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阪神淡路大震災の被害が大きかった理由が悔しすぎる

「1.17」「神戸の地震」「阪神大震災」は、なぜ未曾有の大災害となったのか。避けられない自然の猛威か、人災か。真実はどこに?宮崎辰雄元神戸市長は神戸が地震に強い街と都市計画を進め、貝塚俊民元兵庫県知事は自衛隊への出動要請を行わなかった。悔やんでも悔やみきれない原因がありました。

更新日: 2017年06月12日

oriorinoutaさん

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▼なぜ、阪神・淡路大震災は大災害になったのか

死者 : 6,434名、行方不明者 : 3名、負傷者 : 43,792名の被害は、「自然災害」か「人災」か

阪神・淡路大震災は多くの建物が倒壊し、住宅が密集する長田区では大規模な火災が起きた。
亡くなった方の8割は、倒壊した建物の下敷きになったことが原因だった。
そして、倒壊した建物の多くは、現在の耐震規定を満たしていない既存不適格建物だった。

なぜ、自治体や市民は地震に備えていなかったのか・・・?

震災前、震度7の地震対策事業よりも、他の公共事業が優先されたのはなぜ?

燃え上がる黒煙。
交通機能は麻痺し、消防車は火災現場まで辿り着けなかった。
もし、辿り着けたとしても、水が確保出来ず、満足な、消火活動が出来なかったという。

神戸のランドマークであるオリエンタルホテル周辺も火災にみまわれた。
消防隊による消火活動は満足に行われず、火の勢いは増すばかりだった。

一体なぜ、被害が拡大し続けたのか。

▼神戸市民は地震に無防備だった

阪神地区、中でも「神戸は地震がないところだ」という認識が住民の方々にあった。

神戸には過去、震度6を超える地震が起きたとの記録がなく、安全神話が広がっていた。

神戸は、地震に弱い構造の建物が多かった

神戸は戦争中米軍の空爆で被災したため、戦後すぐに建てられた、普請のしっかりしていない建物が多かった。
また、豪奢な建物も、地震に対して脆弱な「木舞」や「葺き土」という建築技法を採用したものが多かった。
「神戸には地震がない」という妄信が、備えに目を向けさせなかった。

全壊した建物。
阪神淡路大震災では、多くの犠牲者が倒壊した建物の下敷きとなり亡くなった。

家屋が密集する地域では、火災の炎が次々と拡大していった。

火災による死者は、400人以上とも、500人以上とも言われている。

▼しかし、大災害は警告されていた

阪神大震災前から、地震学者は地震を警告していた。

72年には、大阪市立大と京大のチームが、「神戸と地震」と題した報告書をまとめ、神戸に都市直下地震が起こる恐れを指摘していた。

自衛隊は、被害を正確に予測し、関西地区の各自治体に協議を提案していた。

自衛隊は、京阪神地域で震度5~6の地震を想定して、被害状況を推定する調査書を作成していた。

それによると、特に神戸市などは木造家屋の密集している地域が多く、建物の倒壊と火災により兵庫県全体で被災者38万5千人と予測している。阪神大震災の被災者数は31万6千人であり、大災害は正確に予見されていたのである。

自衛隊はこの調査書をすぐに関西地区の各自治体に直接持ち込み、協議を提案したが、黙殺されている。

神戸新聞は一面トップで「神戸にも直下地震の恐れ」と警告していた。

神戸新聞は74年、80年に大きな紙面を割き、かなり力を入れて警告記事を書いていた。

74年の紙面には、危険区域の予想図も掲載されており、予想図は、実際に被災した地区と全く同じだったという。

出典ascii.jp

具体的な危険地区の予想図が発表されたにもかかわらず、予想図はやがて忘れ去られ、耐震化工事を行う者はほとんどいなかったという。

予想図の通り、危険度が高い地域では多くの建物が全壊、もしくは半壊した。
鉄筋コンクリートのビルも、例外ではなかった。

▼必死の訴えもむなしく、警告は無視された

地質学者の警告は無視され、「安全」という虚偽宣伝にもとづく都市計画が推進された。

たび重なる警告を、神戸市と兵庫県は無視し続けた・・・

なお、東日本大震災においても、地震学界が巨大地震が来るといい、福島原発の安全を審査する委員会でも869年の大震災の再来が考えられるという指摘があったにもかかわらず、政府も責任諸官庁も、福島県も東京電力もそれを無視していた。

黙殺されていた自衛隊の共同訓練の呼びかけ

多くの自治体は、毎年9月1日の防災の日に自衛隊との共同訓練を行い、日頃から密接な連携を築く努力をしている。

ところが兵庫県は、自衛隊が日頃から共同訓練や連絡調整を呼びかけても、「結構です」と拒否していた。

当時の神戸市長(故・宮崎辰雄)は「神戸は地震に強い街ですよ。地盤も花こう岩だし」と宣伝していた。

宮崎 元神戸市長は、「神戸は地震に強い街ですよ。地盤も花こう岩だし、いざとなったら山へも海へも逃げられる」とインタビューで語っていた。

当時の神戸市長 宮崎辰雄

神戸が地震に強い街、という誤った認識のもと、都市計画を進めた。

震災当時は、「迎えの車が来ないから」と自宅待機をしていたという。

座屈した神戸市役所

神戸市の庁舎が、神戸が地震に対する備えが無かったことを証明するという皮肉な結果になってしまった。

神戸市役所のすぐ北にあるサンキタ通りも、壊滅的な被害を受けた

▼兵庫県や神戸市が警告を無視したのはなぜか

「震度6を超える可能性もある」という警告は、「震度6に対応できる費用が無いから」という理由で捻じ曲げられた

震度6と想定すれば、水道管の耐震化だけでも3千億円超(後の神戸空港建設費に相当する額)が必要となる。

結局、神戸大助教授だった室崎益輝(67)の「5と6の間を取りましょう。段階的に上げることを検討すればいい」という提案により、想定震度は「5の強」という曖昧なものにすり替えられた。

水道管の耐震化工事よりも、神戸空港建設費に予算が使われた

当時、水道管の大半は継ぎ手部分が弱く、震度6に対応できる耐震管は70年代に登場したばかりだった。

神戸市の場合は、3千キロメートルを超える総入れ替えが必要であり、3千億円超、後の神戸空港建設費に相当する額が必要だった。

極寒の中、水を求めて並ぶ人たち

断水は長期間続いた。被災者は、食器を洗うことも、トイレの水を流すことも出来ず相当な苦労を強いられた。
警告を真摯に受け止めていれば防げた事態かもしれない。

▼悔んでも悔やみきれない

神戸市の元職員
「納得できる備えをしたかったが、組織の判断もあってできなかった」

この元職員は震災直後、重度のうつ病に陥り、話すことも歩くこともできなくなった。

多くの命が犠牲になるのを目の当たりにし、自責の念に駆られたのだと、死の1カ月後、玄関先で妻が語った。
「夫は納得できる備えをしたかったが、組織の判断もあってできなかったんです」

「想定震度は6」という見解は、「予算を知らない者が勝手なことを言うな」とねじ伏せられた。

震災前、神戸海洋気象台の委員が「想定震度は6にした方がいい」と主張した。

これに対し、水道局計画課主幹だった碓井昭彦(72)は「予算を知らない者が勝手なことを言うな」と声を荒らげた。

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oriorinoutaさん

神戸生まれ神戸育ち、今年から静岡に単身赴任中。
普段は子供たち、たまにご老人相手に、日本史の先生やってます。

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