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[魚拓全文]ASKA(飛鳥涼)のブログ魚拓・全文がヤバイ件

ASKA覚醒剤事件経緯など音楽人生ブログにアップ !1月9日夜、これまでの事件の経緯などを含む、これまでの音楽人生をブログに公開した。だが、10日未明にこのブログは全編が削除され、現在はみられない状態が続いている。

更新日: 2016年01月11日

濡れ猫さん

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後に韓国スタッフが話してくれたのだが、私たちCHAGE&ASKA、そして渡部の日本でのすべての行動は「KCIA」(韓国中央情報部)に監視されていたのだった。出生、生い立ち。全て調べられていた。スキャンダラスなことが、ひとつもあってはならなかったのだ。約1ヶ月間の監視だったという。私には心当たりがあった。実は韓国政府に招待される少し前に、私の自宅側に無線機を積んだ車が1週間ほど停まっていたのだ。気になった私は知り合いの警察官に頼んで、毎日3時間おきに家の周りをパトロールしてもらった。韓国はそれほど慎重になって、日韓幕開けのアーティストを探していたのだ。その後、私たちは無事記者会見を終え、韓国でライブをやることを正式に発表した。ただ、大きな問題があった。韓国では日本楽曲のCD発売が解禁になっていなかったのだ。オンエアーもされていない。台湾ではライブ直前に解禁になった。韓国ではそうはならなかった。楽曲プロモーションが出来ない。アンダーグラウンドでは広がっていたのだが、所詮アンダーグラウンドはアンダーグラウンド。メジャー展開でのコンサートプロモーションが出来ない。急遽、我々は国外でリリースしていた「Something There」とアルバム「One Voice」をプロモーションの軸に切り替え、洋楽アーティストとして乗り込んで行った。日本国内で英語曲をリリースしたとき、多くの批判を浴びたが、あれがなければ韓国ライブのプロモーションは何も出来ないままで終わっていた。ライブは8月26,27日の2日間、1万人収容のオリンピック公園チャムシル体操競技場で行われることになった。このライブには口にできない秘話がある。これは我々が活動を引退した時に話すこととしよう。

そういうこと
そういうことでそうしておいてそうでなければそうなんだそうしたらそうは言えまいそういうわけでそうなった本当のことを嘘のように言い嘘のことを本当のように言う口に出したらただの負けつまりそういうことだ

6.リアルキャスト解散

異国でのライブを楽しむことに喜びを感じてくれるファンが、日本から約5千人、韓国へと足を運んだ。テレビや新聞などでは「半分が日本人だった」と伝えたが、それは大きな間違いだ。2日間で5千人なのだ。1万人の会場は2千5百人の日本人と7千5百人の韓国人客で、両日席が埋まった。韓国ライブのすぐ後、それまで経営してきたリアルキャストは事情によって解散した。止むことのできない事情があった。写真雑「FLASH」の報道で「韓国ライブが失敗した」と事実のように語られてしまったのだ。韓国ライブはスポンサー「NEC」「JAL」の協力を得て大成功を収めた。「FLASH」は「ライブの失敗で会社が大赤字を出したのが会社解散の原因」だと書いた。韓国ライブのDVDをリリースしなかったことが、そう思わせた原因だったのかもしれない。我々は、あの歴史的なライブをビジネスにしてはならないと考えた。自分たちのアーティストプロモーションに利用してはならないと思ったのだ。ライブから15年が経った。そろそろ全編を公開しても良い時期に入ったのではないかと考えている。憶測だけで書かれた記事が業界や世間へ、それが本当のことのように広がってしまった。ワイドショーなども信じる始末なのだ。どこも何も調べてはいない。我々リアルキャストの株主は、CHAGE,ASKA,YAMAHAで構成されていた。2000年5月にYAMAHAがレコード会社を設立することになったのだ。私はレコード会社設立に反対だった。しかし、話は軽快に進んで行った。レコード会社の役員にはリアルキャストの渡部もいた。レコード会社設立に伴って、 YAMAHAに移籍して欲しいと声をかけられた。私は「キャニオンレコード」から「東芝EMI」に移籍したばかりの身であったので、それを丁寧にお断りした。その後、「三顧の礼」ではないが、幾度となくそのやりとりは交わされた。移籍交渉をしてくる相手はデビュー間もない頃からのYAMAHAのスタッフだ。散々お世話になった。そんなスタッフの交渉にいつまでも首を横に振ることはできなかった。「分かりました。まずはソロということでいいですか?新会社だからと言って、ミスは許されません。ソロで事故が起こった場合は、すぐに他のメジャーレーベルに移籍します。母体であるCHAGE&ASKAで怪我するわけにはいかないのです。」全て納得したという発言を聞き、先のことを約束として「東芝EMI」からYAMAHAへ移籍することになった。「未来の音楽業界は冷える」「そのうちコピーの時代に突入し、やがて何らかの方法で音源がリスナーの元へ送信されるようになる」「このまま、この状態が進んで行けば『1曲10円』または『ただ』になって行くだろう。そうなれば、アーティストは消えて行く」と、ライブなどでも公言してきただけに、心中、新会社移籍は不安だった。しかし、新しいところには活気もある。ASKAソロをYAMAHAレーベル第1弾にしたいと言う。まだ、シングル曲も出来てない時であった。机上の空論ではあったが、戦略などを含めた宣伝展開など初々しくも頼もしく感じた。間もなくして、私は「good time」という楽曲を仕上げた。

リリース後、一部のファンからは「勢いがない」「暗い」など、手痛い批評も浴びたが、私の楽曲のなかでは、最もよくできた楽曲のひとつとして捉えている。今も尚、その気持ちは変わらない。ミックスダウン前に、いわゆる完パケ前にタイアップが付いた。日本テレビ「知ってるつもり」のエンディングテーマだ。通常1クール(3ヶ月)なのだが、2クールのタイアップとなった。出足は好調のように感じられた。ただ、気になることがあった。「リリース前の数ヶ月間、ラジオなどでは流れまくります。」と言われた割に反応が無い。新曲のリリースになると友人知人から、必ず「聴いた」という連絡が入るのだ。2000年と言えば、まだやっとネットが広がり始めた頃。ネット上の反応は気にしないように言われたが「新曲を聴いた」という反応がネット上に無かったことには一抹の不安を覚えた。ラジオ局にはすでに配り終えていると言う。なのに、ローテーションされている気配が無い。リリース直前に分かったことだが、ラジオ局には確かに配られていた。ただ、上層部に配られていて、いちばん肝心な現場にシングル「good time」が無かったのだ。これではかからないはずだ。そして、リリース日。友人から「シングルがショップに置いてない」という連絡が入った。買えないと言う。1週間経っても事態は変わらなかった。ネットやファンから貰う手紙にも同じようなことが書いてある。驚いたことに、ショップではインディーズ扱いになっていたのだ。只事ではない。担当を呼んで説明を求めた。担当は、ポツリポツリと語り始めた。元々2万5千枚しか用意していなかったことは、少し前に聞かされていた。余りの底枚数にショックだった。イニシャル(レコードショップの売り上げ予想予約)が付かないと言う。インディーズ扱いでは仕方がない。それでも「何故だろう」という疑問は深くなって行った。そして、更に悪いことが起こっていた。流通を怠ったのだと言う。ショップがバックオーダーをする手法がなかったということが原因だった。1枚バックオーダーをするのに、宅急便を使わなければならなかったのだ。送料だけでショップの売り上げはマイナスとなる。どこからもバックオーダーは無かった。結局「good time」は2万5千枚で終了となった。今でこそ、しっかりとした基盤を築いてるYAMAHAだが、新会社設立当時には、そういうことがあったのだ。事態を重症と受け止めた私は、約束どおり移籍の意を伝えた。これがソロで良かった。これがCHAGE&ASKAのリリースであったなら、語るに落ちる不名誉な記録だ。そして、YAMAHAを離れるにあたり重篤な問題があった。我々の事務所社長であり、プロデューサーでもあるリアルキャストの渡部がYAMAHAレーベルの役員になっていたからだ。責任の所在は当然渡部にも行く。株式も含めてYAMAHAから完全離脱した後、渡部が社長であるリアルキャストを存続させるわけには行かなくなった。誰々の所為にはしたくなかったのだ。誰かが責任を取るという方法は選ばず、みんなで会社を解散しようということになった。これが会社解散の理由だ。我々はリアルキャスト時代に、別会社として立ち上げていたロックダムに一時預かりのような形で事務所移籍をした。渡部もYAMAHAの役員を辞め、兼ねてからヘッドハンティングされていた会社の代表となった。

自分が自分であるために
したがってもはや痛みは無い新聞に載らない歴史など誰も興味はもたないのだ事のついでに生きてやろうか失ったものを懐かしいと言うな椅子に座ったまま老いるのは嫌だ立って周りを見渡しながら老いるのだここは素敵だぞいつだってそう言っていたいあかんべーを忘れるな自分が自分であるために

7.GHB

相変わらず声の調子、歌唱法はなかなか安定しなかったが、休むことはしなかった。いろんな人から休養を勧められたが、このまま休むと歌うたいの声ではなくなるような気がしてならなかったのだ。ツアーは84本、71本、51本と4年間で3ツアーを決行した。ツアー毎に左の声帯は成長している。高音はもう問題ない。ただ、私がいちばん得意とするミックスボイスを使うときに、一瞬中高域で声が割れる。いちばん多用するところだ。調子には波があった。前日に調子が良いと、翌日はつい右の声帯を使ってしまうのだ。ライブに集中するのか、喉に集中するのか。今は喉に集中しなくてはならないのは分かっているのだが、ライブに気が入るとつい右を使ってしまう。そうすると声が割れる。一長一短だった。しかし、それも2006年を境に安定してきた。意識しなくとも左で歌うようになっていたのだ。これで声が割れることは無くなった。90年代初頭、大阪でライブをやっていた時に同じく、大相撲大阪場所が行われていた。ライブ終了後、知人の相撲取りに連れられて夜の街に繰り出した。街はバブルで浮かれていた。その店のオーナーは柳田という人物だった。トロピカルな店構えをしており、そこそこ席は埋まっていた。知人の紹介でもあり、私は直ぐに柳田と親しくなった。柳田は大阪のライブの度に顔を出してくれた。決まってその夜は食事を共にした。人当たりの良いおっちゃんは話しやすかった。その後、交際は数年続く。後にこの人物とは事件を共有することになる。98年、喉を壊していた私は、そのうちオフステージの付き合いも悪くなりホテルに籠るようになっていた。寝つきも悪い。そのころ医者から睡眠導入剤「エリミン」を処方された。それを飲むと10分ほどで効果が現れるのだ。有り難かった。そんな話を友人としていたら、「GHBというのがありますよ。」と言う。「何?GHBって。」

「アフリカ産で、小さじ擦り切れ一杯を水やジュースに溶かして飲めば爆睡できるんです。」俄然、興味を持った。「どのくらい眠れる?」「3時間きっかりで目が覚めるんですけど、10時間分の睡眠がとれるんですよ。」「それって、最高じゃないか。」「オレ、今度購入しようと思ってるんですけど、一緒にオーダーします?」「頼む、頼む。すごく興味がある。」ネットで検索すると、常用性はないと書いてある。身体に良いことばかりが説明されていた。それから3週間ほどして、それは届いた。箱を開けると幅はCDくらいのサイズで縦10センチくらいの円柱型の入れ物に入っていた。容器には「gamma-Hydroxybutyric acid」と書いてある。「ガンマヒドロキシ酪酸」元々脳内にある物質GABAに変化する。副作用は「若返り」。アルコールと併用すると、効果が3倍になり昏睡状態に陥るため、併用は避けるようにと書いてあった。白い粉末状のものが容器一杯に詰めてあった。その夜、私は言われたとおり、付属されていたスプーン一杯を水に溶かし、それを飲んでみた。食塩水のような味だった。15分くらい経った頃だろうか。目が泳いできたのが分かる。景色が揺らぐのだ。と、同時に幸せな気持ちで満たされた。

「これって、あのエクスタシーの時と似てるじゃないか。」忘れていた感覚が呼び戻ってきた。それから私はそのままベッドに入った。すぐに意識はなくなり、目が覚めた時には頭がすっきりしていた。枕元の時計を見ると、きっかり3時間が経っている。「すごい!効能どおりだ。」そのように、一瞬は目が覚めるのだが、そのまま朝までぐっすりと寝直すことが出来た。私は、毎晩のようにそれを摂取した。なにせ、副作用が「若返り」なのである。しかし、それは長くは続かなかった。アメリカのFDA(アメリカ食品医薬品局)が、世界へ向けて発売を禁止したのだ。アメリカ内で GHBを飲まされた女性が昏睡状態になってしまい、レイプされたのが切っ掛けとなった。日本では2001年11月に麻薬指定となった。現在、ヨーロッパの医者たちが集まってGHBの解放をFDAに要求している。身体に良いものとして判断しているからだ。希望守るべきものを考えてみたのだが思考はメダカのようになって泳いで行った思いつく言葉を並べてみたのだが間違いだったと言わなくてはならなくなった不正解は不誠実だ生きる方向は時間の進む方向と一緒感触はないが感じることはできる裂け目が開くように夜が明け私は時間の隙間に潜り込むどんなときもちゃんとそこにあるのは分かっているのだ希望だけは始末できない

8.勘違い

2006年のツアー「My Game is ASKA」の時だっただろうか。札幌での出来事だった。私は中学1年夏から高校2年の夏まで北海道の千歳に住んでいたこともあり、札幌でのライブの時は、友人で楽屋がいっぱいになる。その日もそうだった。アポイントを取っていない友人が、突然訪ねてくるのだ。友人と話をしている時、イベンターが割って入った。「ASKAさん。斎藤さんという方がお見えになっていますが・・。」「ああ、斎藤ね。構いません。入れて下さい。」中学2年の時からの千歳の大親友が、楽屋を訪ねてきた。そいつとは、2015年5月25日から31日まで、沖縄、そして与那国島にある海底遺跡をスキューバダイビングで見てきたばかり。本当にもう長い友人だ。そんな久しぶりの友人たちとライブ後に立ち話をするのが楽しみのひとつになっている。いつもそれは1時間ほど続く。CHAGE&ASKAで訪れる際には「付き合っていられない」とばかり、CHAGEは先にホテルへ帰る。いつものことだ。話が終わると、皆友人たちはひとりひとり楽屋を後にする。少しずつ数が少なくなって行く。途中から気になっていたのだが「あの人は誰だろう?」という面会人が、楽屋の隅にいる。とうとう最後の面会人となった。どう声をかけて良いやらわからない。「えー・・失礼ですが?」「斎藤と申します。関係者口で名前を言ったら入れてもらえたんで。」斎藤違いだ・・。確かに自分が楽屋に通すよう許可した。千歳の斎藤だとばかり思っていた。「ああ、そうですか・・。」「この子が熱烈なファンなんですよ。写真一枚いいですか?」ここまで来て「勘違いだ。帰ってくれ」とは言えない。1時間以上も待っていたのだ。

「分かりました。ここへは事前にアポイントがないと入れないんです。」「そうですかぁ。分かりました。」その夜、札幌で店をやっている友人が、どうしても連れて行きたい店があるというので、バンドメンバーを誘い行動を共にした。それは、すすきのにあるビルの地下1階にあった。思うに「ASKAを必ず連れてくる」とかなんとか、言っていたのだろう。友人の顔を立てるくらいは構わないだろうと思った。特別大きな店ではなかったが、深々と座れるソファが店内を占有していた。お客さんは入っており、エントランスから入って中央奥にある柱の隣しか空いていない。我々は5人で訪れたため、ソファは狭く感じていた。すると、隣のお客さんから声をかけられた。「ASKAさんじゃないですか!」あれ・・。この人、さっきの・・。「あ、斉藤さん。」こんな偶然があるのか・・。本当に、驚いたのだ。「先ほどは失礼いたしました。狭いでしょ?こっち、こっちで一緒に飲みましょう。」私は、こういう押しに弱いのだ。すぐ隣に座っているのに無視はできない。「ここ、オレの店なんですよ。」「ええ?そうなんですか。」「いやぁ、今日のコンサート良かったなぁ。」少しお酒も入っているのか、饒舌だった。それからバンドのメンバーも会話に加わり、席を共にする形となった。「オレ、漁師やってるんですよ。」「え?店やってるんでしょ?」「そう、この店もやってるの。」「漁師さんで、店持ちですか。」

斉藤の話は独特の間が面白く。皆一緒になって笑った。「ね、直ぐに海産物送るから、ちょっと送り先書いて。」「いやいや、良いですよ。ありがとうございます。」「書いてってば。今日のお詫びも兼ねてるから。」「いやいや、大丈夫です。」「それでは、オレの気がすまないから。」押しには弱い・・。この人は引かないだろう。その時、私は事務所の住所が出てこなかった。事務所の住所などを書く機会がないため番地までは知らなかったのだ。同時に、事務所に魚が届いても迷惑になるだろうと思い、仕方なく自宅の住所を書いた。電話番号は事務所にした。東京に戻り、3日ほど経つとクール宅急便が届いた。送り名は「斉藤和夫」となっている。「和夫って言うんだ・・。」二段重ねになった発泡スチロール箱の中には、北海道から海産物がびっしりと詰められていた。私は迷ったが、やはりお礼の電話はしなくてはならないだろう。家の電話を使おうとしたのだが、教えた番号とは違う。警戒したと受け取られると嫌な気持ちにさせるだろう。私は携帯から電話をした。「いいから、いいから。今度札幌に来たときには、また一緒に飲もうねぇ。」「ええ・・。その時にはまた。」それから斉藤は、ちょくちょく電話をかけてくるようになった。雰囲気を作るのが上手い人で、こちらもついつい乗ってしまう。飲んでいる席からの電話が多かった。そして2009年、「CONCERT TOUR WALK」で再会することになる。ライブはいつもどおりだった。食事後、電話が鳴る。「ASKA? 斉藤だけど、ちょっと一緒に飲まない?」

別に予定の無かった私は、勘違いから知り合う切っ掛けとなった、その千歳の斉藤やバンドメンバーを連れて合流した。指定された場所にタクシーで向かうと、信号機の側にもう斉藤は立っていた。「久しぶり。ってな感じじゃないか。電話で話してるもんね。」と、私が言う。「そうだね。こっちこっち。」前回遭遇した店ではなかった。「ここ、オレの店なんだよ。」「はい?ここもそうなんだ?」斉藤も友人連れだった。「いやー、魚が捕れなくってさー。」「それで、こっちで稼いでるんだ?」「そう。」すすきのに2軒も店を持っていることに驚いた。漁師さんというのは稼いでいるものなんだなと感心したのだ。実業家として成功しているのかもしれない。いったい、どれくらいの大きさの船に乗ってるんだろう・・。メンバーにも気を遣ってくれる。メンバーが楽しそうだと私も嬉しい。1時間ほど居ただろうか。「斉藤さん、そろそろ帰るよ。」「すみません。ここ会計お願いします。」すかさず、斉藤が、「ここはいいから。オレに奢らせて。」「いやいや、困る。ちゃんと取ってもらわなきゃ。」私は、タニマチのような付き合い方はしたくなかった。自分の分は自分で払う。従来、奢られるのが苦手なのだ。「そっか。悪いねぇ。ありがとう。」店を出てメンバーはホテルへ。私は札幌に持っているマンションへと帰った。

そのマンションでは、度々作曲合宿が行われる。メンバーと泊まり込みで音楽漬けになるのだ。「UNI-VERS」「SCRAMBLE」「いろんな人が歌ってきたように」他、未発表曲など、みんなここで作られた。私のメロディの思いつきで、アレンジも同時進行で進んで行く。ギターの鈴川は食事も担当してくれる。これがプロ並みで、食事も作曲合宿の醍醐味だ。そんな札幌滞在中に偶然斉藤から電話が鳴った。不思議と滞在中に連絡がある。「斉藤さん、本当は航空会社にでも勤めてるんじゃないの?」「なんで?」「あんまりにビンゴだからさ。いま札幌にいるんだ。メンバーも一緒だよ。」「それなら、出てきてくれなきゃ。」メンバーに聞く。「ちょっと休憩しようか。缶詰状態だもんな。」「顔出して帰ってこよう。続きはその後で。」指定された店に行くと、斉藤はひとりだった。「よう、ASKA。」「斉藤さん、鼻が利くねぇ。」「ここ斉藤さんの店だったりして。」「そうだよ。」メンバーも驚いてる。「店、何軒持ってるの?」「わっかんねぇ。」「船には乗ってないんじゃいの?」「ああ。しばらく乗ってないなぁ。」この時、何かが変だと思わなければならなかったのだ。ひとりの漁師が、すすきのに分からないほど店が持てる訳がない。話の中で著名なベテランシンガーの名前なども飛び出した。

「ええ?○○さんと知り合いなんだ?」「ああ、一昨日も飲んだばっかり。あいつ、カラオケが好きで止まんねぇんだよ。ずーっとひとりで歌ってる。」この人、何者なんだろう・・。話は面白いし、気は優しいし、まぁただのよく言う芸能人好きなのかもしれないなと思ったのだ。小一時間ほどして、帰ることになった。「ASKA、オレの車使って。」「いやいや、タクシーで帰る。」「もう、運転手に言ってあっから。」運転手・・。外に出ると白のメルセデスの前で、スーツを着た青年が立っていた。「困ったなぁ。」「大丈夫。こいつもじっと待ってるより、運転してた方が楽なんだから。」「ASKA、マンションでしょ?」我々は、送ってもらうことになった。「いつまで、居るの?」「明後日ぐらいかな。オレはもう一泊する予定だけど。」「それじゃ、そのときまた連絡するよ。」部屋に戻ってからの話は斉藤の素性についてとなった。「ただ者じゃないよね。」「この不景気なときに、羽振り良すぎだと思いませんか?」「確かに・・。」「でも、○○さんや○○さんも知ってるって言うし、危険な感じはしないですよね。」「ヤクザだったりして。」「いやー、そりゃないだろ。あのキャラは。宝くじでも当てたんじゃないか。」斉藤談義は尽きなかった。「さ、そろそろ続きやろっか。」

予定の日数を終え、とっ散らかった部屋は元どおりに片付き、メンバーは東京に戻った。私ひとりが残る意味はさしてないのだが、この部屋の空間が好きなので、いつも最後はひとりになってから帰る。友人が遊びに来ることも珍しくはなかったのだ。その夜は、ひとりだった。11時過ぎに電話が鳴った。斉藤だ。「ASKA、何してるのー?」「いや、別に。ボーっとしてた。」「出て来ない?」「いいけど。今日はちょっと眠たいかな。」「少し。少しで良いから。」私は伝えられた住所を書き留め、そこに向かった。斉藤は今日もひとりだった。女の子が隣に着く。「ここも斉藤さんの店?」「そう。」もう驚きはしなかったが、疑問があった。斉藤はいつも女の子をからかって遊んでいるのだが、女の子はオーナーと会話している風ではないのだ。俗に言う「タメ口」で対応している。緊張も何もしていない。ひとりのお客と接しているようにしか見えない。しかし、斉藤は自分の店だと言う。本人が言ってるのだから、そうなのだろう。その夜は、また送ってもらうことになった。車に乗り込むと私は運転手の青年に言った。「悪いねぇ。ごめんね。」「いえいえ、自分光栄っす。」いかにも若者らしい、口ぶりだった。「斉藤さん、稼いでるんだねぇ。」「いやー、最近はしのぎが厳しいっすよ。」しのぎ・・。しのぎってなんだっけ・・。時々聞く言葉ではあるが、イメージが沸かなかった。「『しのぎを削る』とか言うよなぁ。」部屋に戻り、やけに「しのぎ」が気になるので、パソコンの電源を入れた。検索をする。「しのぎ」{シノギとはヤクザ・暴力団の収入や収入を得るための手段のこと}嘘だろ・・。斉藤。ヤクザ・・。オレの店。しのぎ・・。「オレの店」とは「オレの管轄する店」という意味・・?

あの日、「店、何軒持ってるの?」と聞いたとき、「わっかんねぇ。」と、答えた。張り詰めた袋に針を刺して、圧を抜かなくてはならないような気持ちになった。小学校の同級生で、一緒に剣道をやっていた友人がヤクザになった。あいつが死んでからもう何年になるのだろうか・・。そんなことを考えていた。だが、斎藤がヤクザと確定した訳ではない。そんな素振りは見せられていない。「しのぎ」には、別の意味もあるかもしれない。今は直接何か惹起されたわけでもないし、あまり考えるのはよそうと思った。それから少しして、こういうことがあった。「ASKAちゃん。斉藤だけど。」「久しぶり。」「今度、また店を出すんだけど、花をお願いしてもいいかな。」「ごめん。斉藤さん。そういうのやってないんだよ。」「そうか。分かったよ。また札幌においでね。」「ああ。ありがとう。」偶に、地方でお店の前に「ASKA」や「CHAGE&ASKA」で花が飾られていることがあるが、あれは勝手に名前を使われているだけで、我々とはまったく関係がない。冠婚葬祭以外で花を出すことはない。

ひと時の静
ひと日の動
百年の闇
千年の光
一億光年の歌
僕は宇宙にさまようひとつの星屑誰に向かって歌えばいいのか

9.飯島愛

仕事柄と言っては同業者からクレームが付くだろうが、私は完全な夜型人間だ。物事の発想や創作のほとんどは、真夜中の部屋で生まれる。仕事部屋は完全防音なので、それを知っている友人は朝方4時だろうが5時だろうが、気兼ねなく電話を掛けてくる。「飯島愛」もそうだった。決まって真夜中だった。電話に出ると、普通「もしもし」から会話が始まるのだが、彼女は「ねぇ、今日ちょっとさぁ。」や「今ねぇ。」など、突然喋ってくる。彼女と会話が始まると、普通に1時間くらい電話を握っている。私は、殆ど相づちを打つくらいで、多くは彼女の話を聞いていた。99年の「電光石火ツアー」を観に来てくれたのが切っ掛けで友達になった。彼女の人の心理を読み取る力や洞察力など、本当に驚かされることが多かった。芸能界を辞めることを考えていたときなどは3時間以上説得したものだ。「私、ほらこれと言って何も芸があるわけじゃないでしょ。今だけというか、今ギリギリなんだよね。マジもう飽きられるから。」「オレは、飯島愛のポジションって他に居ないと思うんだよね。いいじゃん、好きなこと言ってりゃ。もったいないって。」「いえいえ、これからは実業家よ。」「愛ちん、何するんだ?」「例えば、飯島愛のポルノショップって面白いと思わない?」「そんなの芸能活動続けながらできるじゃないか。」「いえ、本気でやるのよ。タレントショップみたいのじゃないんだから。」

彼女は自分でも言っていた。「私、学歴は無いけど、知恵で勝負だから。」本当に頭の回転の速い人だった。中学時代には都内の実力テストで11番になったことがあるということも話してくれた。そんな彼女から楽曲の依頼があった。著書「プラトニックセックス」が映画化されるという。その中で主人公が愛して止まなかった曲という設定で、サウンドトラック用のインストルメント曲が欲しいという。「なんか、いろいろ聴いたんだけど、これっていうのがないのよねぇ」「出来れば新曲が良いんだけど、いまある曲でも構わないから何か無い?バラードで、アカデミックな曲が欲しいんだけど。」「どのくらい時間ある?」「もう撮影に入っちゃうから、直ぐにでも欲しい。」「新曲っちゃ新曲なんだけど、次のシングルに決まってる曲があってね。その曲のメロディが気に入ってて、インストを作りたいと思ってたところなんだけど聴いてみるかい?」「じゃ、それ頂戴。」「聴いた方が良いだろ?」「良くなるって勘がするのよ。決まりそれ。」「事務所や監督と話した方が良いんじゃないか?」「とにかく決まり。私が決定だから。それから、クレジット隠さない?」「なんで?」「飯島愛と友達ってカッコ悪いと思うのよね。」「そんなことない。むしろオレは尊敬してる部分が大きい。堂々と言えるな。」「いや、隠した方が良いって。アーティストイメージ良くないから。」

「あはは。分かった。プロデューサーは愛ちんだから任せるよ。」こういう経緯でCHAGE&ASKAの「C-46」という楽曲は、映画「プラトニックセックス」のメインテーマ曲「from silence」となった。アーティスト表記は当時ツアータイトルであった「NOT AT ALL」にした。2007年の夏だった。珍しく昼間から電話をかけてきたので覚えている。声がいつもの飯島じゃない。「どうしよう。私盗聴されてる。」「どうした?」「私の行動、発言全部筒抜けになってる」「相手は誰だか分かってる?」「分かってる。」「この相談も、聞かれてるんじゃないか?」「聞かれてる。」完全に声が脅えてる。なんとか落ち着かせようとした。「ASKAさん、盗聴発見器持ってるって言ったよね?」「あるよ。」ツアー先のホテルに泊まるときに、発見器を鞄に詰めることがある。実際、それで発見したこともある。九州のホテルでは、カメラが仕掛けられていた。真夜中にホテルのマネージャーを呼んで認めさせた。赤外線ワイヤレスカメラだった。飯島とはそんな話もしていたことがあったのだ。「わかった。知り合いの刑事さんと愛ちんのところへ行くよ。」剣道仲間の牧田刑事だった。私は牧田さんと初対戦したときに1本も取れなかった。ボコボコにやられたのだ。上段構えをする人だった。私は、過去上段には一度も負けたことがなかったのだ。そんなことは生まれて初めてのことだった。都内の警察大会で優勝したことのある人だった。きっとあの人なら秘密も守ってくれる。「なるべく早く、3人のスケジュールを合わせようか。」牧田さんに事情を説明すると、次の非番の日をくれた。私も飯島もそれに合わせた。

飯島の部屋は渋谷の高台にある高層ビルの最上階にあった。部屋の玄関を入ると、ゆったりと幅を取った長めの廊下。その奥のドアを開けると広いリビングがあった。「すごいねぇ。街並み全部見下ろせるじゃん。」「それで決めたの。」「女の子ひとりでこれは広すぎるんじゃないか?」率直な感想だった。「私、部屋に居るのが好きで、あんまり外に出ないの。」意外だった。どこにでも顔を出しているイメージがあったからだ。飯島に牧田さんを紹介し、早速探索に入った。私が探していると、牧田さんが声をかけてきた。「ASKA君、そこには無いから。」「そうなんですか?」「盗聴マイクやカメラなんていうのは、仕掛けるところがだいたい決まってるんだよ。今いちばん危ないのがネジ。」「ネジ?」「我々も使うんだが、ネジの真ん中にレンズが付いててね。じっと覗き込んでも。まず分からない。」「へえ。」飯島と顔を見合わせた。流石プロだ。しばらくして飯島が牧田さんに歩み寄る。「牧田さん、昨夜天井裏を人が歩いてる音がしたから、すでに外されてると思います。」「オレたちが来るのを知っててもおかしくないもんな。」「愛ちゃん、脚立ある?」牧田さんが聞く。脚立は無いだろうと思っていたら。「あ、はい。あります。」工具やら何やらすべてあった。こういうところが何だか笑えるのだ。牧田さんは脚立を部屋の中央に置くと、天井の蓋を開けた。「ああ、これ持って来いの天井裏だね。」私も交代で天井裏を覗いてみた。人が腰を少しかがめば歩けるくらい高く広いスペースがあった。一通り探索して、牧田さんは飯島と喋っている。「愛ちゃん、昨夜の天井裏のことは分からないけど、いまこの部屋に盗聴機は無い。心配しなくてもいい。」飯島は不服そうな顔をしながらも、安堵のため息をついた。「それよりも、愛ちゃん寝なさい。」「え?」「寝てないだろ?」「もう、二日以上寝てないんです。」「心の病気、一歩手前だよ。」

無理もない。誰かに監視されていながらの生活だったのだ。「愛ちゃんね。オレはイメージだけであなたを誤解してた。こんな良い子だと思わなかった。ASKA君に頼まれたから来たんだけど、これから何かあったら、すぐにでも連絡しなさい。」牧田さんは、一枚の名刺を飯島に渡した。2時間ほどの出来事だったが、牧田さんが飯島を理解してくれたことが嬉しかった。飯島は「Youtube」がまだ話題になってない頃から「これからは素人が作る映像の時代よ」と、言っていた。「私、バンバン動画を撮ってるの。」「どうするんだ?それ。」「いまからはブログでもどこでも、ウェブで公開するようになるから。」それがインターネットの主流になるのだと言う。実際、いまそうなっている。そして、撮り溜めて行った動画のテープが整理しきれないくらい増えたのだと言う。その盗聴騒ぎの時だった。誰かが部屋に侵入した形跡があると連絡してきたのだ。「部屋の物の位置が変わってたり、撮り溜めたテープが無いの。」「間違いない?」「間違いない。」「思い当たる人は?」「ごめん。それは言えない。盗聴を疑ってる人がひとりだけいるんだ。」話が現実味を帯びて来ている。その後、飯島はホテルに泊まったり、友人宅を泊まり歩いていた。それから半年以上連絡は無かったと記憶している。彼女の死はあまりにも突然だった。本当に「イイヤツ」だった。大好きな友人だった。亡くなる数日前に、元気なメールを交わしていたのだ。「ASKAちゃん、何やってるのー?」「いま香港。」

「あら、お仕事やってるのね。頑張ってね。バイビー。」この数日後に肺炎でこの世を去るなんて・・。未だに、突然真夜中に電話がかかってくるような気がしてならない。「ゴメーン。実は死んでないのぉ。隠れちゃったー。」なんてことを言って来そうだ。もし、そうだとしたら怒らないから電話して来なね。愛ちん。そんな彼女が、ある時期からパソコンに過敏になった。パソコンに脅えていたのだ。「ね、パソコンって怖いんだよ。何でもできるって知ってる?」「できるだろうね。」「電源切ってても、遠隔で盗聴できちゃうんだよ。ASKAちゃん、気をつけた方がいいよ。これ忠告。マジだから。」私は笑いながらそれを聞いていたのだが、その後私の人生を変えてしまう出来事が起こる。今更言うことではないが「週刊誌」や「スポーツ紙」「インターネット」は本当に残酷な一面を持っている。何もないところから話を作りあげる。飯島のドライバーだった人物が私のドライバーと同一人物で、その人物がいろいろ告白したなどと週刊誌に書かれ広まってしまっているが、そもそも私には過去ドライバーなどいない。そんな人物など存在しないのだ。妻が私の暴力に耐え切れず警察に密告しただとか、ヤクザに和解金を払って手打ちしただとか、チクって脅えて暮らしているだとか、コップを投げつけて暴れただとか、妻に土下座しただとか、CHAGEに「そんな変なもの止めろ!」と、言われただとか、新宿のニューハーフと交際していただとか・・。そのニューハーフの名が「夏樹」?是非、目の前に連れてきて頂きたい。また、銀座のホステスに事務所が手切れ金を200万払っただとか、麻布で女子アナをナンパしただとか・・。「女性自身」などは、私に「10円禿げができている」だとか、最も写りの悪い写真を選び、それを加工し、横に引き伸ばして激太りなどと書いた。全くタチが悪い。どれもこれも全部メディアの作り事だ。どれひとつ認めるものはない。私が何も発言しなかったことから「これはやり易い」と、思ったのかもしれないが、発言する時期ではないと控えていただけだ。バカバカしい記事は無視するが、今後度を超えるようなら、しかるべき対処をする。

あなた
あなたはあなたであることをあなたは知らなかったあなたは僕のメリーポピンズでいつも驚きを振りまいた郊外電車のようにカタコトと人生を走り明日のような顔をして昨日を悔やんでたあなたが誰であり何なのか僕には最後まで分からなかった夢はかたち見えないかたち夜空いちめんに蒔いた星屑の瞬きのように語ったお話は何だったのだろうか夢の材料は確かにあったそれは僕にも見えていた気がする遠い遠い空の向こうにやがて僕も行くだろうそのとき聞きたいことがある

10.盗聴

時同じく、女友達が「ネット盗聴」「集団ストーカー」被害に遭っていた。誰に相談しても信じてくれないのだという。私もそうだった。「単なる気のせいだ」と、言ってしまったのだ。「何をやっても聞かれている」「生活のすべてを見られている」と言って聞かなかった。「もう、生きていけない」と言っていた。本気だったのだ。間もなくして彼女は自分の命を絶った。私は友人のサインに気づいてあげることができなかった。ある日、彼女の友人と名乗る女性が、友人を介して私と連絡を取りたいと言ってきたのだ。私は、その女性と数時間電話で話をすることになる。いろんなことが分かった。俄には信じがたいが「集団盗聴盗撮」「ネットストーカー」に巻き込まれていたのだった。ネット検索をしてみたら、事実「集団盗聴」「集団ストーカー」に苦しんでいる人たちが多く存在していた。私は亡き友人を死に追いやった犯人を突き止めようと、パソコンの前に座り続けた。いくつかの手がかりになる情報を得たからだ。単なる自殺で終わる話ではない。これは殺人だ。知人の警察官に事実を伝え相談したが、証拠が出て来ない限りお手上げなのだと言う。ある日のことだ。情報を元にネットサーフィンをしていたら、気になるページがあった。私が、その日に電話で喋ったことや、行動に酷似したことが、克明に書かれているのだ。毎日、毎日それは続いた。電話の内容などはすぐに書き込まれていく。偶然だとは思えない。「盗聴・・?」周りに話しても誰も信じようとはしない。誰かに監視されている。そんな時、ロックダムの社長尾崎が私の部屋に来た。大事な話をする前に、現在の状況を伝え、お互い携帯電話の電源を切ってからテーブルに着いた。2時間ほどの会話だった。翌朝、携帯にメッセージが入っており、その留守録を聞いてみた。するとそこには、前日尾崎と打ち合わせしていた会話が残されていたのだ。「これ、オレたちだ!」

昨日の会話だ。第三者にも確認してもらった。「これ尾崎さんの声じゃん。」あの時電話は確かに切って合ったので、ふいに電話の録音ボタンを押したとしても機能するすはずがない。着信履歴を確かめると、見覚えのない番号があった。午前8時頃の着信だったと記憶している。「080○4○3○204」と、記録されている。メッセージが残された時間だ。私は、折り返し電話をした。「もしもし。電話をいただいた者なのですが。」「えっ!? 何ですか・・?」「いま、電話を頂きましたよね?」「・・。いえ、してませんけど。」「着信で折り返し電話差し上げているのですが。」「いえいえ、知りません。」相手がしらばっくれる以上、話しても無駄なので取り敢えず電話は切った。変だ。着信をそのまま折り返したのだ。相手は、不意に間違って繋がってしまったのではない。ひとつずつナンバーを押しながらかけてきたのだ。そうでなければ、相手の携帯に私の携帯ナンバーが保存されてあったと考えても良い。どちらにしても目的を持ってかけて来たのだ。例えば、間違えて繋がっただけなら、盗聴したものが流れるはずはない。その瞬間の相手の雑踏が録音されるだけだ。そうではなく、前日の部屋での会話を送ってきた。真意は解らない。ひとつ言えることは。発信ダイヤル設定をオフに仕損なったか、オフにすることを忘れて電話をしてきたということだ。盗聴は、この人物に限りなく間違いはないのだが、ただ決定的な証拠がない。私はこの電話番号を記録保存した。そのうち携帯を持っていると家の中の会話も書き込まれるようになった。家族との会話が公開されるのだ。ツイッターだが、そこにリンクを張っている連中のところはどれも盗聴の内容で埋められていた。ある朝、携帯の前で、「オマエら、いい加減にしろ!何が楽しいんだ!」こう、怒鳴ってみた。すると、「さあ、今日なんと神のお声を頂きました。」と、書いてくる始末なのだ。電話の電源を切っていてもダメだった。また、友人に送ったメールの内容を読んだ感想をことごとく書かれる。同級生で刑事の友人に相談をした。「考えすぎだ。そんな事例はない。偶々行動や発言がリンクしているんだろう。日本のデジタル電話の波形は解読できない。」と言う。会社の連中も真に受けない。これだ。友人が死んだのは・・。

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濡れ猫さん

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