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【あさが来た】あさの東の師匠、渋沢栄一ってどんな人?

五代さんが亡くなって、五代ロスの人も沢山いますがあさも当然その一人。そんなあさに東の師匠が現れた!

更新日: 2019年04月09日

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gahi_gahiさん

■あさの西の師匠”五代友厚”が亡くなった・・・

NHKの連続テレビ小説 『あさが来た』(月~土 前8:00 総合ほか)で、ディーン・フジオカ(35)演じる“五代様”こと五代友厚が亡くなったことを受け「これから五代様が見れなくなると…」と涙。また、ネット上でも「仕事休みたい」「朝からつらい」などの悲鳴が相次いだ。

死因は糖尿病でした。
働き過ぎていたから、少しでも早く休んでいたらまた違ったのかもしれませんね。

でも、あと2か月なのにー

五代さん亡くなったのに今テレビに映ってるし不思議だ

金曜日の五代さんの亡くなった回のビデオを再度見たら、あさイチのオープニングで有働さん消えてたんだ! #あさイチ #あさが来た #五代ロス pic.twitter.com/pLt92cREMn

■視聴者もロスだけど、当然道を照らし続けてもらったあさが一番の五代ロス

幼少の時に知り合い、旦那様の新次郎とはまた違った交流を続けていたあさに与えられた影響は大きい。

「あさが来た」の劇中ではヒロインで大阪の両替商・加野屋の白岡あさ氏にひそかに思いを寄せながら、しだいにあさの夫・新次郎氏ぐるみで心を通い合わせる仲となっていった。五代氏亡きあとの白岡夫妻、大阪財界の動向が注目される。

■そんなあさの前に、新に”東の師匠”が登場

『 東の渋沢、西の五代』の東の人

渋沢栄一は「東の渋沢、西の五代」というように、五代友厚と並び称され、
明治維新後に日本経済界に多大な功績を遺した人です。

あさが来たでは、三宅裕司さんが演じます。

第一国立銀行や東京証券取引所などの設立に一役買った“日本資本主義の父”渋沢栄一役には、コメディアンで俳優の三宅裕司さん。

バラエティなどでおなじみの三宅さんの朝ドラ出演は、
1996年の『ひまわり』以来19年ぶりです。
渋沢栄一は言わずと知れた明治から昭和にかけて活躍したの大物実業家で、日本資本主義の父とまで言われている人物です。

■実はあさが本当に頼りにしたのは渋沢さんの方だった?一体どんな人?

天保11年(1840)~昭和6年(1931)

【あさが来た】これからのことも含めておさらいしておきましょう へぇさん (辻本茂雄) のモデル  中川小十郎→1866年生 三宅裕司が演じる  渋沢栄一→1840年生 武田鉄矢が演じていた  福沢諭吉→1835年生 おディーン様  五代友厚→1836年生 #あさが来た

あ、キャラクターと各俳優さんの年齢差。。。

天保11年(1840年)2月13日、武蔵国榛沢郡血洗島村(現埼玉県深谷市血洗島)に父・渋沢市郎右衛門元助、母・エイの長男として生まれた。幼名は栄二郎。のちに、栄一郎、篤太夫、篤太郎。渋沢成一郎は従兄。

江戸時代末期(幕末)から大正初期にかけての日本の武士(幕臣)、官僚、実業家。第一国立銀行や東京証券取引所などといった多種多様な企業の設立・経営に関わり、日本資本主義の父といわれる。

500以上の産業を興すとともに、77歳からは社会福祉、国際親善、教育、労使関係など、600以上の社会事業に奉仕した。

▼あさの本当の師匠らしい

渋沢さんは技術面の師匠、五代さんは心の師匠ってところでしょうか。

ドラマ「あさが来た」では、あさの新しい商売の師匠になったのは五代友厚という設定になっていますが、
本当のところの広岡浅子さんは、大阪の五代友厚よりも、こちらの渋沢栄一を頼りにし、銀行創立を前に、手紙を出して面会を申し込んでおりました。

なかなか返事が来なかったのですが、大阪に用事がある日に会ってくれという。
渋沢いわく銀行経営はお金ではなく信用が第一で、お金は扱う人の器量の大きさにしたがって動く、だからこそ経営者が誠実に商いをして信用をつけることが大切だと彼はいう。

■元々は商人ではなく、農家の出身

渋沢家は藍玉の製造販売と養蚕を兼営し米、麦、野菜の生産も手がける豪農だった。原料の買い入れと販売を担うため、一般的な農家と異なり、常に算盤をはじく商業的な才覚が求められた。市三郎も父と共に信州や上州まで藍を売り歩き、藍葉を仕入れる作業も行った。

大農家の長男として生まれた栄一は、少年時代から藍葉を仕入れる際に現実的な商業才覚を見せたと言われています。尊皇攘夷の思想を持っており、倒幕への計画を企てます。

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