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この記事は私がまとめました

演歌とは

説明不要。まぁこんなイメージ。

起源は自由民権運動の頃にさかのぼる

薩長藩閥政府による政治に対して、憲法の制定、議会の開設、地租の軽減、不平等条約改正の阻止、言論の自由や集会の自由の保障などの要求を掲げ、1890年(明治23年)の帝国議会開設頃まで続いた。

自由民権運動の際、言論に対して弾圧が厳しくなっていたため、言論という形から歌にのせて街頭演説していったことがのちの演歌につながったという。

この人のオッペケペー節も政府攻撃の演説を起源に持つ。

明治の頃、政府批判演説が盛んになったものの、
これへの取り締まりが強化され、いわば言論統制の風潮が強まったとか。

そこで苦肉の策として考え出したのが「演歌(演説歌)」。
政治批判のために、「歌ってヤっちまおう」って狙いです。

これは大変興味深い歴史です。


で、当時、政治批判として歌われ、大ヒットした演歌がいくつかあります。
「オッペケペー節」は元祖「演歌(演説歌)」といわれているようです。

1883年頃から、「自由童子」と名乗り、大阪を中心に政府攻撃の演説、新聞発行などの運動を行って度々検挙された。1885年に講談師の鑑札を取得。自由民権運動の弾圧が激しさを増した1887年(明治20年)には「改良演劇」と銘打ち、一座を率いて興行を行った。また、落語家の桂文之助(後の二代目曽呂利新左衛門)に入門、浮世亭◯◯(うきよてい まるまる)[2]と名乗った。やがて世情を風刺した『オッペケペー節』(三代目桂藤兵衛作)を寄席で歌い、1889年(明治22年)から1894・95年(明治27・28年)の日清戦争時に最高潮を迎えての大評判となる。

演歌のルーツは意外にも政治的な事柄でした。
今でいうロックみたいなものだったのでしょうか。

ちなみに

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