サンダースは、1970年代からヴァーモントで社会活動と政治活動をはじめ、1981年には、39歳で、ヴァーモントでもっとも大きく影響力のあるバーリングトンの市長となった。おもな支持者はヴァーモント大学などの教授連、社会福祉関係者と警官の組合で、民主党にも共和党の候補をやぶって市長としてあわせて4回8年のの任期をまっとうした。その段階から「社会主義者」を自称し、アメリカの南アメリカ政策に対して正面から批判的な立場をとり、シティーホールでノーム・チョムスキーを呼んで講演を組織するなど、その立場は一貫していたが、有能な市長として評価は高かった。
 1987年にはU.S,Newsがサンダースをバーリングトンをもっとも住みやすい町にしたアメリカ最良の市長であるとしたという。ヴァーモントでは非常に強い支持をうけている。
 しかし、1989年の市長選には立候補せず、その年はハーバートで教えている。サンダースは政治学専攻の研究者としての側面ももち、妻のオメラも後にバーリングトンカレッジの学長となっている。

出典大摩邇(おおまに) : ●世界の百姓一揆 ”サンダース現象”は米国だけのテーマにあらず

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