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romonさん

ゴッホ耳切り事件

生年月日:1853年3月30日

出身地:オランダ南部のズンデルト

感情の率直な表現、大胆な色使いで知られ、ポスト印象派の代表的画家である。フォーヴィスムやドイツ表現主義など、20世紀の美術にも大きな影響を及ぼした。
(Wikiより)

ゴッホ自身はこの事件について記憶にないようであり、何も語っていない。

ゴーギャンとの共同生活

生年月日:1848年6月7日

出身地:フランス共和国パリ

フランスの画家で19世紀のポスト印象派をリードした。ゴーギャンは色彩における大胆な実験を行い、20世紀の近代美術と現代美術に直に影響を与えた。
(Wikiより)

生い立ちや性格だけではなく、絵画表現も大きく異なる2人の画家は、1888年に南仏アルルで約2カ月の共同生活でともに制作し、時には激しい議論を重ねながら刺激を与え合った。

共同生活は最初は順調だった。二人は切磋琢磨しながら仕事に打ち込んだ。やがで個性と個性がぶつかり合い、のっぴきならない事態におちいる。

「僕とゴーギャンの議論はひどくピリピリしている。僕らの頭は疲れ果てている。ゴーギャンはアルルに、この黄色い家に、とりわけこの僕にがっかりしたのだと思う」

ゴッホが弟に送った手紙より

事件発生

ゴーギャンはアルルを去ることを決意する。理想が崩れ、孤独と絶望の深みに落ちていくゴッホの精神は徐々に平静さを失っていった。

二人の間に決定的な事件が起きる。町へ出たゴーギャンの後を追ってきたゴッホはその手にカミソリを握りしめ、突然切りかかろうとした。

その気配に気づいたゴーギャンが振り向きにらみ返すと、ゴッホは思いとどまってその場を立ち去る。部屋に戻ったゴッホはそのカミソリで自分の左耳を切り落としてしまう。

切った理由

1889年1月にゴッホによって描かれた絵画。「耳を切った自画像」と表記されることがある。アルル在住時にいわゆる「耳切り事件」の直後に描かれたものだと言われる。
(Wikiより)

ゴッホは、ゴーギャンと関係が悪くなって「待って!」という感じで、感情的になり耳を切った説。

高橋克彦の「ゴッホ殺人事件(小説)」ではテオ(ゴッホの弟)の奥さんに「もう資金援助はしない」と言われたのが耳切り事件の原因ではないかと書かれている。

その後

ゴッホはアルルの病院に送られ、ゴーギャンはアルルを去った。2人はその後二度と会うことはなかった。

絶縁したわけではなく、手紙でのやり取りは続いた。

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