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衝撃…小保方さん突然の“反撃”一片の邪心もない“潔白”を主張

釈明会見以来、公の場から姿を消していた彼女が、突然の“反撃”だ。理化学研究所の元研究員、小保方晴子さん(32)が手記「あの日」(講談社)を出版した。

更新日: 2016年08月27日

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sting222さん

釈明会見以来、公の場から姿を消していた彼女が、突然の“反撃”だ。

理化学研究所の元研究員、小保方晴子さん(32)が手記「あの日」(講談社)を出版した。

執筆の動機を「このまま口をつぐみ、世間が忘れていくのを待つことは、さらなるひきょうな逃げ。真実を書く」と説明。

激しい批判報道を受け、ストレスで食べることも眠ることもできなくなったと吐露。「無意識のうちに『死にたい』と何度もつぶやくようになった。

母が神戸まで迎えに来てくれ、病院に行った。睡眠薬と抗うつ剤を処方された」と振り返った。

手記では、STAP論文共著者で小保方氏にとっては理研時代の恩師にあたる若山照彦・山梨大教授に対する不信感をぶちまける一方で、小保方氏を取材してきたメディアへの批判にも多数のスペースが割かれた。

STAP細胞がES細胞ではないかと疑義が起きたことには「私がES細胞を混入させたというストーリーに収束するように仕組まれていると感じた。

人生で一番の恐怖を感じ、全身が硬直した」「殺意すら感じさせるものがあった」などと取材の恐怖を振り返った。

「幹部の中に秘匿情報をマスコミと山梨に流出させている人は認識していて、その人の目星はついている。

実は、その人を呼び出して口頭で注意をしたけれど効き目はなかった」

小保方氏に批判的なマスコミ報道を「メディアスクラム」と批判し、「報道内容はすべて若山先生からの一方的な情報のみに基づくもの」と不信感をあらわにした。

“「NHKの記者がどのように携帯電話の番号までの個人情報を入手しているかを考えると、生活のすべてを包囲されているような恐怖で、『もう生きていくことができない』と考える時間が長くなった」

STAP細胞の存在を示す証拠とされた画像が自身の博士論文からの流用だったことについては、不注意との認識を示し、流用に気付いて「驚きのあまりパニックになった」と説明している

研究不正疑惑が持ち上がってからは若山氏に裏切られ、理研からも十分には守ってもらえず、マスコミからは叩かれ続け、極度に不安な日々を送り、体調を壊し続けた

毎日新聞の須田桃子記者については「取材攻勢は殺意すら感じさせるものがあった。脅迫のようなメールが「取材」名目でやって来る」とまで述べています

ある意味これは供述調書

この手記「あの日」には、マスコミから受けた非常識な取材の数々が、こと細かく描写されている。かなり詳細に書かれているため、ある意味これは供述調書ともいえる。

この手記「あの日」には、マスコミから受けた非常識な取材の数々が、こと細かく描写されている。かなり詳細に書かれているため、ある意味これは供述調書ともいえる。

仕掛けられた罠だった

彼女は若山氏に裏切られ、はめられたのであり、一連の騒動の責任も若山氏にある、というストーリーが浮かび上がります。

「理研に保存されているはずの凍結細胞サンプルが山梨で解析されたという報道から、私はこの時、初めて若山先生が冷凍庫内の私の名前が書いてあるサンプルボックスから、凍結保存されていた細胞サンプルを抜き取って山梨に持って行ったことを知った」

「どんな返事や回答をしても、公平に真実を報道しようとはせずに、彼女が判定を下した善悪が読み手に伝わるように記事化し、悪と決めた私のことを社会的に抹殺しようとしているように思えた」

理研による論文の不正認定や、別の万能細胞のES細胞が混入していたことについて、「こちらの正当性を証明する手段がない」と訴え、「混入犯に仕立て上げられた」と主張している。

小保方晴子が著書「あの日」で怒りをあらわにした5人

1. 週刊文春
「その週刊誌には乱倫研究室などと見出しをつけられ、私と笹井先生が個人的に親密であるかのような記事が書かれていた」
「その後も週刊文春には毎週のように私に対するバッシング記事が掲載されるようになった」

2. 週刊新潮
「マンションの中に逃げ込むと、カメラマンや記者が一緒に中まで入ってきて、録音しながら矢継ぎ早に質問された。無理やり渡された名刺には週刊新潮と書かれていた。部屋の前まで侵入してきた見覚えのある顔の記者もいた。恐怖で足の震えが止まらず、初めて警察を呼んだ」

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