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パク・ヨンミ!「私は奴隷でした」 北朝鮮でも、中国でも

中国での悲惨な経験は恥ずかしかったり、思い出したくなかったりすることも多いと思いますが、抵抗はありませんでしたか?

更新日: 2018年04月24日

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Doragonflyさん

北朝鮮でも、中国でも「私は奴隷でした」 脱北者パク・ヨンミさんの「生きるための選択」

パク・ヨンミ(朴延美)
1993年北朝鮮恵山市生まれ。
北朝鮮で生まれた彼女は、13歳のときに家族とともに脱北し、中国、モンゴルを経由して韓国へと亡命しました。そして現在、北朝鮮人権問題の実態を伝えるため、さまざまな活動を行っています。

中国の国境にちかい北朝鮮の恵山(ヘサン)で生まれた。生活のために闇商売をしていた父は逮捕されて労働教化所に送られ、一家は離散状態に。

父が強制収容所に連れられ、母とは引き離され、幼い姉妹だけで生きた。
私は9歳か10歳でしたが、姉と二人だけで生きなくてはならなかったのです。
私は本当に何でも食べなくてはなりませんでした。

北朝鮮のブラック・マーケットの様子

北朝鮮は人間が生きられる場所ではありません。北朝鮮の人々は、政府に頼らず、自分たちで生きていくしかなかったのです。だから人々はブラック・マーケットを始めたのです。1990年題の大飢饉ではたくさんの人が死にました。私の父もそうで、魚や米、砂糖などを売っていました。

極寒と餓えに耐えかねた朴さんは「中国に渡れば豊かな暮らしができる」という噂を聞き、一家でブローカーを頼って国境の豆満江を渡り中国に逃げた。

北朝鮮、中国、ロシア 三国が国境を接した、日本海への河口に近い豆満江沿いに、北朝鮮-ロシア間の連絡鉄道がある。朝鮮側の駅は豆満江駅、ロシア側はハサン駅である。

中国で待っていたのは、農家の「嫁」などとして金銭で売買される奴隷のような生活だった。

多くの脱北者の手記が、北朝鮮脱出後の中国での生活を詳しく書いていないが、脱北者が人身売買の被害者となっている中国での実態も記録した、貴重な証言でもある。

北朝鮮の秘密警察の捜索におびえながら、ブローカーに監視され、性的関係を強要された。死を覚悟してモンゴルに逃げ、韓国政府に保護された。

朴さんはその後、韓国の大学に通いながら脱北者を取り上げたテレビバラエティー番組に出演していたが、2014年10月にアイルランドの首都ダブリンで開かれた、18~30歳の若者による国際会議「One Young World」に参加し、壇上で涙ながらに北朝鮮の人権改善を訴える姿が欧米メディアに取り上げられ、一躍有名になった。

一方で北朝鮮は2015年2月、朴さんの親戚らを登場させ、証言はでたらめだとする動画。

朴さんの本は、中国やモンゴルでの逃避行など、そこでの苦しい生活を詳しく書いています。筆舌に尽くしがたい体験を、なぜ書こうと思ったのですか?

今までは人間不信なところもあって、自分の体験を率直に話すことはできず、あたかも母の経験のように語っていました。でも「One Young World」に出たら、自分のために泣いてくれる人がいたし、世界にも私と同じように過酷な境遇の人たちがいると実感できました。もう一度、人を信じて自分の経験を書きたいと思いました。

生まれた国が違うだけで、過酷な運命にあったことを呪ったりすることはありますか?

私は奴隷でした。なぜ生まれた国が違うだけで、こんな運命を背負うのか。アンフェアな世界が許せないと思ったこともありました。でも、自由な国でも、強さがなければ、本当の能力を発揮することはできません。

中国での悲惨な経験は恥ずかしかったり、思い出したくなかったりすることも多いと思いますが、抵抗はありませんでしたか?

中国人ブローカーの「性的奴隷」のような状況になったときは、世界の終わりだと思いました。、長い間、隠したいと思ってきたことでした。。最初は抵抗がありました。

英語で世界に訴えた結果、北朝鮮から反論や中傷などもありました。

北朝鮮は私の愛する人々を出演させて、でたらめなことを言わせて中傷した。親族をそういう場面でしか見られなかったことは辛かった。金正恩がそれほど怒っているということ少しでも事態が動いたということ。北朝鮮に強制収容所があり、飢餓で何万人も死んだという話があり得ないという人もいます。人は自分が直接見たものでないと容易には信じられないものです。簡単に見に行けないし、政府も隠そうとします。

アメリカで勉強したいことは?

うーん…。ジャーナリズムかもしれないし、農業かも(笑)。でも何を学ぶにせよ、人は、裏付けとなる知識以上のものは見えない。

ヨンミさんが考える北朝鮮の人権問題の解決とはどんなことですか?

北朝鮮では、金一族のことだけを考えるように言われ、とにかく生きるだけで必死だった。インターネットも知らない一種の別の宇宙空間ですが、住んでいるのは普通の人です。私の願いは、ファッション雑誌があって、好きなアートやデザイナーについて話し合えるような国、ネットでつながって、自由に旅ができる国、そんな国に北朝鮮がなることです。最後は絶対に北朝鮮に戻って暮らしたい。中国で死んだ父の遺骨を返さないといけない。私を産んでくれた大地が懐かしい。私の国ですから、帰る権利があります。だから本を書いたんですよ。

北朝鮮の事を聞いて、可愛そうだとは思うが、更に何万ものパクヨンミがまだ北朝鮮にいるということ。

更に言えば、中国の人権踏みにじりも酷いものだ。

鴨緑江を渡って脱北した中国では、人身売買業者によって囚われの身になり、逃れてきた場所以上に野蛮で無秩序な世界を生きなければならなかった

パク・ヨンミさん、21歳。北朝鮮で生まれた彼女は、13歳のときに家族とともに脱北し、中国、モンゴルを経由して韓国へと亡命しました。そして現在、北朝鮮人権問題の実態を伝えるため、さまざまな活動を行っています。

インタビューのはじめに、あえて「仕事は何をしていますか?」「休日は何をしていますか?」「彼氏はいるのですか?」といった普通の質問を行いました。

「ジャーナリストをしています。大学に通いながら海外へ行ったり、テレビ番組でインタビュアーをしたりしています」「いまは休みが欲しいです。本当に休みがありません。

「(彼氏は)いたら嬉しいです。もうすぐ誕生日なんだけど、友達には『プレゼントはいらないから彼氏が欲しい』って言ってます」その様子は一見すると、今どきのかわいい女の子、という印象です。

13歳で脱北したヨンミさんが韓国に亡命したときには、すでに17歳になっていました。

韓国に初めて入ったときの感想を、「同じ世界で人々がこんな暮らしをしているなんて想像もできませんでした。
中国や北朝鮮にいるときはこの世は暗い世界だと思っていました」と話します。

10代のとき壮絶な体験をしたヨンミさんは、北朝鮮の人々を救いたいと願う、前向きで強い女性でした。

講演やインタビューで、彼女は「北朝鮮の人々は自由になりたいと願っています。逃げたいと願っています。自分たちの望むように生きたいと願っています。しかし彼らの力はまだ十分ではありません」と世界に訴えかけます。

「最も幸せなことは自由でいられることです。好きな服を着られるし、誰も私を拘束しません。そして世界に『北朝鮮は恐ろしい所だ』と発言することもできます。

何でも言うことができます。なぜなら私は自由だからです。いま私は書くことも話すこともできます。たくさんの講演もしています。

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