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伊達政宗はいつから眼帯をしているか? 歴史と創作のあいだ、起源と由来

天然痘(疱瘡)で右目を失明した伊達政宗。リアルで眼帯をした形跡はありません。目玉の飛び出しと摘出話は没後数十年経ってから。眼帯を初めて装着したのは1942年の映画、眼帯なしが眼帯ありに入れ替わったのは1987年NHK大河ドラマ以降です。

更新日: 2016年12月14日

betelgeuse_さん

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だいたいの流れを動画で。1942年の映画放映まで、眼帯はありません。

歴史人物としての政宗 白濁した右目を小さく、左目は大きく見開く

右目を失明した原因は天然痘。何歳ごろかは分からない。
政宗によると病床で親が「家督は弟のほうに継がせるかも」という話をしていた。
遺骨の眼に傷はなく、眼球も発育していた。

失明は、両眼の失明者が多かった。16 世紀に日本に来たイエズス会のルイス・フロイスは、日本にはヨーロッパに比べて全盲者が多いことに注目している9)。後天的な失明者の大部分が天然痘によるものである。

このことは珍しい事例ではなく、天然痘による死亡、あばた、失明は当時の日常的な事件(もちろん極めて不幸な)であった。
天然痘に感染すれば、死ぬか、直って失明するかあばたを残すか、そして最も運の良い場合のみ、死も後遺症も免れたのである。
かつて人類は、皆そういう時代に生きていた。

瑞巌寺の伊達政宗公甲冑倚像
造られたのは死去してから

東福寺霊源院 所蔵の伊達政宗肖像

仙台市博物館所蔵の伊達政宗像

遺言に従い右目は黒目にされています

腹を手術する話に、目玉切り落とし話、目に矢が刺さる人の話が追加

(1)伊達政宗本人が語った昔話(木村宇右衛門覚書)で
・若いころ右脇腹がはれあがったことがある。
・手術をしたいが刃物は切腹扱いされそうでいやだ。
・片倉小十郎景綱に焼いた丸金を持ってきてもらい、お灸という名目で外科手術をした。

(2)亡くなってから数十年たつと、歴史書(性山公治家記録)で
・こんな言い伝えがある。
・政宗の失明した目がとびだしてきた。
・片倉景綱が小刀で政宗の目を突きつぶした。

(3)亡くなってから数十年たつと、逸話集(明良洪範)で
・政宗の右目玉がとびだした。
・片倉景綱は切り落とすことをすすめ、政宗が自分で切った。
・気が遠くなる政宗に、景綱は目に矢が刺さった昔の英雄の話をして励ました。

しだいに話が改変されていきます

江戸時代後期には
頼山陽が「多賀城瓦硯歌」で
政宗を中国の「独眼竜」後唐の太祖・李克用になぞらえて詠み、
政宗も「独眼竜」呼びされるようになります

大正時代ごろまで、創作でも眼帯はしていない

1942年映画「獨眼龍政宗」眼帯が初登場

政宗の目に矢が刺さり失明します(創作)。

傷が治るまで、
白い包帯で眼帯、
刀鍔風眼帯(当て布付き)、
布の眼帯 をします。

けがが治ったら外します。

ゆっくりと眼帯が増えていきます

@betelgeuse ちなみに「眼帯起源」ですが昭和31年発行の子供向け漫画では眼帯をしていない伊達政宗が描かれています。※写真の小林一夫氏の「独眼龍伊達政宗」は眼帯をつけていますがこれは表紙のみで本編は眼帯なしです。ご参考までに。 pic.twitter.com/6bHPtFYHH9

※1960年代に映画で、柳生十兵衛が眼帯をトレードマークにしたヒーローとなります

1987年のNHK大河ドラマ

同じ山岡荘八の原作。
小説版、
漫画版、
テレビドラマ版

ここから先、ゲームや漫画などで、黒い眼帯をした伊達政宗の時代になります。

また、「眼帯の下はオッドアイに違いない(2009年テレビ東京)」などの話も生まれてきます。

#真田丸 のガイドブック掲載の写真によると、長谷川朝晴氏演じる伊達政宗の右目を覆っている眼帯は、他のドラマや漫画等でありがちな「刀の鍔」ではなく、布のようです。小田原での白装束の時は白い布、それ以外のシーンでは黒い布の眼帯をしています。大坂の陣の時はどうなのかなぁ?

伊達政宗。眼を隠すかどうかは議論になりました。刀の鍔を眼帯にしたというのは、たぶん「独眼竜政宗」かそれに先立つ映像作品の創作です。同時代に近い史料をみると、眼を覆っていた様子がないので、何もなしという案もあったのですが、「誰だか分からない」という実に的確な意見でああなりあました。

NHK大河ドラマ「真田丸」で眼帯が使われた理由

この記事は下記のダイジェスト版です。詳細は以下で

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betelgeuse_さん