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【あさが来た】3分でわかる井上秀の生涯【田村宜のモデル】

明治8年、お金持ちの家に生まれる。京都府立第一高女に進学。広岡浅子が手塩に掛けて育て上げた。長女を出産後、日本女子大学校へ入学。禅を学んで悟りを開いた?日本女子大学の第4代校長となる。「アンのゆりかご」にも登場する。広岡浅子の最期を看取った。明治~昭和を生きて88歳で死去。井上秀子。のぶちゃん。

更新日: 2016年05月05日

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curatorさん

「あさが来た」田村宜(のぶちゃん)のモデル










*ドラマのネタバレがあるかもしれません。

明治8年、お金持ちの家に生まれる

1875年(明治8年1月6日)に、兵庫県氷上郡にあった
春日町船越村の素封家(そほうけ)井上家に生まれました。
※ 素封家とは財産家。大金持ちと言う意味です

関西でも名高い京都府立第一高女に進学

在学中に今井まき子先生から 「女に学問はいらないというのは古い考え方です。 これからは女子も大いに勉強して国家に尽くす人にならなければいけません」 と言われ、 当時関西でも名高い京都府立第一高女に進学した。

広岡浅子が、手塩に掛けて育て上げた

井上秀は、浅子の娘・亀子と京都府立第一高女時代、同級生で親しかったこともあり、さらに勉学をしたいという秀を大阪の広岡家に住まわせて面倒をみたのが浅子であった。

長女を出産後、日本女子大学校へ入学

その後明治28年(1895年)に弟が亡くなってしまい、
秀は家業を継ぐために婿養子をとって結婚します。

20歳のとき。

長女出産後,日本女子大学校に入学。卒業後欧米に留学。

明治45年、長男陽一、大正2年、次女幽子を出産。

禅を学んで、悟りを開いた?

なお井上秀の「真面目すぎ」というのは、「『孟子』にある『浩然の気を養う』って、どないしたら養えるねん!!」といって天龍寺の管長に弟子入りし、暫く尼寺に住み込んで禅を学ぶくらいの真面目エピソードを指します。 #あさが来た #広岡浅子

井上家を継ぎ足立雅二と結婚。
その後、京都天龍寺に参禅、見性を得る。

日本女子大学の第4代校長となる

成瀬記念講堂内部(目白キャンパス)

明治43年母校の教授となり,昭和6年校長。
成瀬仁蔵とともに日本の家政学の確立につとめた。

「アンのゆりかご」にも登場する

井上秀さんは吉高由里子さん主演で話題となった「花子とアン」の原作「アンとゆりかご」にも登場し、村岡花子が「アメリカの婦人問題」の講義を受けた事とも言われております。

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