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「戦争」の意味と使われ方まとめ【辞典・事典から見る】

国語辞典や専門辞典など複数の辞書を引いて書き抜きました。

更新日: 2016年02月24日

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pentascaleさん

国語辞典

せんそう ・・サウ【戦争】
1 たたかい。いくさ。合戦。
2 武力による国家間の闘争。「―と平和」

せんそう[戦争](名・自サ)
1 戦い。いくさ。
2 武力によって主張をつらぬこうとして、国家どうしが争うこと。

[せん-そう 戦争 センサウ]<―する>
1 軍隊と軍隊とが、兵器を用いて戦うこと。特に兵力による国家間の、あるいは国家と交戦団体との間の闘争状態。「核戦争」「戦争文学」
2 比喩的に、戦争のような激しい争いや状態。「交通戦争」「受験戦争」

せん-そう【戦争】―サウ〔名〕スル
1 軍隊と軍隊とが兵器を用いて争うこと。特に、国家が他国に対し、自己の目的を達するために武力を行使する闘争状態。国際法上は、宣戦布告により発生し、当事国間に戦時国際法適用される。いくさ。「―が勃発する」「隣国と―する」
2 激しい争いや競争。「受験―」「交通―」
[類語](1)戦・戦い・戦役・役・兵・兵馬・兵戈・干戈・会戦・合戦・交戦・戦闘・事変・戦火・兵火・戦乱・兵乱・戦雲・戦塵・戦禍・大戦

*せん-そう【戦争】
1《名・自サ》武器を使って争うこと。特に武力を行使する国家間の争い。いくさ。
2 戦争1を思わせるような激しい・競争(状況)。「受験―」「交通―」

せんそう【戦争】
一〔名・自スル〕政治集団、特に主権国家間の、軍事力行使を中心とする全面的な争い。
二〔名〕(比喩的に)過酷な競争や繁忙・大混乱などの状態。「受験―」

せんそう【戦争】―サウ
一(名・自スル)武力によって争うこと。特に、国家間の武力による闘争。
二(名)社会生活上の、混乱した状態や激しい競争。「受験―」「交通―」

せん-そう 戦争 名詞 動詞・サ変・自
1 国と国とが武力によって争うこと。 大国どうしが戦争する。 核戦争。 対 平和。 和 戦いくさ。
2 激しい競争や混乱。 受験戦争。 交通戦争。

せんそう【戦争】〔名・ス自〕
いくさ。特に国家間で互いに自国の意思を相手国に強制するために、武力を用いて争うこと。「他国と―する」
比喩的にも。「交通―」

せんそう【戦争】<名・自動サ変>
1 国と国が武力を使って争うこと。[類]いくさ・戦い [対]平和
2 人々が必死にとりくむ社会的な問題。「受験―」

専門辞典・用語集

戦争 [英]war [仏]guerre [独]Krieg
 実質的意義では、一般に国家間における紛争処理のため、ないし自国の意思に相手国を従わせるために、その軍事組織(軍隊)間で相当の期間継続して相当の規模で行われる武力行使を中心とする闘争の状態を指す。また、この現象の軍事的または政治的側面から、一国内闘争である*内戦が含められることもある。
 戦争は高度に政治的現象でもあり、武力*干渉や武力による威嚇、短期間のかつ包括的な闘争関係であるという点で、他の闘争形態とは区別される。戦争は*国際法の関係する現象であり、国際法の展開につれ、そこにおける戦争の位置づけは変化してきた。中世の神学者により体系化され近世になって国際法学者により承継された*正戦論では、正当原因に基づく戦争のみが許容された。近代国家の登場につれ、正戦論に代わる*無差別戦争観が支配的になった。この戦争観の下で、もはや戦争の正当原因は問われず、戦争そのものの規制(jus ad bellum)は放棄され、主権国家間のすべての戦争が合法とみなされた。そこでは戦争は平時状態と対比される戦時状態として把握され、戦時状態の下での具体的行為を規律する国際法規則すなわち*戦時国際法ないし*戦争法(jus in bello)が形成されるようになった。戦時国際法は平時国際法とは次元を異にした妥当のしかたをするのであり、したがって伝統的国際法は平時・戦時の二元的構造をもつものとなった。
 戦争を状態として把握する国際法上の戦争概念から、戦争の開始および終了を定める必要が生じた。戦争は一方の国家による戦争宣言などの戦意の表明によって開始され、戦争状態は*征服の場合を除き交戦国間の平和条約の締結のような合意によって終了するとされる。しかし、第1次大戦後の国際連盟規約、*不戦条約、*国連憲章と続く戦争の制限、さらに違法化の流れの中で、一般に戦争または国際関係における武力行使、さらに武力による威嚇さえも違法な*侵略ないし*国際犯罪として禁止されることとなった。したがって、違法な侵略戦争は、国際社会(現実には国連)による制裁の対象とされることになる。
 このように戦争を国際法の埒外に追放することにより、平時と異なる状態として戦争を把握する伝統的戦争概念は止揚され、平時一元化の実現により*現代国際法はその基本構造を転換した。そのことから、従来の戦時国際法、特に中立法の存在理由が疑問視され、また、交戦法規の侵略国とその犠牲国または制裁国(ないし国連軍)との間の差別適用の問題も提起された。もっとも、現実には*国連安全保障理事会によりなされるべき「平和の破壊」ないし「侵略行為」の国際的認定が困難であり、武力を行使する国はその正当化のために*国連憲章上の*自衛権を援用するのが常であるから、そのような武力紛争においては交戦法規や人道法規は交戦国になお平等に適用され、中立法規の適用の余地もなくならない。最近、特に*9.11事件以来の「反テロ戦争」という表現は、必ずしも従来の「戦争」ないし「武力紛争」概念と合致するものではない。(藤田久一)

(『国際関係法辞典』三省堂、2005年09月15日、pp.545-546)

War (state of)(LOAC)
戦争(状態)(武力紛争法)
 国家間で武力敵対行為が行われている正式の法的状態で、1899年と1907年のハーグ条約や1949年のジュネーブ諸条約など、戦時国際法(「武力紛争法」)によって統制される。「戦争状態」――複数国の関係にみられる法的状態――は武力による暴力行為を伴うのが一般的だが、こうした暴力は宣戦布告の前後にも行使されることがある。また、暴力的な敵対行為がなくても戦争は存在しうる。戦争は法的状態であり、武力による暴力という事実ではない。
 今日では「武力紛争」という言葉が頻繁に用いられるが、この言葉は国際的な紛争だけでなく国際的性格をもたない武力紛争も含む。
(H.ビクター コンデ 『人権用語辞典』明石書店、2001年9月20日、p.296)

戦争 せんそう war
1 政治学的説明  2つ以上の組織化された集団が継続的に武力衝突している状態。組織化された集団については議論があり、内戦やゲリラ戦、いわゆる対テロ戦争などでは非国家主体も想定されるが、単に戦争といった場合は国家を想定するのが普通である。19世紀のプロイセンの軍人であったクラウゼヴィッツは、戦争を「政治が用いるのとは異なる手段を用いて遂行される政治の延長」と規定した。これは外交で達成されなかった対外的目標を追求する手段として、戦争を合理化したものである。そのような合理化はしかし、20世紀に入って顕著となった戦争の全面化傾向、とりわけ核時代の到来によって、政治的にも倫理的にも困難となった。そうした中で、国際社会においては、戦争の廃絶を目指す様々な努力が開始された。にもかかわらず、戦争に代置しうる実効的な手段が確立されたわけではなく、そのことは自衛戦争を戦争禁止の例外にするとともに、いわゆる限定戦争論を登場させる背景となった。今日では、先進国どうしの戦争は起こっておらず、国際社会全体としても国家間戦争は減少する傾向にある。その理由としては核兵器の抑止効果、米国の軍事的優位、経済的相互依存の深化、国際機構の発達、民主政治の拡大などの多様な要素を指摘されるが正確な因果関係はわかっていない。遅れて近代化を始めた諸国の中には軍備を急速に増強している例もあり、それらの動向次第によっては戦争の脅威が再び高まる可能性も否定できない。小規模な武力行使を政治的な駆け引きの道具として用いる戦略や、新たな戦術としてのサイバー攻撃の登場なども、見逃すことのできない傾向である。→ゲリラ、限定戦争、サイバー攻撃、全面戦争、テロリズム、内戦、紛争、抑止(小笠原高雪)
(『国際関係・安全保障用語辞典』ミネルヴァ書房、2013年04月30日、pp.172-173)

戦争 せんそう war 2 法学的説明
一般には、国家または国家に準じる集団間の大規模かつ継続的な武力闘争を意味するが、19~20世紀初頭までの伝統的国際法の下では、一方当事者が戦争意思を表明することによって成立する戦時国際法(戦争法)が適用される状態として理解された(状態説)。戦争意思の表明は、典型的には、開戦(戦争)宣言によって行われる(1907年の「開戦に関する条約」1条)。戦争が開始されると交戦国間の平時の国際法関係の多くは断絶・停止され、交戦国間には交戦法規が、交戦国と中立国との間には中立法規が適用される。休戦や停戦の合意があっても戦闘が停止されるにすぎず、戦争を終結させるためには、平和(講和)条約を締結するか、一方が他方を完全に征服する必要があった。第1次世界大戦後、戦争に訴えること自体が禁止・制限されるようになると、戦争は国家が行う行為としても捉えられるようになった(行為説)。しかし、状態説で理解された戦争概念は、戦争意思を表明しない「事実上の戦争」を法的に禁止された「戦争」ではないとする解釈の余地を残したことで、戦争違法化という観点からは限界があった。そのため今日、国際法上は、意思表示に依拠した主観的概念である「戦争」に代わり、事実主義的概念である「武力行使」や「武力紛争」が一般的に用いられるようになってきている。 →戦争・武力行使の違法化、中立、ユース・アド・ベルム、武力行使、武力紛争法(森川幸一)
(『国際関係・安全保障用語辞典』ミネルヴァ書房、2013年04月30日、p.173)

せんそう【戦争】
国家間の兵力による闘争であるが、国際法上は、戦争と呼ばれる法的状態のこと。宣戦又は条件付最終通牒(つうちょう)によって開始され、戦時国際法の適用が開始される。通常は、休戦によって戦闘行動が停止されて後、講和条約の締結によって戦争状態が終了する。戦争による惨禍の規模が拡大するにつれ戦争禁止の気運が高まり、不戦条約における試みを経て国際連合憲章により違法とされた。
(p.692)

戦争 war
戦争は、人間の生物的闘争本能から生ずる必然的な現象ではなく、階級社会*にその原因をもつ歴史的現象であって、支配階級の利益をはかる政治が、暴力的な手段をとっておこなわれることの継続である。戦争は、支配階級がみずからの経済的利権を拡大するために、さまざまな名目をかかげて人民を武装動員して、他国の領土やその民族を、支配し隷属させようとする国家の行為にほかならない。名目としては、特定の信仰の擁護を名とする宗教戦争、血統や王位継承権を名とする王朝戦争、正義や自由や新秩序を名とする理念的戦争などがある。これらの名目を用いて、支配階級は自己の利益のために、戦争相手にたいする憎悪心・敵意を人民にもやさせ、その真の意図をくらませる。資本主義が帝国主義段階にいたった20世紀では、戦争は帝国主義諸国の利権の争奪、植民地獲得の帝国主義戦争となり、現に第一次、第二次の世界大戦がおこなわれた。また、戦争には、階級的支配にたいする被支配階級の自己防衛と開放のための、正義の戦争というのもあり、古代の奴隷制下の奴隷の反乱、封建制下での農民の反乱などは、いずれも階級戦争であり、資本主義にあってもプロレタリアートの反乱、たとえばパリ・コンミューンやロシア革命のときの反革命軍との戦争もそれである。さらに資本主義強国に支配される民族の開放のための民族解放戦争も、階級戦争とその性格を等しくしている。このように階級社会にあっては、支配階級の利益のために諸国家がたがいに戦争を勃発させるだけでなく、この階級にたいする被支配階級の側からする解放のための戦争も生ずるし、また他民族を支配下におくための植民地獲得の侵略戦争がある一方、被支配・被抑圧の植民地民族の独立と解放のための民族戦争もあることを指摘しなければならない。どれもみな、階級社会による産物にほかならない。したがって今日では、独占資本家階級が君臨する帝国主義国家が存在するかぎりは、戦争勃発の原因はなくなってはいない。しかし同時に今日では、独占資本家階級が君臨する帝国主義国家が存在するかぎりは、戦争勃発の原因はなくなってはいない。しかし同時に今日では、戦争に反対し、独占資本の欲望をおさえうる平和擁護の勢力が、従来になく強力になっている。世界の社会主義諸国、世界各国に組織されている労働者の組織やあまたの民主的・平和擁護の団体が、その勢力である。このことによって、第三次世界大戦を未然に防ぎうる可能性が存在しているし、また現におこなわれているベトナム戦争などをも、ベトナム民族などの利益に合致して解決できる基礎が存在している。しかし、これが真に実現されえ、真に戦争をおさえる偉大な力となりうるには、上述の平和勢力の固い統一が根本的条件であり、さらにこれらの勢力が階級社会に終わりを告げさせることが、究極的な条件となるものである。

(森宏一 編『普及版 哲学辞典』青木書店、2000年12月15日、p.270)

戦争 〔英〕war〔仏〕guerre〔独〕Krieg
古来から「ポレモス(闘い)は万物の父」(*ヘラクレイトス)と言われ、現代にもまた「存在の全体性の露呈」(*レヴィナス)と言われたように、戦争は人間の営みをあらゆるレベルで巻き込み、そこで世界の秩序が鋳直される全体的な出来事である。
 *近代に戦争は、名誉や利害をめぐる諸王権の抗争から国家間の抗争へと変化した。その変化を画したのがナポレオン戦争であり、それ以来、戦争は基本的に国民国家による「諸国民の戦争
となった。その特徴をあますところなく示したのは*クラウゼヴィッツだが、彼は戦争を「別の手段をもってする政治の延長」と規定した。そこでは戦争を発動する主権国家が想定され、「*国民」がその政治的意志を担う仮想の主体となる。こうして戦争は「政治化」されたが、クラウゼヴィッツは「現実の戦争」と理念的な「絶対的戦争」を区別し、戦争がそれ自体の自律的な原理を内包し、極限ではあらゆる政治的意図を超えて自己目的化することをも示した。
 その「絶対的戦争」は、20世紀の「世界戦争」で現実化したと言える。戦争はそれまでのあらゆる制約を超えて世界化し、単に地理的に拡がっただけでなく、生活空間としての日常世界の全体をも巻き込んだ。諸国家は産業化やメディアによって組織化された社会のすべてを挙げて「総力戦」を展開し、社会生活を構成するあらゆる要素が「総動員」された。加えてテクノロジーの発達は破壊技術を飛躍的に高め、殲滅兵器として、戦争を「抑止」さえする*核兵器を生み出した。ここに至って戦争は国民国家の*主権を凌駕するようになる。
 他方で世界戦争はまた、「国民」とは違う「*階級」を対立軸とする*革命を誘発し、それが別の面から戦争と国家との関係を変質させることになった。内戦として戦われたバルチザン戦、その後の植民地独立戦争などは、もはや国家間の戦争ではなく、合法性を独占する国家と非合法集団とのテロやゲリラ戦として展開された。そして<冷戦>後の時代には、もはや戦争とは呼びがたいこの種の「戦争」がもっとも頻繁な紛争の形態となっている。
 今世紀における戦争の前面化と拡散は、それを単に政治的事象としてではなく、人間の存在に関わる根本的問題として、広く人間学的視野から考察させるとともに、他方で「祖国のために死ぬ」という標語が示すように、戦争を鋳型に形成されてきた国民国家のあり方を、根底から問い直すことを要請している。そこで問われるのは*暴力、聖性、供犠といった、近代合理主義が排除してきた諸テーマや、*国家や共同性の絆としての*宗教、*ナショナリズム、*アイデンティティ等の問題である。
〔文献〕クラウゼヴィッツ(篠田英雄訳)『戦争論』上・中・下、岩波文庫、1968;R.カイヨワ(秋枝茂夫訳)『戦争論』法政大学出版局、1974;西谷修『夜の鼓動にふれる』東京大学出版会、1995.
〔西谷 修〕
(『岩波哲学・思想事典』岩波書店、1998年3月18日、pp.958-959)

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