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【あの女優もアイドルも?】摂食障害・拒食症・過食症の芸能人・有名人

摂食障害・拒食症・過食症を告発した、また現在疑われている芸能人・有名人を紹介します。

更新日: 2016年02月03日

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radidas1213さん

摂食障害を告白した芸能人

日本の女優、歌手。戸籍名、渡辺 理恵旧姓、友坂。 東京都三鷹市出身。イトーカンパニー所属。スリーサイズは78 - 56 - 81 cm。父は美容師の友坂 信博。堀越高等学校卒業、帝京大学文学部国際文化学科中退。趣味はショッピング、特技はスキー。嫌いな食べ物はてびち。

学園ドラマで人気女優になったともさかりえさん。「ドラマにでていた当時、拒食症を患っていた」とのちにカミングアウトしていますが、まだカミングアウトしてない人気絶頂期の時に「ダイエットなんて簡単。吐けばいい」と言っていたことで、日本中に一気に摂食障害の女性を増やしたと言われています。彼女は繰り返す嘔吐によって歯がぼろぼろになり、虫歯菌から顔半分の成長が止まって、顔が歪んでしまったそうです。現在は拒食症を克服されています。

「17歳の頃、拒食症でよく嘔吐したので胃酸で歯が溶けて虫歯だらけになり、神経までやられた虫歯も3本ある」と20歳の時に雑誌やTV番組で告白。「ドラマ撮影中に虫歯が激しく痛み出したので歯医者に駆込んで抜髄したら細菌が入って顔が膨れ上がり、病院に行ったら栄養失調や貧血で骨もスカスカと診断され、2週間入院していた」とも雑誌で告白していた。

実業家でもあり、元グラビアアイドルでもある。
164センチメートル、85-58-84、靴サイズ23.5cm、血液型はB型。
トミーズアーティストカンパニー所属。

釈由美子さんの場合、もともと素因があったところに、芸能界というストレスの多い業界に飛び込んでしまったのが、摂食障害になってしまうきっかけだったと考えられます。
ただ、自己評価が相変わらず低いような発言が見られるので、潜在化しているだけなのかもしれません。

女優・釈由美子が拒食過食を繰り返しダイエットに悩んでいた過去を赤裸々に告白。辛い過去を乗り越え身も心もデトックスした今、最高の輝きを見せる彼女が努力で見出してきた究極の美容法を大公開!

単行本: 127ページ
出版社: ワニブックス (2009/2/5)
単行本 ¥1,543-

同書のなかで釈は、過去に無理なダイエットで40kg前後にまで体重が減ったことや、リバウンドで50kgを超えるなど拒食過食を繰り返し、軽度のうつ病にもなったことなどを赤裸々に告白している。

女優。旧芸名は遠野 凪子。
神奈川県川崎市出身、ワイルドビジョン所属。

15歳の時、母親から「お前は醜い」と言われた。吐き方を教わった。
その日から私は、食に支配されて生きている。この地獄から救ってくれるのは、精神薬?愛?それとも、死?これはダイエットではなく心の病。
もう、隠したくない。この苦しみ、知ってほしい。

自身で自叙伝を発行。

私が摂食障害と診断されたのは15歳の時でした。

もうご存知の方もいらっしゃると思いますが、思春期で体重が増え始めた私に母が“吐く”という行為を教えた事がきっかけです。

一番最初の症状は『過食嘔吐』でした。

大量に食べてはトイレで大量に吐く行為です。

ご自身のブログでも摂食障害について語られています。

遠野なぎこさんは「きっとあの人(母親)も吐いていた」と冷静になった今では、そのように感じているようです。

日本の女性シンガーソングライター・絵本作家。
沖縄県立開邦高等学校芸術科美術コース卒業。
沖縄県那覇市出身。
SPEEDSTAR RECORDS所属。血液型はO型。
愛称はコッキー、あっちゃん、姫、コウ。

いつも男の子と遊んでいたCoccoさんにとって、中学生に上がって頃には、だんだんと男と女の体の違いに変化が出てきたことにより違和感を感じたと言われています。

最初の原因がこの違和感となり「拒食症」なったと言われています。

2009年9月号の『パピルス』という雑誌では、2007年から拒食症であることを告白しています。昔から自分の容姿も性格も受け入れられず、自傷行為を繰り返しながら生きる彼女。シングルマザーでお子さんもいて、不安定な彼女をなぞらえた映画にも主演されています。ご本人は『それでも私には歌しかない。』と語り、何度も不安定になりながらも歌手活動を続けてらっしゃいます。今のところ、回復の兆しはまだまだつかめていないようです。

女優、ファッションモデル、歌手。
東京都練馬区出身。
エムツー企画所属。
女優として映画、舞台、テレビドラマなどに出演。
身長168cm。
日本人の母親と、オランダ人の父親を持つハーフ。

1992年当時関脇「貴花田」(現在、貴乃花親方)との婚約発表です。
その当時、国民的に大人気のビックカップルであった2人の婚約は「世紀のカップル誕生」とまで言われました。
結婚の話が破談になった後に、しばらく宮沢りえの空白の時間がありました。

その後です。宮沢りえが本当に骨と皮だけのガイコツのような姿になって登場したのです。

ゴルフに興じる宮沢さんを写した一枚。腕がとんでもないほど細くなっています。1995年に撮影されたもので、拒食症に陥っているのではないかと騒がれるきっかけになりました。この頃は中村勘三郎さんとの破局も噂されていました。

ダイエット中の人に警告。
宮沢りえはなぜ拒食症になったのか。
その秘密をいま解き明かす。宮沢りえ拒食症の1000日。

宮沢りえは、この拒食症と上手に付き合いながら、前に進み復帰後も見事な活躍をされています。先日、りえママが亡くなりましたが、きっと拒食症をしたときのような「憎い」という感情だけでなく、感謝の気持ち、母なりに私を育ててくれたことへの感謝の気持ちを最後に挨拶したのではないでしょうか。

日本の元フィギュアスケート選手。
主な実績に、2010年バンクーバーオリンピック、2014年ソチオリンピック出場。2012年世界選手権銅メダル、2011年GPファイナル銀メダル、2013年全日本選手権優勝など。

鈴木さんは18歳のとき、大学進学で一人暮らしをはじめたことで、これまで母親が管理していた食事を自分1人でやるようになったという。
 そこで、体重増加を防ぐために油分や炭水化物を抜く極端なダイエットを行った結果、摂食障害に陥ってしまい、体重は15kg以上減少し、32kgまで落ち込んでしまった。

競技が続けられず故郷の愛知に戻り、母親と精神科へ。

そこでカウンセリングを受けた結果、担当医から告げられたのが「母親との関係」だった。
「母親にとって理想な子供でないといけないという思いが自分の根底にあった」と鈴木さん。
母親に認められたい一心で、初の1人暮らしでも「これまでは親にやってもらっていたので適当にはできなかった」と食事にも完璧を求めてストレスをためていったことが摂食障害につながったという。

32キロまで体重が落ちた摂食障害を乗り越え
オリンピックに2度出場した日本代表の
不安や恐怖を乗り越える方法!
結果が出なくてもあきらめない、
日が当たらなくても腐らない。
ただ、コツコツと積み上げる――

だれかと比べない。戦うのは自分自身

拒食症の克服は、母親と二人三脚での自宅療養だったと言います。当たり前な行為である食べるというものが出来ない娘に、最初は「お願いだから食べて」「栄養をつけるために食べなさい」と言っていた母親ですが、その言葉に応えられず、鈴木明子は自己嫌悪を募らせていきました。

その後、その言葉は、栄養を気にせずに「食べられるものから食べようね」というやわらかいものに変化していきました。それらがきっかけとなり、徐々に食べられるようになっていったといいます。

鈴木明子が、拒食症などを発症してから短期間に克服出来た理由を話していますが、それは、母親だけではなく、周囲の人に対してもストレスとなるようなことを話せたからだと言います。

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