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歴史に残る 日本刀・名刀・妖刀 一覧

有名な日本刀・名刀を紹介します。日本人なら一度はドラマやゲームアニメなどで耳にしたことのあると思います。

更新日: 2016年05月03日

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ssszさん

正宗

「正宗」の名は日本刀の代名詞ともなっており、その作風は後世の刀工に多大な影響を与えた。

製作者 正宗

鎌倉時代末期から南北朝時代初期に相模国鎌倉で活動した刀工。五郎入道正宗、岡崎正宗、岡崎五郎入道とも称され、日本刀剣史上もっとも著名な刀工の一人(おもちゃの刀に「名刀正宗」と刻印されるほどである。

村正

村正妖刀伝説

村正は、徳川家に仇をなす「妖刀」として広く知られている。

徳川家康の祖父清康と父広忠は、共に家臣の謀反によって殺害されており、どちらの事件でも凶器は村正の作刀である。

家康の嫡男信康が謀反の疑いで死罪となった際、切腹に使った脇差も「千子村正」であったという

家康夫人である築山殿を小藪村で野中重政が殺害して斬った刀も村正、元和元年五月七日、真田幸村が大坂夏の陣で家康の本陣を急襲した時家康に投げつけたと云われる刀も村正という伝承がある。

製作者 村正

村正(むらまさ)は、伊勢国桑名(現在の三重県桑名市)で活躍した刀工の名。または、その作になる日本刀の名。同銘で数代あるとみられる。別称は「千子村正」

宗三左文字

三好政長から甲斐守護武田信虎に贈られた刀、その後、武田信虎から当時抗争を繰り広げていた駿河の今川氏の、今川義元に渡り、その後、桶狭間の戦いにおいて義元は討死し、義元をこの戦いで敗死させた尾張の織田信長が戦利品としてこの刀を接収した。

本能寺の変の後、豊臣秀吉、秀吉の死去後は、その子の豊臣秀頼に伝わり、さらに、江戸幕府を開府した征夷大将軍・徳川家康の手に渡った。

持ち主の変遷から「三好左文字」「義元左文字」と称されることもあり、「義元左文字」の名で重要文化財に指定されている

刀匠の名は不明

菊一文字則宗

沖田総司の愛刀として有名。

現存する則宗の刀の中に菊の銘を切ったものは確認されていない。

製作者 則宗

則宗(のりむね)は、福岡一文字派の祖で備前国の刀工であり、則宗が製作した一連の日本刀の総称でもある。則宗の流派は、福岡一文字、或は福岡一文字派をさらに分け、古一文字と分類する人もある。則宗は鎌倉時代に後鳥羽上皇の御番鍛冶の一人でもある。一般には菊一文字、菊一文字則宗の名で知られる

童子切安綱

刃長二尺六寸五分(約80.3cm)、反り鎺(はばき)元にて約一寸(3.03cm)、横手にて約六分半(1.97cm)、重ね(刀身の厚さ)二分(約0.6cm)。造り込みは鎬造(しのぎづくり)、庵棟(いおりむね)。腰反り高く小切先。地鉄は小板目が肌立ちごころとなり、地沸(じにえ)が厚くつき、地斑(じふ)まじり、地景しきりに入る。

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