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キング・オブ・ロックの最強伝説とは!?氷室京介ラストライブ LAST GIGS ついに始まる!

2014年のソロ25周年記念ツアーでライブ活動の無期限休止を発表し、自身の耳の不調についても明かした氷室京介のラストライブとなる4大ドームツアー「KYOSUKE HIMURO LAST GIGS」が2016年4月23日の今日から始まる!そんな氷室京介の男気伝説とは?

更新日: 2016年05月27日

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5月23日に東京ドームで行われる「LAST GIGS」を最後に、氷室はライブ活動の無期限休止を宣言している。

BOOWYの「Dreamin’」で幕開けたラストギグは一気にヒートアップ。

「最後の夜だぜ」と氷室があおると、ギターの音をかき消すような大合唱が沸き起こった。

さまざまな伝説を残し、文字通りミュージックシーンのトップスターであり続けた伝説のミュージシャン・氷室京介。

抱えられるようにしてステージを後にした福岡公演。そうした姿もあって、ファンの間では東京公演を心配視する声も挙がっていた。しかし、いざふたを開けてみればその心配を忘れさせるほどの圧巻のパフォーマンス。

ツアーを最後に、ライブ活動を無期限休止することが決まっている。リベンジを誓った一昨年の横浜スタジアム。それ以来のライブは大阪、名古屋、福岡を巡って、いよいよ最後の地にたどり着いた。

コンサート楽曲は事前に、BOOWY、ソロ曲からまんべんなく選んでいるが、客の熱を感じた氷室が、「今日はこっちの曲の方が盛り上がる」と瞬間に判断し、最善の曲に変更するなど、最後の最後までこだわりを持ち舞台に立ち続けた。

3度のアンコールに応えたロックキングとファンの相思相愛の“ランデブー”。「今夜は死ぬまで終わんねぇぞ!」。氷室は、左耳に付けたイヤモニターを、何度も押さえながら歌う姿もあったが、5万5千人の思いをしっかりと受け止め、ラストはBOOWYの「B・BLUE」で締めくくった。

東京ドームでの公演は21日から3日間連続で行い、ソロアーティストとして史上最多の12回を記録した。

動員は16万5千人(1日当たり5万5千人)で、3日間のチケットを求めて40万通の応募があった。

3日間を通じ、ステージ裏などを活用した見切れ席6千席(1日2千席)を準備。ほぼ全方向からファンが最後のステージを見守った。

氷室京介ラストギグ 東京ドーム。

間違いなくカリスマだった事を証明するライブだった。


どう観てもドーム中に氷室京介が詰まってた。

ボウイからソロへ、今日まで変わらない氷室がそこにいた。

氷室さんは1曲1曲を今までよりも更に、更に、魂を込めて歌っていた

全身からそのオーラと凄まじい勢い、力が全身にみなぎった、まだまだずっと続けられるんじゃないかとそう思ってしまうほどに…

なぜ、氷室のラストライブでBOΦWY楽曲を組み込んだのか。

名古屋公演のMCでは「(BOΦWY楽曲を多く入れ込んだセットリストはこれまで)東京でしかやったことがなかったから、喜んでもらえると思って」と語っていたが、それとは別の真意がこの日の公演で薄らと見えてきた。

「バンド時代の『JUST A HERO』は、BOΦWYがブレイクする寸前だった。人間関係も最初の頃と変わってきて、メンバーも忙しい時期だった。

だから、その時に初めてギターやベース、打ち込みの機材を買って自分でデモを作った。それがあったから、こうしてソロが出来た。それがなければ今がない」

アンコールの最後には感極まり歌えなくなる場面もあったが、ファンが歌い支えた。

凄まじいグルーヴのなかで届けられるBOΦWY、そしてソロ楽曲を全て受け止め、35年の氷室の生き様をエネルギーに変えた。

自身初の完全ベスト『L’EPILOGUE』で問うた「氷室京介とは何か」。その答えが垣間見えた夜だった。

50代半ばでの引退は早すぎるとも思うが、文字どおりロックに歌に人生を捧げ、氷室京介であることを背負い続けてきたストイックな男が下した決断

初日の大阪では、ファイナルコンサートの幕開けならではのソロ、 そしてBOΦWY時代の楽曲を織り交ぜた豪華セットリストで3万6000人超の観客を魅了した。

ボウイ時代の氷室京介の伝説の言葉となったライブハウス武道館へようこそ!

から、30年後。

ライブハウスナゴヤドームにようこそ!(^_−)−☆

隣のイオンでもヒムロック!

ザラついた心をどうすればいい!

今日のナゴヤドームの革ジャン率と黒の服装率は日本一だろう!(^_−)−☆

セトリを大阪とは変えてきて、ラストのNO.NEWYORKは?

みたいな感じで、終わった後もファンはアンコールの握手を連呼していたが、氷室さんとボウイの曲を合唱できて、最高だった!

ANGELでアンコールのはずか、いきなりSUMMER GAMEとかヤバかった!(笑)

アンコールは2回!初めてあんな上からウェーブを見たけど綺麗だった。

ボウイ解散時は5歳。中1(既にVIRGIN BEATの後。VIRGIN BEATが流れた時もテンションアップ!スタンドマイクで歌ってくれ!みたいな。(笑))の時に先輩からボウイを聞かせれファンになり、過去に遡り氷室さんやボウイを調べまくり、聞きまくる!

伝説の始まり。あまりにも有名な「ライブハウス武道館へようこそ!」

BOΦWYの初日本武道館ワンマン(1986年7月)で氷室京介が「ライブハウス武道館へようこそ!」と言ったのはあまりにも有名。

このMCは後に伝説となり、多くのミュージシャンが敬意を込めてライヴで言うようになったが、語り継がれるようになったのはそれほどBOΦWYの存在が画期的だったからだ。

洋楽のバンドは売れても、日本のロックバンドはビジネスにならないと言われていた時代にその概念をひっくりかえし、アルバムがミリオンセラーになるという記録を打ち立てたのが彼らだった。

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自分たちはライヴバンドだからという信念に基づき、同年にリリースされたライヴアルバム『“GIGS”JUST A HERO TOUR 1986』も“ライヴアルバムは日本では売れない”という事実を覆し、限定10万枚は即日ソールドアウトとなった。

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「ライブハウス武道館へようこそ!」という言葉は氷室自身の「どんな大きい会場だって俺たちはライヴハウスに変えてしまうんだ!」という誇りから出た言葉だったのかもしれないし、彼の目に映った会場の景色をそのまま口にしたのかもしれない。

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