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【動画】「零戦」が再び日本の空を舞う!ロマン溢れる大計画が始まった

日本人の所有する「零戦」が国内で初めて飛行することが決定しました。この飛行はゼロエンタープライズ・ジャパンが進めている「零戦里帰りプロジェクト」の第一歩となるものです。同プロジェクトは飛行可能な零戦を国内に持ち込み、そのまま動態保存するというこれまでに前例の無い意欲的なものです。

更新日: 2016年01月27日

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「零戦」が再び日本の空を舞う日がやってきた

日本人の所有する零戦が再び日本の空を舞う日がやってきました。

第二次大戦中に一万機以上生産された零戦ですが、現在でも飛行可能な状態にあるものは僅か数機しかありません。国内に現存する機体は全て静態保存されているものであり、飛行可能な機体は全てアメリカに駐機されています。そのうち日本人が所有するのは僅かに一機だけです。

その唯一のオーナーである石塚政秀氏が「零戦を日本で動態保存する」という計画を進めています。約10年に及ぶ長い年月と数億円もの資金を投じた一大プロジェクトがついに大きな一歩を踏み出そうとしているようです。

昨春、海上自衛隊鹿屋航空基地(鹿児島県鹿屋市)に運び込まれ市民向けの公開飛行の機会を待っていた零式艦上戦闘機(零戦)が27、28の両日、同基地で試験飛行することが決まった。

同機は2014年11月に日本へ入国し、海上自衛隊鹿屋航空基地内で管理、2015年7月にはエンジン始動テストを開始していた。

第二次世界大戦で活躍した零式艦上戦闘機

用途:戦闘機
分類:艦上戦闘機
設計者:堀越二郎
製造者:三菱重工業
運用者:大日本帝国(日本海軍)
初飛行:1939年(昭和14年)4月
生産数:10,430機
運用開始:1940年(昭和15年)7月
退役:1945年(昭和20年)8月
運用状況:退役

零式艦上戦闘機とは、大日本帝国海軍によって運用されていた艦上戦闘機である。通称は零戦、ゼロ戦。また、連合国側からはゼロファイター、ジーク(Zeke)とも呼ばれていた。

日中戦争及び太平洋戦争前半はその運動性能と航続距離を生かし、敵戦闘機を圧倒したといわれる

1945年の終戦までに、同社と中島飛行機(現在の富士重工業・SUBARU)により約10,000機と、日本航空機史上、最も多く生産されました。

現在でも飛行可能な零戦は世界を探しても数機しかない

飛行可能な零戦は世界中を探しても数機しか存在しておらず、その殆どが米国人の所有であるという。

その"日本国籍"の零戦を日本で飛ばそうという計画が進んでいる

そんななか、零戦を再び日本の空に飛ばそうとしている人々がいます。計画名は「零戦里帰りプロジェクト」

計画を進めるゼロエンタープライズ・ジャパンの石塚正秀取締役が米国に保有する零戦を国内に持ち込み、飛行可能な状態で保存する――という「零式艦上戦闘機 里帰りプロジェクト」

旧軍の戦闘機が日本を再び飛ぶこと自体は、これまでしばしばありました。しかし「日本で飛ばし続けよう」という試みは、全てが頓挫しています。

しかし今回、ついに「零戦を日本で動態保存する」という難事業が、前人未到の一歩を踏みだそうとしています。

きっかけは石塚政秀氏が飛行可能な零戦と出会ったことである

きっかけは、その中心人物である石塚政秀さんがアメリカで雑誌のライターとして取材中に、飛行可能な零戦の機体と出会ったことにさかのぼります。

19年半ば、石塚氏のもとを、北海道小樽市の関係者を名乗る男性が訪れた。博物館で展示するために、零戦を入手したいが、その交渉を手伝ってほしいという依頼だった。

零戦を保有する米カリフォルニア州の有名バイクレーサーと売買契約を結んだ。彼が所有する機体は、パプアニューギニア・ラバウル近郊に放置されていた零戦22型で、米国人が1970年代に入手し、飛べるように復元していた

だが、契約後にリーマン・ショック(2008年9月)が発生した。男性が持ち掛けた零戦展示構想は、景気悪化のあおりを受けて、中止になったという。

「それなら、日本で零戦を飛ばそう」

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