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【あさが来た】物語は後半線!新キャラ成澤&へえさん&のぶちゃんのモデルって?

五代ロス雁助ロスを忘れさせてくれる、個性的なキャラクターが後半にも登場。実はそれぞれにモデルの人がいたのです。

更新日: 2017年12月24日

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gahi_gahiさん

■後半も好調なあさが来た!

NHK朝ドラ「あさが来た」の勢いが止まらない。コンスタントに20%台前半の視聴率を維持している

『あまちゃん』、『花子とアン』、『マッサン』といった近年の人気NHK朝ドラの最高視聴率を次々と更新し、いまや国民的ドラマになった『あさが来た』

主人公・あさ(波瑠)が銀行設立に奔走し、そのなかで姉・はつ(宮崎あおい)と10年ぶりの再会も果たすなど、『あさが来た』は“びっくりぽん”な展開が続いて目が離せない。

■後半も新キャラが続々登場!気になるキャラクターのモデルはどんな人?

●山崎平十郎(へぇさん)

・辻本 茂雄
(つじもと しげお)
・ニックネームアゴ本茂雄
辻アゴ茂雄
辻本尺太郎
辻本アゴ吉
・1964年10月8日(51歳)
・大阪府泉南郡阪南町出身
(現:大阪府阪南市)

加野屋内ですっかり「へぇさん」という呼び名が定着している山崎平十郎。平十郎はドイツ留学経験のある元大蔵省の役人で、これからの日本を支える銀行をつくりたいという志を胸に、加野屋の門を叩いています。

へぇさんが慣れたのか言葉にキレが出てきてええ風になったし 山屋さん工藤パパの回想シーンも笑えたしふやけワカメくんが上手いので掛け合いがテンポよくハマった。こえで亀助が帰ってきてくれると更にいいんだけどなーー #あさが来た

今日は加野屋新喜劇の新章を見た感じで楽しかったなぁ…雁助さんや亀助さんがいた時とは違った面白さ。みんなであさちゃんの方をばっと向くとかwリアクションをみんなでとるとか。へぇさんの座長感はさすが #あさが来た

▼モデルはこんな人

・1866年2月18日
・京都出身
・死没1944年10月7日(満78歳没)

元貴族院議員、文部省官僚で、京都法政学校(現在の立命館大学)創立者。丹波国南桑田郡馬路村(現在の京都府亀岡市馬路町)生まれ。

1869(明治2)年、新しい時代を担う若者を育てるため、西園寺公望が私塾「立命館」を創始し、1900 (明治33)年、文部大臣時代の西園寺の秘書であった中川小十郎が、その意志を引き継ぎ立命館大学の前身となる「私立京都法政学校」を設立しました。

西園寺公望は、2/26放送回で大隈夫人があさに渡した署名で一番先頭にお名前があった方
大隈重信よりも上の方のようですね

史実では、成瀬仁蔵(成澤泉)が浅子(あさ)に小十郎を紹介していた!?

小十郎が活躍したのは、生命保険会社設立時のことでした。

中川と浅子を結びつけたのは成瀬仁蔵。
中川は西園寺公望の大臣秘書官をつとめるなど関係が深い。
浅子から加島屋の次代を担う人材の紹介を頼まれた成瀬が、
日本女子大設立発起人の1人である西園寺を通じて紹介したとみられる。

ドラマではあんなに険悪なのに、びっくりぽん

中川小十郎を見込んだ浅子は1898年(明治31年)広岡家の事業に中川を招聘(しょうへい)します
その後1902年(明治35年)には朝日・護国・北海の3社の生命保険会社の合併により大同生命保険が創立しました
そのしてその後は順調に成長しました

●成澤泉

・瀬戸康史(せとこうじ)
・1988年5月18日(27歳)
・ 福岡県出身
・174 cm
・A型

学校教員を経て、アメリカに留学し、先進的な女子教育について学ぶ。帰国してからは、日本に女性の高等教育を広めるために奔走する中で、あさと出会う。女子大学設立に賭ける成澤の情熱に、あさは若い頃の自分の姿を重ね、応援することになる。

成澤さんのこの名探偵感はいったいなんだ?(笑) まるで金田一耕助じゃないか w #あさが来た

▼モデルはこんな人

・1858年8月2日(安政5年6月23日) - 1919年(大正8年)3月4日
・明治から大正のキリスト教牧師
・日本女子大学(日本女子大学校)の創設者

仁蔵は幼少時は藩校の憲章館に学び、維新後の1874年(明治7年)には調剤師として医家に住み込む。この年には父の小左衛門が死去し、山口の教員養成所の2期生となる。1876年(明治9年)に卒業し、小学校教員となる。

同郷の先輩であり、アメリカに留学し、宣教師として著名な澤山保羅(ぽーろ)に導かれ、大阪の浪花教会で受洗します。キリスト教との出会いは、儒教的な人間観、ひいては女性を劣った者としてしか見られなかった人間観から、神の前の人間の平等への飛躍でもありました。

やがて女子教育の夢を抱いて、1890年から5年間をアメリカに留学した。新島襄が学んだマサチューセッツのアンドーバー神学校で2年間、社会学を学び、牧師レビットの家に寄宿して女性の役割を身近に見た。1892年からクラーク大学教育学部で女子教育について研究した。

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