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【ボスニア内戦】サラエヴォ包囲、スレブレニツァの虐殺などでラドヴァン・カラジッチに判決

3月24日、NATOによる「コソボ空爆」(1999年)開始記念日に、「人道に反する罪」や「ジェノサイド(集団殺害)罪」に問われていたラドヴァン・カラジッチ(スルプスカ共和国元大統領)に対しICTYで判決が出ました。焦点のジェノサイド罪は、フォチャなどでは無罪、スレブレニツァは有罪です。

更新日: 2016年03月25日

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nofrillsさん

カラジッチが法廷に立つオランダのハーグには、元「捕虜/非収容者」たちが横断幕を持ってやってきた。

Former prisoners arrive in The Hague on eve of verdict in war crimes trial of Bosnia Serb ex-leader Radovan Karadžić pic.twitter.com/6CenI1VqFQ

餓えさせられてガリガリになってた人たちか……。

こういう目にあわされていた人たち。

(第二次世界大戦じゃありませんよ。1995年、ヨーロッパの東の端、バルカン半島での出来事。)

Radovan Karadzic to be judged tomorrow. He orchestrated the murder of thousands of people in Bosnia during the 1990s.

April 2012: 11,541 empty chairs in Sarajevo, one each for all the siege's dead. it was the saddest sight. #Karadzic pic.twitter.com/aPLHlyWX0y

BBCボウエン記者。「2012年4月の撮影。サラエヴォに並べられた11,541脚の椅子。サラエヴォ包囲で亡くなった人1人につき1つ用意されている。実に悲しい光景だった」

"サラエヴォ包囲は、ボスニア・ヘルツェゴビナ国内に、セルビア人勢力によって一方的に設立された事実上の国家であるスルプスカ共和国と、ユーゴスラビア人民軍(VRS)によって、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都であるサラエヴォが包囲されたものであり、1992年4月5日から1996年2月29日まで続いた。"

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%B4%E3%82%A9%E5%8C%85%E5%9B%B2

"サラエヴォ包囲では、12,000人が死亡し、50,000人が負傷したものと推定されている。うち85%は市民であった。殺害と強制移住によって、戦時中である1995年の人口は334,663人にまで減ったとされ、これは紛争前の市民の数の64%に過ぎない"

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%B4%E3%82%A9%E5%8C%85%E5%9B%B2

セルビア人の軍勢に包囲されたサラエヴォの中に入ったAPF通信のジャーナリストの映像報告。

上に写真を入れたような「急ごしらえの墓地」もこのレポートには出てくる。

セルビアでは「コソボ空爆」の記念日で式典が行なわれる。

Today is the anniversary of the start of #Nato's 1999 air war on rump Yugoslavia (Serbia & Montenegro) over #Kosovo pic.twitter.com/2iT7HCS0lm

The bombing of military & civilian targets was launched to halt the Milošević regime's brutal crackdown on ethnic Albanian separatists

「NATOによる空爆は軍事標的のみならず、民間人の施設などをも標的として行なわれたが、そもそもの目的はミロシェヴィッチ政権によるアルバニア系分離主義勢力への、力任せの弾圧を阻止することだった」

"Humanitarian intervensionism".

Interior Minister @NesaStefanovic laid a wreath honouring 167 security personnel killed saying Serbia mustn't forget pic.twitter.com/yXINXnpUnL

NATO空爆で落命した167人の当局者のために花をささげる内務大臣。「セルビアは忘れてはならない」

ハーグ(カラジッチの裁判)とベオグラード(NATOによる空爆の記念日)が重なり合う。

Reminder: the Karadžić trial judgement will be broadcast live today at 14:00 CET: is.gd/QQacFd pic.twitter.com/m14bm6p3kf

ICTY (旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷)のフィード。「今日の14時から、カラジッチの判決審を中継します」

For some time in political circles in Belgrade the information is that #Karadzic will be sentenced for life and on all accounts of genocide.

「ベオグラードの政治系界隈では、カラジッチはジェノサイド罪に問われた件すべてで有罪となり、終身刑になるだろうといわれている」

Karadzic has been charged by UN Court with 11 counts of war crimes and genocide committed during the 1992-95 war. Life in prison if guilty.

「カラジッチは、1992年から95年の戦争の間におかされた戦争犯罪とジェノサイド罪11件で起訴されている。有罪となれば一生刑務所だ」

Among other charges, #Karadzic is accused of orchestrating the 1995 slaughter of 8,000 Bosniaks after Serb forces seized #Srebrenica.

「カラジッチの起訴されている罪の中でも注目すべきは、スレブレニツァをセルビア系勢力が押さえたあと、8000人のボシュニャク人を殺した1995年の虐殺を指揮したというもの」

Serb Radical Party billboards in #Bosnia call Radovan Karadžić & Vojislav Šešelj 'heroes' before war crimes verdicts pic.twitter.com/b7oism6vkC

「セルビアの急進党(ナショナリスト)がボスニアに出している看板。ラドヴァン・カラジッチとヴォイスラフ・シェシェリを『ヒーロー』と呼んでいる」

シェシェリもICTYに送られている。2014年に仮釈放。
https://en.wikipedia.org/wiki/Vojislav_%C5%A0e%C5%A1elj#ICTY_custody

Front pages of today's daily newspapers in #Serbia. #Brussels, 17th anniversary of #NATO bombing and #Karadzic. pic.twitter.com/pWhfm7kWgj

「セルビアの今日の新聞一面。ブリュッセル連続爆破テロ、NATO爆撃17周年、そしてカラジッチ」

Today's #Karadžić verdict won't change much for the present generations, but I will document a joint criminal enterprise for the next ones.

「今日のカラジッチの判決がどうであれ、今の世代にとってはあまり違いはなかろう。しかし、その次の世代のため、私はJCEを記録する」

※joint criminal enterprise (JCE) は専門用語。このあとにも出てきます。
https://en.wikipedia.org/wiki/Joint_criminal_enterprise

日本語での解説はこちらの論文(一橋大学・竹村仁美さん):
https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/14625/1/hogaku0060203930.pdf

▼ラドヴァン・カラジッチの出身地、モンテネグロのPetnjicaに取材に訪れているアナさん。

I came to a tiny village Petnjica #Montenegro -birthplace of #RadovanKaradzic 2 wait 4the verdict with his relatives pic.twitter.com/f8yrML1ThN

ジャーナリストの職歴を重ねているアナ・ボガヴァッチさんが、カラジッチの一族の人々と一緒に判決を待つために、Petnjicaを訪れている。

#Karadzic was born in #Petnjica, 110km from the #Montenegro Capital #Podgorica, on June 19, 1945 pic.twitter.com/Ct2g2voPJj

「Petnjicaはモンテネグロの首都Podgoricaから110キロ。ラドヴァン・カラジッチはここで1945年6月19日に生まれた」

Inthe #Petnjica centre -a monument 2the reformer of the Serbian language phonetic sys.Vuk,Radovan’s distant relative pic.twitter.com/bwdwyhodFD

ラドヴァン・カラジッチ被告

A known coward, Radovan #Karadzic was a fugitive from 1996 until July 2008 after having been indicted for war crimes by the ICTY.

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