1. まとめトップ

【回天】特攻の島 実在の人物まとめ

佐藤秀峰先生作、特攻の島の実在の人物についてまとめました。太平洋戦争の海の特攻「回天」について描かれた漫画です。なお、人物の階級は特進前の階級になっていますのでご了承ください。

更新日: 2019年08月23日

5 お気に入り 146065 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

tamamirutanさん

第二次世界大戦中の海の特攻、回天について描かれた作品。佐藤秀峰先生の作です。
作中には実在の人物も登場します。

特攻の島に出てくる実在の人物

作中では短髪の鋭い眼をした男性で、回天を発案、上司に使用を進言してます。作中の活躍についてはほぼ史実通りで、訓練中の事故で亡くなるまでに、冷静に自分や回天内の様子を記録する精神力には驚かされます。

1942年(昭和17年)7月15日に海軍潜水学校の普通科学生として採用され、同年12月に特殊潜航艇「甲標的」講習員(第6期)となる。ここで、同室となった仁科関夫中尉(海兵71期)と共に、「魚雷を人間が操縦し、敵艦への命中率を高くする」という、のちの「回天」の原型となる人間魚雷を発案した

黒木は仁科と共に、時には自身一人で嘆願するが、1943年(昭和18年)12月28日に永野修身軍令部総長から「それはいかん」と却下された。

史実通り、却下されている様子が描かれています。

黒木・仁科両者が苦心の末に兵器としての採用を認めさせた「回天」を使用し、本格的な訓練が開始された翌日は爽やかな秋晴れだったが、「回天」の同乗訓練から戻った仁科は、これから訓練を開始しようとしていた黒木に「湾外の波が高いから訓練は中止したほうが良い」と進言した。しかし黒木は忠告を聞かず、「これくらいの波で(回天が)使えないなら、実戦では役に立たない」と主張し、同日17時40分に、樋口孝大尉と共に訓練用回天に同乗した。

「回天」は蛇島へ向けて針路を取るが、浮上を試みた際に突然急激に傾斜して海底に着底、直ちに緊急停止を行った。その後、応急処置を試みるも艇内の酸素が失われ、翌日早朝に黒木・樋口両者は遺体となって発見された。黒木博司、享年22。23歳の誕生日を迎える4日前だった。

黒木と樋口は翌日発見されたが、約10時間艇内に閉じこめられたことによる酸欠で死亡していた。艇内に残された10時間の間に、「第六潜水艇」の佐久間勉艇長にならって泰然として報告書と遺書をしたためている

作中では肩につく長髪の鋭い眼をした上官です。主人公渡辺の死生観に最初に影響を与えた人物として描かれています。作中では40代くらいの達観した上司を思わせる仁科中尉ですが、亡くなった時の年齢はなんと21歳。活躍の史実からしても、昔の方は今の若者より、精神年齢がずっと大人だったようです。

仁科 関夫(にしな せきお、1923年(大正12年)4月10日 - 1944年(昭和19年)11月20日)は、日本の海軍軍人。海兵71期。太平洋戦争(大東亜戦争)の末期、人間魚雷「回天」を創案するとともに自らも出撃して戦死した。最終階級は海軍少佐。

仁科も創案者の一人として菊水隊員に選ばれ、黒木の遺志を継ぐために出撃直前まで熱心に「回天」の研究・改良に務めていた。同年11月8日に、仁科は菊水隊(母潜「伊-47」)として黒木の遺骨を持ってウルシー環礁へ向けて出発、同年11月20日午前3時50分に発進し、午前5時過ぎに黒木の遺骨を抱いたまま米油漕艦「ミシシネワ」へ特攻・戦死した。21歳没。

「特攻の島」では、主人公渡辺裕三に最初に影響を与えた上官として描かれています。仁科中尉は自分の生きる方向性ははっきりしていて、回天とともに死を覚悟していましたが、まだ迷いや疑問を抱いている渡辺に、「貴様は生きろ」と言い、出撃します。

二巻に登場する、伊53潜金剛隊の艦長。この方も実在の人物です。後の伊53潜多聞隊での艦長も、史実は大場佐一少佐ですが、作中では豊増清八少佐が務めています。

作中では厳しくやや非情な指揮官として初期は描かれていたものの、6巻では主人公渡辺に家族の安否を伝え、隊員はすべて私の息子、家族。子供を死なせたい親などいないと説きます。

回天隊水雷参謀兼指揮官として、発案者である黒木博司中尉、仁科関夫少尉と共に回天隊の立ち上げに当たる。その後終戦まで、回天隊指揮官として、訓練、出撃、整備など現場の管理統括を行った。この間、部下を死なせるなどの事故もありずっと自らも出撃を希望し続けていたが遂に叶わず、また、終戦時には自決を企図したが説得されて回天隊の戦後処理に当たった。

4巻で金剛隊の一号艇でした。史実でもコッソル水道で出撃されています。

同じく4巻で金剛隊の2号艇でした。史実でも伊東少尉とともに出撃されています。

1 2