西海岸の防衛などたらい回しにされた後、中華民国へと輸出された。
 平凡な機体ながら操縦性は良好であった。しかし地上滑走中の安定性が不足しており、事故での喪失が多かった。生産も少数であり、実戦参加は限定的であった。

初飛行:1939年1月
生産数:270機

 双発攻撃機A-20ハボックを夜間戦闘機に仕上げた機体。
 米軍は本格的夜戦であるP-61ブラック・ウィドウの実用化まで、高い信頼性と生存性を誇ったA-20ハボックを改造した夜間戦闘機を使うこととした。
 このP-70は数種類のタイプがあるが、ほぼ既存のA-20各型の改造で、旋回機銃の撤去、爆弾倉への20mm機銃×4搭載、機首レーダーの搭載などが主な改造点。レーダーを未装備の機体や機首に12.7mm機銃を備えた機体も存在する。
 太平洋戦線の一部で短期間使用されたが、目立った活躍は無く、P-61が完成すると直ぐに前線から引き上げられた。

初飛行:1943年11月
生産数:13機

 ゼネラル・モータースの車体製造部門であるフィッシャー社が製造した大型戦闘機。
 水冷エンジン2基を結合した双子エンジンを機体中央に置き、延長軸で機首のプロペラまで繋いでいる。また、生産中のP-40,F4U,SBD,P-51などの機体パーツを流用し、製造コストの低減も狙った。武装は12.7mm機銃×10。
 試作機はエンジン過熱や安定性不足など問題が多発。結局生産型では流用したパーツを再設計するなどして改良されたものの、現用のP-47、P-51を上回るものでは無く、極少数機のみで生産中止となった。

初飛行:1944年1月
生産数:1,715機

 戦後も各国で活躍した米軍初の実用ジェット戦闘機。
 1943年6月に計画がスタート。それから僅か半年後には初飛行に漕ぎ着けた。
 エンジンに英国製遠心式ターボジェットエンジンを1基搭載。900km/hオーバーの最高速度を発揮した。武装は12.7mm機銃×6に各種爆弾ロケット弾を装備可能。
 終戦までに部隊配備されたのは40機程度で、交戦の機会は無かった。戦後、朝鮮戦争ではソ連のMiG-15に対して性能で劣り、対地攻撃任務に使われた。
 本機を練習機化したT-33は生産数6,500機という大人気を誇り、西側諸国で広く使われた。

初飛行:1945年4月
生産数:270機

 ムスタング2機を連結させた、長距離/夜間戦闘機。
 ドイツ・日本への戦略爆撃が始まると単座の護衛戦闘機ではパイロットの負担が大きいという問題が浮上した。開発期間短縮のため、ノースアメリカン社はP-51を2機連結した戦闘機を設計。大量発注がされたが、部隊配備は終戦後となったため生産数は減らされた。
 しかしその後、初期のジェット機が苦手とした長距離戦闘や夜間戦闘を補佐する戦闘機として重用され、朝鮮戦争ではMiG-15撃墜を記録するなど活躍した。

・試作機

初飛行:1937年4月
生産数:14機(YP-37 13機含む)

 P-36に排気タービン付き液冷エンジンを装備した試作戦闘機。

初飛行:1937年9月
生産数:14機(XFM-1×1 + YFM-1×13機)

 コンセプトから誤っていた異形の他座戦闘機。
 長大な航続距離を誇るB-17を護衛する長距離戦闘機として開発。水冷エンジン2機を後ろ向きの推進式に装備。エンジンナセル前部に37mm砲の砲座を、7.62mm機銃座を機体各部3箇所に装備。更に対空小型爆弾を収める爆弾倉も備えた。
 完成したXFM-1は全幅21mの大型機ということで運動性に劣り、速度も430km/h程度しか出なかった。増加試作型のYFM-1で改良を試みたが、やはりこの大型機に戦闘機の役割は難しいという結論に達して不採用となった。

初飛行:1939年3月
生産数:1機

 P-35を改良した試作戦闘機。

初飛行:1939年
生産数:1機

 P-36のエンジン装備方法を見なおした試作戦闘機。

初飛行:1941年2月
生産数:2機

 P-40の後継を狙った試作戦闘機。
 カーチスはP-40の後継戦闘機計画を立ち上げ、陸軍からXP-46として試作受注する。
 完成した機体はP-40より一回り小型で軽量に仕上がった。エンジンはP-40にも搭載したアリソンV1710の最新型。武装は機首の12.7mm機銃×2と翼内の7.7mm機銃×8。
 最高速度660km/hを目指したが、軍の防弾強化要望などによって重量が増加し、570km/hに留まった。
 折しもP-40のD型が同じアリソン最新型を載せたところ、XP-46とほぼ同等の性能を発揮。結局XP-46は不採用となってしまった。

初飛行:1942年11月
生産数:1機

 P-38ライトニングのエンジンを強化した試作戦闘機。
 プラット・アンド・ホイットニーが開発中の2000馬力急液冷H型24気筒X-1800をP-38に搭載することで性能向上を狙った。しかし、このエンジンは開発に失敗。代替案としてコンチネンタル社製の液冷倒立V型XI-1430に載せ替えたが、こちらは1600馬力級で出力不足によってXP-49は所定の性能を発揮出来なかった。
 更にXI-1430エンジンも結局開発中止になったことから、XP-49は不採用となった。

初飛行:1941年2月
生産数:1機

 海軍のXF5Fスカイロケット試作艦上戦闘機を陸上機化した戦闘機。海軍御用達メーカーのグラマン社が唯一陸軍向けに製作した機体。
 失敗作となったXF5Fから機首の延長、降着装置を前輪式に変更。エンジンはターボチャージャー付きのR1820-67/-69を装備。武装は20mm機銃×2と12.7mm機銃×2。XF5Fについていた翼内爆弾倉は廃止されている。
 テスト飛行中にエンジンのターボチャージャーが爆発し墜落したため、開発中止となった。

初飛行:1943年1月15日
生産数:2機

 推進式に双ブーム方式という形式が特徴の大型戦闘機。
 常識にとらわれない機体設計の高性能機を求めた軍の要望に応えた機体。全長16.7mと通常の単発機の2倍近い大きな機体に37mm砲×2、12.7mm機銃×2という重武装を誇った。これを強力なエンジンで押し出す予定だったが、エンジンの開発失敗や重すぎた機体重量などが原因で思ったほどの性能を挙げられなかった。
 大戦の終結やジェット機の時代も近づいていたため、そのまま機体は不採用となった。

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