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【長野】海津城が松代城へと呼称変更した訳とは【真田丸】

NHK大河ドラマ「真田丸」にて、松代藩初代藩主真田信之公(大泉洋)の弟役の真田信繁(堺雅人)がかけつける海津城。現在では松代城址と呼ばれています。長野市による整備により立派な太鼓門や石垣ができ、真田十万石まつりでは大名行列のスタート地点として松代町は賑わいます。武田信玄公が築城した海津城の雑学。

更新日: 2017年05月05日

craydollさん

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NHK大河ドラマ真田丸でも「海津城」が出てきますね。でも、現在の長野市の地図に「海津城」はありません。いったいいつのまに「松代城」になったのか?どっちが正しいのか気になりますね。

真田丸において、上杉景勝が真田家のために100名の兵を海津城に配備させます。上田城での対徳川戦(上田合戦)に備えて、松代城にも注目が集まります。

史実では、「海津城」は徳川幕府の名により1711年以降「松代城」となりました

海津城とは松代城のことか。 #真田丸

そうなのです。以前は海津城とありましたけれども、現在は地図上には「海津城」の文字はありません。Google Mapsでも 松代城跡 となっていますね

NHK大河ドラマ真田丸では、武田信玄時代の「海津城」と呼ばれます

武田信玄と上杉謙信が信濃の覇権を競った川中島合戦で、武田側の拠点として築城されたといわれています。千曲川の流れを外堀とする天然の要塞で、当時は「海津城(かいづじょう)」と呼ばれました。

出典http://www.sanadahoumotsukan.com/facilities/facility.php?n=7

創築時期の詳細は不明ですが永禄3年(1560年)頃までには完成していたようで当初は海津城と呼ばれていました。

出典http://ishigakiotoko.web.fc2.com/shiro/naganok/matsushiro/matsusiro.htm

海津城の名称は、山本勘助の甲州流築城法「甲斐図」に拠り、築城されたところからついたという説もある。

出典http://www.furin-kazan.jp/nagano/shiseki/entry/000609.php

そ、そうなのですか?説ってオモシロいっ

史実では1711年以降は「松代城」ですが、現代でもずっと馴染みある「海津城」と呼ばれていました

江戸時代、真田氏が松代藩主となると、松代城を中心に真田10万石の城下町が発展しました。明治の廃城にともない建物が壊されたため、長い間石垣を残すのみでした

出典http://www.sanadahoumotsukan.com/facilities/facility.php?n=7

明治4年(1871)廃藩置県令で、松代城は翌年廃城となり、本丸・二の丸・三の丸の楼門塀などが取り壊された。真田家の邸宅として取壊しの難を免れた花の丸御殿は、同6年(1873)、不審火により灰燼に帰した。城内の門には、城内入口の南大御門、本丸には太鼓門・東不明門・西不明門・北不明門・土門と呼ばれた通用門などがあった。

出典http://www.furin-kazan.jp/nagano/shiseki/entry/000609.php

ちなみに、真田丸のオープニング映像の「出演」のトコロで、松代城の門が使われていますよ!

オープニング映像には長野市の戸隠「鏡池」「杉の参道」、須坂「米子大瀑布」が出てきますね

戸隠は猿飛佐助が修行した地、とも。鏡池のほかにも、戸隠神社奥社への杉の参道もオープニング映像に使われていますね。

米子大瀑布(女滝 不動滝、男滝 権現滝)のうえに、岩櫃城を合成した映像が真田丸で放送されています。といっても、岩櫃山と沼田上天守閣想像図を組み合わせて合成したものとのことです。つまり現地には滝しかない。

で、お城があると誤解した観光客からの問い合わせが、現地にたびたびあるそうです。下記記事参照。

滝の上に城なかった…須坂・米子大瀑布、問い合わせ相次ぐ

 須坂市の二つの滝が落ちる景勝地「米子大瀑布(よなこだいばくふ)」の上に城があると思い込んで訪れる観光客が相次いでいる。NHK大河ドラマ「真田丸」のオープニング映像で、滝の上に城があるように合成されたCG映像が使用されているためだ。市は、「NHKの番組スタッフが想像し制作した映像です」と書いた看板を登山道入り口に設置した。

 米子大瀑布は標高約1500メートルにあり、落差85メートルの不動滝と同75メートルの権現滝の総称。ドラマオープニングでは、米子大瀑布の上に、岩櫃(いわびつ)山(群馬県東吾妻町)と、CGで作成した沼田城(同県沼田市)の天守閣の映像を組み合わせ、城の下部から滝が流れるように表現している。

 NHKによると、映像は主人公の真田信繁(幸村)が自身の城を生涯持たなかったため、「信繁が理想の城を造ったという想像を働かせた」(広報部)という。

ずっと親しまれてきた「海津城」は、2004年の長野市環境整備終了後に突如「松代城」と変更になりました。

1995年頃始まった長野市による太鼓門、堀、石垣、土塁等復元整備工事は、復元・改修は2004年に終わり、一般公開されるようになりました。その際に「松代城」を名乗るようになったようです。

1981(昭和56)年、新御殿(真田邸)とともに国の史跡に指定されました。その後、長野市により環境整備工事が行われ、2004(平成16)年に櫓門・木橋・石垣・土塁・堀などが復元されました。
 桜の名所としても知られ、4月中旬頃、見頃を迎えます。

出典http://www.sanadahoumotsukan.com/facilities/facility.php?n=7

松代城は戦国時代に築城されて明治時代まで存続した城で、300年以上の間北信濃の歴史における拠点的な場所でした。廃城後は建物が壊されたために、城としての景観を大きく失っていましたが、長野市はこの貴重な文化遺産を後世に伝えるため、平成の大普請(環境整備工事)を行い、城跡を修理・復元しました。よみがえった城門や木橋、石垣、土塁、堀などは江戸時代終わりごろの姿に限りなく近い状態で再現されています。

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