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daiba49さん

「非常に保守的」を自称する人たちの青年期の平均IQは95でありながら、「非常にリベラル」を自称するものの青年期の平均IQは106である。

同様に、宗教は自然現象の背後にある意図を見出し、「神の手」を見る傾向性の副産物である。「人間は、進化的にパラノイド(過大に妄執的)になるようデザインされている。そして妄執的であるために神を信じる」と金沢氏は述べている。

妄執的である生得的バイアスは、自己保存や家族の保護に有利になり、あらゆる潜在的な危険性に対して極端な警戒的になる。「よって、より知的な子供たちは、神を信じる自然な進化傾向に逆らって育つ可能性が高くなり、無神論者になります」。「非常に宗教的」を自称人たちは、青年期に平均IQ97でありながら、「全くない宗教でない」と自称するものは、青年期の平均IQが103となる。

より知的な人々は社会的価値観や宗教、政治において、人類の進化の歴史の中で新しい嗜好性を示す著しい傾向がある。具体的には、リベラルと無神論、そして男性(女性ではない)における性的独占性は、知性の高さと相関関係にあると新たな研究で明らかになった。

聖書をコーランと偽って街行く人に読ませたらどんな反応をするのか?という社会実験が海外で話題を集めていたので反応をまとめました。実験では聖書のカバーをコーランに差し替え、聖書のとんでもない一節を紹介するというものになっています。

紹介した聖書の一節
『女と寝るように男と寝る者は、必ず殺されなければならない』(レビ記20章)
『主の言葉を聞かず、反抗するならば、汝らは自分の息子や娘の肉を食べるようになる』(レビ記26章)
『女が教えたり、男の上に立ったりすることを、わたしは許さない』(テモテへの手紙一)
『二人の人が互いに争う時、片方の妻が夫を救おうとして近づき手を伸べて、その人の隠し所(股間)をつかまえるならば、その女の手を切り落さなければならない。許してはならない』(申命記25章)

キリスト教の聖書を 避難するキリスト教信者?

■最初に思ったことを聞いてみる
「これはとんでもない話だよ・・・」「どうしてこんなものを信じてるの?私には理解出来ないわ」「手を切り落とすって・・・これはまさに彼ら(イスラム教徒)やリ方であるとは思うけど」

■聖書と(偽)コーランを比較して最大の違いは何だと思う?
「これを聞く分にはコーランのほうが攻撃的だと思う。特に他人の手をぶった切る部分」「聖書にはもっとポジティブな部分が多いと思うわ」「ストーリーが聖書とコーランでは全く違う」「最大の違いは女性の役割、今聞いた通り」「聖書のほうが残酷さは少ないし平和的」「世界は変化しているし、彼らはそれに順応すべきだと思う」「こんな昔に書かれた文章を完全に真実だと思ってる人がいるなんて悩ましい」

【神は妄想である―宗教との決別/リチャード・ドーキンス】いやもうとにかく激しい宗教批判。舌鋒の鋭さはさすがイギリス人。 →bookmeter.com/cmt/53566949 #bookmeter

質問:「神は妄想である」を読んで、無神論者になりました。これって、よくあることですか?読者が選んだベスト回答: そうです。 無神論者になるための書物として「神は妄想である」より唯一優れているのは、「聖書」のみです。 pic.twitter.com/s1ReoFokQz

筋金入りの無神論者になるために - ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

かつてマルクスは「宗教は阿片である」と言った。僕はこの言葉を次のように解釈している。人間には宗教というカテゴリーに入る超自然的要素を求める欲求が内包されているのである。たぶん、脳髄のどこかに。だから、日常生活の中で神とは関わりのない生活をしている人間が、何の抵抗もなく宗教行事に参加して、恥ずかしくないのである。たとえば、僕はかつて西本願寺が牛耳っている中学高等学校で23年も英語の教師をしていた。僕が入る頃は労働組合の力が大きく、宗教行事を担当している僧侶出身の教師たちも身を縮めていた。だから試験と面接、まともな教育事情に関わる面接だけで済んだ。しかし、その頃から疑問に思っていたのだが、労働組合の中にも日本共産党員がいたのに、彼らは当たり前のように宗教行事に臆面もなく参加していた。これが僕のようなこだわりの強い人間にとっては、不思議なことだった。その頃から組合は宗教法人と学校法人を切り離せ、というスローガンを掲げていたにも関わらずである。時代が下り、理事会が質の悪い学校屋と呼ばれるような悪徳僧侶を理事に据え、悪徳弁護士を雇い、組合と渡り合うようになってから、徐々に労働組合の色彩は変わってきた。筋金入りだったはずの日本共産党員のみなさんも、管理職になることを理由に理事会に抱き込まれたり、これまで、参加を見送っていた宗教行事にもこまめに参加する光景を目の当たりにして、唾棄したい気分に僕はしばしば襲われたものだ。だから、個人的に言うと、僕は日本共産党は嫌いだ。学生運動の新左翼運動の経験がなくても、嫌いになっていただろう。(日本共産党のみなさん、すみません。残念ながら、僕はあなた方が大嫌いなのです)日本共産党の組合員に限らず、人間には前記したように、超越的存在に身を任せて、やっと安心できるという心性が組み込まれているのはどうも真実のようである。僕は結局自分の信念を貫いたために、47歳の6月20日付けで学級担任もはずされ、学校から追放された。その日が最後の給料日だった。それからの6年間、僕は沈んだまま二度の自殺の試みに失敗して、息をしていたに過ぎない。その間、僕は何をしたかというと簡単な予備校のバイトと、二つの新興宗教に出会った。この僕が、である。それだけ僕は弱っていたのであり、超越者を求めるという多くの人々と同じ気持ちになっていたのである。が、少し違っていたのは、僕はどちらの宗教も受け入れられなかった、というより、それらの宗教体験を突き抜けることによって、真正の無神論に辿り着いたということなのである。これで、僕は53歳にして、やっと本物の自分の生き方に辿り着いた。筋金入りの無神論者になった、と思う。そしていま、僕はカウンセラーという職業を生業としている。クライアントの方々が僕の嫌いな日本共産党員であれ、宗教を信じておられる方々であれ、僕はそこを突き抜けた人間として、クライアントの苦悩に積極的に関与することが出来ることだろう。真正の無神論者は人が良いのである。そう僕は信じているカウンセラーなのである。だから、みなさん、安心してご相談に来られることを心から望んでいます。 〇推薦図書「見るまえに飛べ」大江健三郎著。新潮文庫。大江氏はご存じの通りノーベル文学賞をとった偉い文学者先生になられたが、この作品を書いた頃はたぶんに無神論的な志向性があったと僕は睨んでいるのです。若い大江氏の作品は読んで損はしないものばかりです。お勧めします。
http://blog.goo.ne.jp/counselor-nagano/e/1ed74822340ee01a700f8ea7db9a6452

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