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【感動秘話】元旭天鵬の苦労。琴奨菊の優勝は何故10年ぶり日本人優勝ではなく日本出身なのか。

日本人ではなく日本出身と記載するきっかけを作った旭天鵬。その裏には感動的な秘話がありました。

更新日: 2017年05月17日

yuudai14さん

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琴奨菊の日本出身10年振り優勝は素晴らしい事だと思います。
しかし、気になりませんでしたか!?
日本人ではなく、日本出身という表記。
その理由は元旭天鵬、大島親方にありました。

日本人ではなく、日本出身の理由

琴奨菊が2006年初場所の栃東以来、日本出身力士として10年ぶりに優勝した。「日本人」でなく、「日本出身」と表記するのは理由がある。2012年夏場所で、旭天鵬(現在は引退して大島親方になっている)が優勝したからだ。

大島親方
元旭天鵬

2012年の夏場所優勝は凄い事だった

12年夏場所には、平幕で史上最年長(37歳8カ月)優勝の偉業を達成。14年秋場所では、年6場所制以降では初となる40代での幕内を成し遂げた。

気になる旭天鵬とは

旭天鵬勝(きょくてんほう まさる)とは、モンゴル出身の大相撲力士である。最高位は西関脇。
本名太田勝(おおた まさる)。帰化前の本名はニャムジャウィーン・ツェウェグニャム。

モンゴルウランバートル出身の日本人なんですね。

旭天鵬が最年長優勝をするまでに数々のドラマがあった

たまたま募集を見た父の一言がきっかけでした。
ここから旭天鵬の相撲人生が始まります。

父親が日本で相撲力士を募集しているとテレビで知ったらしく、『おまえ、身長も体重も年齢も、条件にピッタリじゃないか。受けてみろ!』と勧めてきたんです。それで受けたら、受かってしまった。当時、ぼくは17才でした。

niftyニュースより
http://s.news.nifty.com

厳しい稽古や日本の文化に馴染めず部屋を脱走。

来日して半年後に、稽古の厳しさや日本の食文化などに馴染めず、共に来日した5人と部屋を脱走してモンゴル大使館に駆け込むが、モンゴルの実家まで来た師匠・2代大島親方に「今に相撲はモンゴルの時代になる」と説得されて部屋へ戻った。

部屋に戻ってからの甘くない現実

今度こそ、「我慢できる自信があった」と言うが、“脱走者”を待っていたのは甘くない現実だった。部屋に戻った旭天鵬を弟子たちは全員で無視した。そんなつらい目に遭いながらも、今度こそと歯をくいしばり、稽古に集中。次第に、部屋のみんなが認めてくれるようになり、部屋頭の旭道山関が焼肉へ連れて行ってくれたことで「ようやく許してもらえた」と言う。常に一歩前を走るモンゴル力士の先輩・旭鷲山の存在も励みになった。

当時、大島部屋には20人くらいの弟子がいて、なかには100kgを超える立派な体格の持ち主もいた。しかし、彼らは8年、10年と稽古を続けても関取にはなれない。85kgしかなかった旭天鵬は、そんな先輩弟子たちの姿を見て、「あんなに立派な体格の彼らでもなれないなら、自分には無理かもしれない」と思うようになった。

部屋に戻ってからが1番辛かったのではないでしょうか。
逆境に耐えたからこそ名力士になれたのかもしれません。

逆境に耐えたからこそ始まる快進撃

96年春場所で新十両、98年初場所で新入幕を果たす。02年初場所で新三役(西小結)、03年名古屋で最高位の新関脇(関脇在位は3場所)。

日本が好きだから、相撲のために生きたい。そして日本国籍を取得。

相撲道にまい進することで心身ともに磨かれ、芽生えてきたのは「相撲が好き、日本が好き」という気持ち。2005年6月、30才のとき、日本国籍の取得を決断した。
「その頃は32~33才で辞めるのが一般的で、親方として大好きな相撲にずっとかかわっていくためには帰化するしかなかった。それがルールだからね。ぼくはただ出稼ぎにきたわけではない。日本と相撲が大好きだと、示したかったんです」
 帰化したいと相談すると両親は、「お前の人生だ」と背中を押してくれたが、その胸中は複雑だったのだと言う。
「両親はとても悩んだと、後で聞きました。ぼくが自分の息子でなくなると思ったみたい。ネットが広まっていた時期で、いろいろ書かれました。親に仕送りをしたり、自動車や家を買っていたりしたから、“旭天鵬の親は子供を日本に売ってお金を儲けてる”って。日本人に帰化したモンゴル人力士は初めてだったから、批判が半端なかった。日本にいたぼくはOKだったけど、親はつらかったでしょうね…」

そしてレジェンドへ

旭天鵬が涙の初Vを飾った。本割で関脇・豪栄道を寄り切って3敗を守ると、対戦相手の琴欧洲が休場し不戦勝となった栃煌山との史上初の平幕同士による優勝決定戦をはたき込みで制した。37歳8カ月での初優勝は史上最年長。平幕優勝は01年秋場所の琴光喜以来11年ぶり。記録ずくめの戴冠となった。
西の花道を引き揚げる途中、旭天鵬の目からは大粒の涙があふれ出した。「一瞬でいろいろなことを思い出してしまった。やめなくてよかったし、信じられなかった」。優勝制度が定められた1909年以降最年長となる37歳8カ月で初優勝したベテランは目を真っ赤にしながら話した。

最年長優勝、最年長スロー優勝は凄いです。

今回の「10年振り日本出身」について大島親方(元旭天鵬)は…

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yuudai14さん

普段、本読んだり調べ物をすることが趣味ですので、
色な雑学を紹介できたらなと思います!