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【軍事】第二次世界大戦時の各国主力戦艦まとめ

第二次大戦で戦った各国海軍の主力戦艦まとめ。第二次大戦は海の王者戦艦の最後の活躍の舞台でした。説明文は加筆修正中です。

更新日: 2016年07月03日

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holy777さん

戦艦(せんかん、battleship)とは、軍艦の艦種の一つで、海戦で砲撃戦に特化し決戦の主力を務めるよう設計された艦種を指す。攻撃力と防御力ともに最強を狙い、強大な艦砲射撃の火力と、敵艦からの艦砲射撃や雷撃に耐える堅牢な防御力を備える。第二次世界大戦までは、各国海軍の主力兵器であり国家戦略をも左右するとされ、「主力艦」とも呼ばれた。

国家の最重要兵器とされたのが戦艦であった。
そのため、第二次大戦では国家の技術を結集した最新鋭の戦艦が世界中で実戦に挑んだ。

しかし第二次世界大戦においては、航空母艦(および艦載機)が航空戦でその戦力の高さを示し、戦艦は運用機会や存在意義を減じ、主力の地位を譲った。

第二次大戦は究極まで進化した戦艦にとって歴史上最後の活躍の場となった。

日本海軍

一番艦進水:1912年5月18日
同型艦:金剛、比叡、榛名、霧島

 大戦に参加した日本軍戦艦で最古残の高速戦艦。
 1906年、英海軍が開発したドレッドノート級戦艦は既存の全ての戦艦を陳腐化するほど画期的で、各国で新型艦の建造競争が始まった。日本海軍も英国ヴィッカース社に新型戦艦建造を依頼。この艦を参考に全4艦を建造した。
 この金剛型戦艦は主砲に35.6cm連装砲4門、最高速度27.5kt(改装後30kt)を誇る当時世界最強の高速戦艦となった。
 太平洋戦争までに二度の改装を行い、最古残艦ながら使い勝手の良い艦として空母護衛や敵基地砲撃など、大戦中に最も多く活動した戦艦となった。

一番艦進水:1914年3月28日
同型艦:扶桑、山城

 日本初の純国産超弩級戦艦。
 金剛型に次いで日本では純国産の戦艦設計計画が進められた。初の純国産超弩級戦艦として様々な設計案が検討され、最終的に当時世界最大の基準排水量3万tに35.6cm連装砲6基を装備する大型艦となった。
 速力は21kt。操縦性は決して良くなく、海軍で最も操縦の難しい艦とされた。また多くの砲塔を積んだことや技術不足により、防御性能に難があった。2回の大改装で速度24.7ktに向上、防御力も改善が図られた。
 第二次大戦では2艦ともに1944年のレイテ沖海戦にて撃沈されている。

一番艦進水:1916年11月12日
同型艦:伊勢、日向

 空母不足を補うため航空戦艦に改装された戦艦。
 元々は扶桑型3,4番艦として計画されたが、着工の遅れや扶桑型に欠陥が見つかったことで新設計艦として完成した。
 扶桑型からの改良で速度は初期で23kt、最終的に25kt超となった。主砲は35.6mm連装砲6門。
 開戦後まもなく、ミッドウェーでの空母損失を補うため航空戦艦に改装。5,6番砲塔を撤去、艦上爆撃機「彗星」、後に水上爆撃機「瑞雲」を22機搭載可能とした。
 実戦では航空能力を使うことはほぼ無く、通常の戦艦、又は格納庫を使った輸送艦として使われた。2艦共に呉空襲で大破着底した。

一番艦進水:1919年11月9日
同型艦:長門、陸奥

 大戦中、最も国民に親しまれた戦艦。
 英国戦艦の設計図を元に大幅な手を加えた日本独自設計で作り上げた。主砲の16インチ連装砲を前後に2基ずつ搭載。当時世界最大の主砲は他国の装備にも影響を与えた。また最大速力26.5ktを発揮する高速戦艦でもあった。操縦性能に難のあった扶桑型の反省も盛り込み、日本海軍で最も操縦性の良い戦艦と評価された。
 当時世界最強の戦艦として国民にも広く知られていた。二番鑑陸奥は1943年爆発事故を起こして沈没。一番艦長門は終戦まで残り、米軍に接収された後にビキニ環礁核実験に実験艦として使われ沈没した。

一番艦進水:1940年8月8日
同型艦:大和、武蔵、信濃(空母に改装)、111号艦(建造中止)

 史上最大の排水量と主砲口径を誇る日本最後の巨大戦艦。
 数で勝る列強に対し質で勝ることを企図し、主砲に46cm砲を装備。速力27kt、基準排水量64,000tという現代に至るまで世界で最大の戦艦に仕上がった。
 戦時中は最高軍事機密とされたため知名度は低く、名が知れ渡ったのは戦後のことである。
 1942年から大和が連合艦隊旗艦となり、1943年からは武蔵が任を引き継いだ。
 レイテ沖海戦で撃沈された武蔵は沈没までに魚雷20本、爆弾17発を要したとされ、その強力な防御能力を物語っている。

アメリカ海軍

一番艦進水:1911年5月25日
同型艦:ワイオミング、アーカンソー

 開戦前に練習艦となりながら、真珠湾での戦艦喪失を埋めるために前線に戻った最古残艦。

一番艦進水:1912年10月30日
同型艦:ニューヨーク、テキサス

 第一次世界大戦にも参戦したアメリカ初の超弩級戦艦。

一番艦進水:1912年5月18日
同型艦:ネバダ、オクラホマ

 真珠湾攻撃で撃沈されながら戦線に復帰した戦艦。

一番艦進水:1915年3月16日
同型艦:ペンシルベニア、アリゾナ

 ネバダ級の拡大発展版。真珠湾攻撃で炎上する2番艦アリゾナの映像で有名。

一番艦進水:1917年 4月13日
同型艦:ニューメキシコ、ミシシッピ、アイダホ

 クリッパー型艦首を持つペンシルベニア級の改良型戦艦。

一番艦進水:1919年 4月30日
同型艦:テネシー、カリフォルニア

 コロラド級戦艦3隻と合わせてビッグ5と呼ばれた戦艦。

一番艦進水:1921年3月22日
同型艦:コロラド、メリーランド 、ウェストバージニア、ワシントン(建造中止)

 日本海軍の戦艦長門に対抗して40.6cm連装砲塔を装備した戦艦。

一番艦進水:1940年6月13日
同型艦:ノースカロライナ、ワシントン

 ロンドン海軍軍縮条約下で建造された16インチ砲搭載の戦艦。

一番艦進水:1941年6月7日
同型艦:サウスダコタ、インディアナ、マサチューセッツ、アラバマ

 火力、防御力、速度を高いレベルでまとめた優秀戦艦。

一番艦進水:1942年8月27日
同型艦:アイオワ、ニュージャージー、ミズーリ、ウィスコンシン、イリノイ(建造中止)、ケンタッキー(建造中止)

 最大速力33ノットを発揮する最新鋭戦艦。
 第二次ロンドン海軍軍縮条約から日本が脱退すると、米国ではこれに対抗する強力な戦艦の計画が開始された。
 16インチ50口径砲を9門装備。長砲身とレーダー管制による長距離射撃性能に優れた高速戦艦として完成。
 大戦中盤以降の多くの戦場で活躍。米空母打撃群の護衛として重宝された。また3番艦ミズーリでは日本の降伏調印式が行われた。
 戦後も朝鮮戦争やベトナム戦争、湾岸戦争に参戦。1992年に全艦が退役した。

イギリス海軍

一番艦進水:1911年10月9日
同型艦:キング・ジョージ五世、センチュリオン、エイジャックス、オーディシャス

 第一次大戦前に建造された戦艦。三番艦センチュリオンのみが標的艦、ダミーシップとして第二次大戦まで残り、最後はノルマンディー上陸作戦時に防波堤となるため自沈した。

一番艦進水:1913年10月16日
同型艦:クイーン・エリザベス、ウォースパイト、バーラム、ヴァリアント、マレーヤ

 第一次大戦に参加しながら、第二次大戦でも地中海を中心に奮闘した殊勝艦。

一番艦進水:1915年5月29日
同型艦:リヴェンジ、レゾリューション、ラミリーズ、ロイヤル・サブリン(ソ連にレンタルされアルハンゲリスクと改名)、ロイヤル・オーク

 旧式艦ながらドイツの通商破壊部隊から連合軍艦艇を守った戦艦。

一番艦進水:1916年3月4日
同型艦:レナウン、レパルス

 火力と速力を重視した巡洋戦艦。

一番艦進水:1918年8月22日
同型艦:フッド

 ドイツ戦艦ビスマルクに撃沈された巡洋戦艦。

一番艦進水:1925年9月3日
同型艦:ネルソン、ロドニー

 ワシントン条約に沿った排水量に収めるため、速力を切り捨て火力と防御力に絞った戦艦。全主砲が艦艇前部に装備されているのが特徴。

出典aqila.top

一番艦進水:1939年2月21日
同型艦:キング・ジョージ5世、プリンス・オブ・ウェールズ、デューク・オブ・ヨーク、アンソン、ハウ

 開戦時のイギリス軍最新鋭戦艦。

ドイツ海軍

一番艦進水:1904年11月19日
同型艦:ドイッチュラント、ハノーファー、ポンメルン、シュレジェン、シュレスヴィヒ・ホルシュタイン

 第一次対戦時には既に旧式となっていたが、第二次大戦にも参加した古参艦。

一番艦進水:1936年10月3日
同型艦:シャルンホルスト、グナイゼナウ

 ヴェルサイユ条約破棄後のドイツで初めて建造され、大西洋で最も活発に活動したドイツ戦艦。

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