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アメリカ合衆国の歴代大統領一覧と主な功績まとめ

アメリカ合衆国の全44代43人の大統領を一覧にまとめました。簡単な在任中の功績などもつけています。功績については加筆修正中です。

更新日: 2017年07月27日

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holy777さん

アメリカ合衆国大統領

アメリカ合衆国大統領(アメリカがっしゅうこくだいとうりょう、英語: President of the United States of America, 略:"POTUS")は、アメリカ合衆国の国家元首であり行政府の長である。現職は2017年1月20日より第45代ドナルド・J・トランプが在任。

ジョージ・ワシントン(George Washington)

▼所属政党
無所属(実質的には連邦党)

▼在任期間
[1期目]1789年4月30日〜1793年3月4日
[2期目]1793年3月4日〜1797年3月4日

▼概要
植民地軍総司令官としてアメリカ独立戦争を戦い、イギリスからの独立を勝ち取った。その後、アメリカ合衆国憲法に基づく初の大統領として8年の任期を務め上げた。
アメリカの首都ワシントンDCは彼にちなみ命名された。また1ドル紙幣に肖像が描かれている。

ジョン・アダムズ(John Adams)

▼所属政党
連邦党

▼在任期間
1797年3月4日〜1801年3月4日

▼概要
アメリカ独立宣言やイギリスからの独立を明記したパリ条約締結の中心となった人物。アメリカ海軍の創始者であり、アメリカ初代副大統領でもある。
大統領就任後は党派間抗争に苦慮しながらも、内政・外交でアメリカの土台づくりに奔走した。外交での功績ではフランスとの擬似戦争危機を解決したことが大きい。

トーマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson)

▼所属政党
民主共和党

▼在任期間
[1期目]1801年3月4日〜1809年3月4日
[2期目]1805年3月4日〜1809年3月4日

▼概要
アメリカ独立宣言を起草した主要メンバーの1人。博学者として知られ、特に園芸学、政治、建築、考古学、古生物学に精通した。
大統領在任中にはフランスからルイジアナを1500万ドルで買収し、これは現在のアメリカ国土の20%に相当している。また軍備強化にも力を注いだ。
2ドル紙幣にデザインされ、歴代大統領の中でも高い人気を誇っている。

ジェームズ・マディソン(James Madison)

▼所属政党
民主共和党

▼在任期間
[1期目]1809年3月4日〜1813年3月4日
[2期目]1813年3月4日〜1817年3月4日

▼概要
合衆国憲法の最も重要な解説書である「ザ・フェデラリスト」を共同執筆した「アメリカ合衆国憲法の父」。
ワシントン大統領時代には下院で指導的役割を果たし、アメリカ合衆国議会第1会期において権利章典など多くの基本的な法律を起草した。
大統領時代には米英戦争を主導。この戦争でアメリカはイギリスからの経済的独立を果たしたとされる。戦後は軍備強化と財政安定のための第二合衆国銀行の公認に尽力した。

ジェームズ・モンロー(James Monroe)

▼所属政党
民主共和党

▼在任期間
[1期目]1817年3月4日〜1821年3月4日
[2期目]1821年3月4日〜1825年3月4日

▼概要
独立戦争従軍後、トーマス・ジェファーソンから法律を学ぶ。国務長官、陸軍長官時代には米英戦争を指揮し、その後大統領に選ばれた。
国内の政党間の協調に尽力し、「好感上の時代」と呼ばれる政党対立の無い時代を迎えた。外交ではヨーロッパ諸国とアメリカとの相互不干渉を唱える「モンロー主義」を提唱。以後、アメリカの重要な外交指針の1つとなった。

ジョン・クインシー・アダムズ(John Quincy Adams)

▼所属政党
民主共和党

▼在任期間
1825年3月4日〜1829年3月4日

▼概要
父は第2代大統領ジョン・アダムズ。
上下院を経験し、外交官として優れた手腕を発揮。モンロー主義の確立に尽力した。
与野党対立の無かった先代までとは打って変わり、アンドリュー・ジャクソン支持派から徹底的な議事妨害を受けた。

アンドリュー・ジャクソン(Andrew Jackson)

▼所属政党
民主党

▼在任期間
[1期目]1829年3月4日〜1833年3月4日
[2期目]1833年3月4日〜1837年3月4日

▼概要
民主党初にして貴族出身でない初の大統領。
米英戦争での活躍で人気を集め、大統領に就任。
強権的でしばしば強引なやり方で自身の政策を進めた。特に第二合衆国銀行廃止のために、違憲の疑いがある時に限られていた拒否権の発動を実施し、多方面から批判を浴びた。
正規の教育を受けておらず、しばしばスペルミスをした。一説にはO.K.は彼のが'all correct'を省力する際に誤ったのが語源とされる。

マーティン・ヴァン・ビューレン(Martin Van Buren)

▼所属政党
民主党

▼在任期間
1837年3月4日〜1841年3月4日

▼概要
歴代で唯一英語が第一言語で無かった大統領。
オランダ移民の家庭でオランダ語で育ったヴァン・ビューレンは弁護士業を務めた後、政界入り。1828年の大統領選でアンドリュー・ジャクソンを指示して国務長官の職を得る。その後副大統領を経て、1837年から大統領職に就く。
在任中は1837年恐慌の対応に追われたが、有効な対策を取れなかった。退任後も大統領選に出馬したが再選は叶わなかった。

ウィリアム・ヘンリー・ハリソン(William Henry Harrison)

▼所属政党
ホイッグ党

▼在任期間
1841年3月4日〜1841年4月4日

▼概要
米英戦争などで名を馳せた軍人。1841年に大統領就任。寒空の下で行った長時間の就任演説が原因で風邪・肺炎をこじらせ、就任僅か1ヶ月で死去した。
在任期間中に死去した初めての大統領であり、在任期間31日は今も最短である。

ジョン・タイラー(John Tyler)

▼所属政党
ホイッグ党(1841年9月13日に除名)
無所属

▼在任期間
1841年4月4日〜1845年3月4日

▼概要
ウィリアム・ハリソン政権の副大統領であったが、ハリソンが僅か1ヶ月で死去したため大統領に選任された。
所属していたホイッグ党の指示に従わず、党首と対立。大統領就任後2ヶ月後に党を除名される。その後もホイッグ党から激しい攻撃を受けるが、任期の4年を全うした。
在任中にテキサス共和国をアメリカに併合している。

ジェームズ・ノックス・ポーク(James Knox Polk)

▼所属政党
民主党

▼在任期間
1845年3月4日〜1849年3月4日

下院議員やテネシー州知事を務めた後に民主党の指名を受け大統領戦に出馬。ほぼ無名のダークホースであったが、接戦の末に選挙戦に勝利した。
英国とのオレゴン境界紛争解決やテキサス併合、米墨戦争を勝利に導くなど特に外交面で成果を残した。
当選時から在職は1期のみと宣言し、次期大統領選には出馬しなかった。在職中は精力的に職務にあたったが、この激務が遠因となり退任の3ヶ月後にコレラで死去した。

ザカリー・テイラー(Zachary Taylor)

▼所属政党
ホイッグ党

▼在任期間
1849年3月4日〜1850年7月9日

▼概要
「オールド・ラフ・アンド・レディ」(老暴れん坊)として知られた米墨戦争の英雄。本人にあまり政治的野心は無かったが、ホイッグ党の求めに応じて選挙に出馬、当選した。
ゴールドラッシュによる海外からの移民、人口急増対策に尽力した。
1850年7月4日の式典中、猛暑の中で果物と冷えた牛乳を大量に摂取したところ極度の消化不良を起こし、5日後に死去した。(実際はコレラが原因とも言われている。)
在任期間16ヶ月は歴代2位の短命政権であった。

ミラード・フィルモア(Millard Fillmore)

▼所属政党
ホイッグ党

▼在任期間
1850年7月9日〜1853年3月4日

▼概要
ザカリー・テイラーの死去によって当時副大統領だったフィルモアが大統領に昇格した。
当時は民主党が議会を席巻し、フィルモアの属するホイッグ党も内部分裂状態だったため、議会運営に苦慮し続けることとなる。
厳しい対インディアン政策によって領地を広げたものの、後年のインディアン戦争の火種を作った。
大陸横断鉄道建設を推進。
外交では日本にマシュー・ペリーを派遣、大統領書簡を届け開国に導いた。

フランクリン・ピアース(Franklin Pierce)

▼所属政党
民主党

▼在任期間
1853年3月4日〜1857年3月4日

▼概要
上下両院で議員を務めた後、大統領に当選。
奴隷制の是非に国内の意見が別れる中、西部での奴隷制議論を棚上げしたミズーリ妥協を実質破棄した。このカンザス・ネブラスカ法は南北分裂を顕在化させ、後の内戦の一因となった。またキューバ併合を提言したオステンドマニフェストが公開され欧州との関係も悪化した。
子供を早くに失うなど私生活は不遇で、退任後アルコール依存症が原因の肝硬変で死去した。
端正な外見で当時の人気は高かったが現在では最悪の大統領の一人にも数えられる。

ジェームズ・ブキャナン・ジュニア(James Buchanan, Jr.)

▼所属政党
民主党

▼在任期間
1857年3月4日〜1861年3月4日

▼概要
 元弁護士。下院、上院議員を経て民主内閣では大臣を歴任した後、大統領に選出。
 在任中は歴史上初と言われる世界恐慌の1857年恐慌や奴隷制問題による南北アメリカの関係悪化への対応に追われた。
 奴隷制に対して双方への妥協的・消極的な対応に終始し、結果的に南部諸州の合衆国離脱と南北戦争を招いてしまったことで歴代最悪の大統領と言われることも多い。
 歴代大統領で唯一未婚のまま生涯を終えた。

エイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln)

▼所属政党
共和党

▼在任期間
[1期目]1861年3月4日〜1865年3月4日
[2期目]1865年3月4日〜1865年4月15日

▼概要
歴代アメリカ大統領で最も尊敬を集める内の1人。
就任直後に南北戦争が勃発。奴隷制の是非を巡り国を二分する内戦で北軍の指揮を取り、勝利に導いた。戦中に行った「人民の人民による人民のための政治」という演説でも有名。
2期目就任直後にフォード劇場で南軍支持派の男に拳銃で暗殺された。
5ドル紙幣の肖像に使われており、またワシントンDCのリンカーン記念館は国内外多くの人に親しまれている。

アンドリュー・ジョンソン(Andrew Johnson)

▼所属政党
民主党

▼在任期間
1865年4月15日〜1869年3月4日

▼概要
南部諸州の独立に反対し、南北戦争時には南部テネシー州選出の議員ながらワシントンに留まった。これによりリンカーンに気に入られ、民主党員ながら副大統領となった。
リンカーン暗殺後は大統領を務め、南北戦争の戦後処理に尽力した。
奴隷制度に賛成の立場で、共和党が占める議会と対立、弾劾訴追で弾劾裁判にかけられたが1票の差で罷免は免れた。現在まで弾劾裁判にかけられたのは彼と第42代大統領ビル・クリントンのみである。

ユリシーズ・グラント(Ulysses S. Grant)

▼所属政党
民主党

▼在任期間
1873年3月4日〜1877年3月4日

▼概要
南軍のリー将軍と並んで最も有名と言われる南北戦争時の北軍総司令官。
大統領在任期間中は部下や親族の汚職疑惑に悩まされ続けた。またアメリカ先住民に関する問題に積極的だったが、保留地政策の失敗など後に遺恨を残す結果となった。
50ドル紙幣には彼の肖像がデザインされている。

ラザフォード・ヘイズ(Rutherford Birchard Hayes)

▼所属政党
共和党

▼在任期間
1877年3月4日〜1881年3月4日

▼概要
弁護士、法務官を経た後、南北戦争に北軍兵士として参戦。戦中何度も負傷を追うが、その功績から少将にまで昇進。その後、議員や州知事を務めた後、アメリカ史上最も議論を呼んだ選挙の結果大統領に就任した。
この選挙で共産党、民主党双方の取引で南部駐屯の占領軍を撤退させた。結果、南部で進んでいた黒人解放の流れは大きく後退した。
南北戦争後の南北和解や官庁改革に取り組んだ。

ジェームズ・ガーフィールド(James Abram Garfield)

▼所属政党
共和党

▼在任期間
1881年3月4日〜1881年9月19日

▼概要
南北戦争時は功績を認められ少将の位まで昇りつめた。1880年の大統領選では他の共和党有力候補が対立する中、妥協的に代表に選出された。
大統領就任後の4ヶ月後、大統領に一方的な恨みを抱いていたチャールズ・J・ギトーによって銃撃される。その2ヶ月後に不衛生な環境での治療行為が原因の感染症により死去した。
大統領に選出された唯一の現職下院議員。

チェスター・アラン・アーサー(Chester Alan Arthur)

▼所属政党
共和党

▼在任期間
1881年9月19日〜1885年3月4日

▼概要
弁護士を生業とした後、共和党員として政界入り。ガーフィールド大統領の元で副大統領職に就くが、彼が暗殺されると繰り上がりで大統領職に就くこととなった。
公務員の任用・昇進を試験などを用いた実力主義とする改革法「ペンドルトン法」制定に尽力したことで知られ、「行政の父」と呼ばれるなど後世の評価は高い。

スティーヴン・グロバー・クリーブランド(Stephen Grover Cleveland)

▼所属政党
民主党

▼在任期間
[1期目(22代目)]1885年3月4日〜1889年3月4日
[2期目(24代目)]1893年3月4日〜1897年3月4日

▼概要
歴代の大統領で唯一、大統領就任後に落選した後、次の大統領選で返り咲いた人物。実直な性格で知られ、様々な既得権益や腐敗にメスを入れた。

ベンジャミン・ハリソン(Benjamin Harrison)

▼所属政党
共和党

▼在任期間
1889年3月4日〜1893年3月4日

▼概要
第9代大統領ウィリアム・ハリソンの孫。
インディアナで政治家として活動し、南北戦争では北軍の陸軍准将として従軍。
マッキンリー関税法によって外国製品に高い関税をかけ、国内産業を保護する保護貿易の姿勢を採った。またシャーマン法による資本独占を禁ずる反トラスト法を推し進めた。

ウィリアム・マッキンリー(William McKinley)

▼所属政党
共和党

▼在任期間
[1期目]1897年3月4日〜1901年3月4日
[2期目]1901年3月4日〜1901年9月14日

▼概要
南北戦争従軍経験のある最後の大統領。
経済では1893年恐慌からの回復のため金本位制を導入。外交ではスペインとの米西戦争に勝利し、プエルトリコ、グアム、フィリピンを併合した。また1898年にはハワイ共和国を併合した。
2期目の始まった最中、無政府主義者の銃弾に倒れた。
北米大陸最高峰のマッキンリー山(制式名称デナリ)は彼の名に因んでいる。

“テディ”セオドア・ルーズベルト(Theodore "Teddy" Roosevelt)

▼所属政党
共和党

▼在任期間
[1期目]1901年9月14日〜1905年3月4日
[2期目]1905年3月4日〜1909年3月4日

▼概要
ニューヨーク下院議員や海軍次官を歴任。副大統領就任中にウィリアム・マッキンリー大統領が暗殺され、歴代最年少の42歳で大統領となった。
国内では独占禁止法の制定で、寡占が進んだ鉄道業界にメスを入れた。外交では日露戦争の停戦を仲介。その功績でアメリカ人として初のノーベル賞(平和賞)を受賞した。
今でも歴代大統領の中でトップクラスの人気を誇る人物である。

ウィリアム・ハワード・タフト(William Howard Taft)

▼所属政党
共和党

▼在任期間
1909年3月4日〜1913年3月4日

▼概要
裁判所判事など法律関係の職歴を積んだ後、セオドア・ルーズベルト内閣の陸軍長官を経て後継者に指名される。陸軍長官時代には日本と桂・タフト協定を結んでいる。
ドル外交とよばれる東アジア、中米へのドル資本投入政策に尽力。その他、国内史上の寡占化阻止や官公庁改革、憲法修正第16条の通過などを行った。
再選を逃した後、死去直前まで最高裁長官を勤め上げた。

トーマス・ウッドロウ・ウィルソン(Thomas Woodrow Wilson)

▼所属政党
民主党

▼在任期間
[1期目]1913年3月4日〜1917年3月4日
[2期目]1917年3月4日〜1921年3月4日

▼概要
(名誉学位を含まない)博士号を持つ唯一の大統領。
第一次大戦当初、戦争不介入を掲げて2期目当選を果たしたが、ドイツの無制限潜水艦作戦が開始によって世論が傾き、1917年に宣戦布告。これにより連合国の勝利が決定的となった。
戦争末期に「十四か条の平和原則」を発表。パリ講和会議、ヴェルサイユ条約の礎となる。
また国際連盟の創設に尽力し、この功績でノーベル平和賞を受賞した。

ウォレン・ガマリエル・ハーディング(Warren Gamaliel Harding)

▼所属政党
共和党

▼在任期間
1921年3月4日〜1923年8月2日

▼概要
オハイオ出身の上院議員。大統領選挙では相手候補に史上最大の差(60.36%対34.19%)で圧勝。
外交では米国の独自路線と戦後国際社会の軍縮に尽力。独、墺と単独講和し第一次世界大戦を制式に終結させた他、ワシントン軍縮会議を開催した。
内政では児童福祉政策や国内産業保護、失業対策に尽力。
任期中、閣僚や自身のスキャンダルが常につきまとった。
1923年、アラスカからの遊説の帰途に心臓破裂(または脳梗塞)で死去した。

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