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また仕事を辞めて無職に 40代中年「鬱と人生と仕事」

既にメンタルを病んでからずいぶん経ちました。目標は状況をどうこうしたいと言うよりは、家族を笑顔にすることです。日々の色々なことを綴っています。

更新日: 2019年03月20日

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この記事は私がまとめました

hi_omiyaさん

理由ははっきりしませんが、恐らく前の仕事の激務により、双極性障害(躁鬱病)になり、それ以来仕事が長続きません。その後30社もの会社を転々と・・・
ブログ http://blog.livedoor.jp/hi_omiya/

鬱になってしまった理由は色々ありますが、病院に行くその前から「壊れていた」可能性は高いです。私は、以前10年以上勤務していた広告代理店で会社の中枢を担い、日々業務に取り組んでいました。
営業部の長として数字や管理に追われ、家に帰れない日もたびたびありました。ある月のタイムカードが1日あたりの業務時間で平均19時間という、訳の分からない数字を見たときはさすがに苦笑しましたが。

鬱なんて「弱い者」がなるもの

鬱病なんて「弱い者」が掛かる病気と思っていましたが、私の健康は知らず知らずのうちに蝕まれていました。
社長との軋轢、顧客・部下との関係、営業数字、物理的な激務。慢性的な頭痛が私を襲いました。

私は当然内科的な理由を疑い、病院で様々検査を受けました。しかしMRIでもCTであっても検査結果は全て異常なし。

もしかしたら精神科に行くべきなのでは?という発想も頭をよぎりましたが、自分は「正常である」というある種の確信めいたものがあったのと、差別めいた意味で「それだけは嫌だ」と言う思いが強く、その時に精神科に行くことはありませんでした。

爆発

その日は来ました。

私の身体は限界に達しつつありました。

もう、無理だ・・・

そして随分前からいつでも辞められるように「辞める準備」をしていた私は、意を決し、残務処理や引継ぎ資料を作成し、密かに会社の机に入れておきました。合わせて痕跡などなかったかのように片付けました。立つ鳥跡を濁さず。そのようにあっさり会社を辞めました。
永遠に続くと思っていた、会社のキャリアはあっけなく終わりを告げました。

そして、自由と誇りとを引き換えに、内心誇りに感じていた役職も高給も共に終焉したのです。

絶望。そして農業へ

私はその時に色々なものを失いました。

2週間くらい何も出来ずに、ただふさぎ込み、ダラダラと過ごしました。しかしそれでも病院には行きませんでした。

今こうなっているのは、あくまで怠惰な自分のせいであり、誰かのせいだと思っていたからです。

私は大自然に憧れていました。都会に疲れていました。仕事をしているときには、いつかやりたいと思い、農業系の本や雑誌を集めて読んでいました。

一次産業で身体と精神を回復させたかったのです。望んでいたからか、私は知り合いのつてで農業をすることができました。

程なく、お手伝いという形で農作業を始めました。日々光は照りつけ、身体からは汗が噴出し、休みに飲む飲み物はただただおいしかった。悪くなかったです。

しかしそれも結局お金と生活の面から数ヶ月で帰宅することになりました。結局計画性がなく、長期の旅行と大して変わらないレベルのお遊びでした。

以前いた会社に復帰、そして鬱発症

田舎に知り合いもおらず、田舎暮らしも性に合わなかった私は地元に帰りました。その後紆余曲折を経て、結局以前いた会社に頼り頼られる形で戻りました。

復帰を喜んでくれた上司は私に幹部の地位を用意してくれました。

時間も経っていて社内には知らない社員も多く、それでも「まあなんとかなるだろう」と高をくくっていましたが、全ての社員が歓迎してくれていたわけでは決してありませんでした。

突然こいつが上司だから言うことを聞くように、と言われても困惑する人がいるのは当然だと思います。

それでも戻った会社で、以前はしていなかった慣れない仕事も一生懸命頑張りましたが、あまりにもキツいトラブルや、厳しい社内の人間関係、やはり露呈してきた上司との関係などが重なり
、数年で身体が動かなくなってしまいました。

そして、とうとう会社に行くことすらできなくなってしまったのです。不眠もあり、睡眠薬目当てで通い始めたメンタルクリニックで鬱と診断され、どこかホッとして休職したら、ここから数年間会社に行けなくなってしまいました。

私はこの数年間をどのように過ごしていたのかあまり記憶にないのです。

退職し、再就職

仕事が続かない……

結局退職することになりました。私はいい歳してとうとう無職となりました。

とりあえずハローワークに行って給付金をもらう手続きをしようとしましたが、私は元役員だったので対象外と言われてしまいました。

それでも、いつまでも嫁には頼れないとの思いから、塾業界に再就職に成功しました。しかし、そこもわずか数ヶ月で退職してしまいました。

私は人との軋轢に異常に弱くなっており、業務ができなくなっていたのです。

再々就職、再々々就職、再々再々就職するも

その後負担が少ない方が良いと思い、派遣で事務をやりましたが、これも甘くなく、辛くなってしまい2週間で退職。

そして再度懲りずに塾に就職するも、ちょっとトラブルが出ると、やはり行けなくなり3ヶ月足らずで退職。近所でドライバーのバイトをするもこれも2週間で離職、と全く仕事が続かなくなってしまいました。

その後も入退社を繰り返して、今(2018年現在)に至っています。

今後

今少しでも前向きになるためにはどうすればいいか考えています。

※今は相当悩んだ末に、やはり教育業界で生きていくという決意を固め、そちらに行くことにしました。病気は手ごわいですが、上手に付き合っていこうと思います。しかし……

※※現在はそこも辞めました。

現在

2018年12月現在、私は結局無職です。

ドライバーの仕事のあとは、事務仕事を半年間(障害をオープンにしています)→事務を2週間(オープン)→事務を3ヶ月間(オープン)→ドライバー1日(一般)→塾1日(一般)→無職→ドライバーを1週間(一般)→無職→デバッグ(バイト)→無職、というフローで今に至ります。
落ちるところまで落ちた感ありです。

何をすればいいのか備忘録がてら記してみます。

1、日本語教師に挑戦

まず日本語教師を目指してみました。
何も思いつかなかったからあげてみた感がありありですが、中年がリセットして進む方向としては悪くない印象。

420時間の授業を満了すればそのこと自体が資格になることもあり、資格のない中年男としては面白いかなと。

結果

日本語講師は一度学校に大金を払って通うことで資格を得ることを決意しましたが、ネットの評判などをみて勝手に色々と想像してしまい、お金の工面も難しかったこともあり、結局辞めて職業訓練にいくことにしました。

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