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mototchenさん

実践においては言語化の弊害さえ生ずるとトゥアンは主張している すなわち,「意識した知識というものは,ある技能の習得をさまたげることすらある.」p109 トゥアン(Tuan),Y.:山本浩訳(1988) 空間の経験.筑摩書房:東京.

ダメットは,「車のドライバーやカヌーの漕ぎ手」に必要となる思想の媒体は「言語ではない」p187 ダメット(Dummett),M.:野村和幸他訳 (1998)分析哲学の起源-言語への転回 -.勁草書房:東京.

体育・スポーツ哲学研究
31-1(2009),75-85

これまでの記憶研究によれば、そもそも運動スキルは手続記憶とよばれる非言語的・非陳述的記億のひとつとされ、その遂行過程(記憶としての運動スキルの検索・想起・実行)は潜在的・無意識的に行われると考えられている。したがって、運動スキルは、わかって(頭で理解して)できる、というものではなく、本質的には、意識にのぼらず無意識的に遂行されるものといえよう

biefeedbackの実験事実からわかってきたことは,こうした意識しにくい「内的」な過程が実はある程度感じとしてつかめ〔知覚でき〕意識できるようになるということであり,しかも,それは,そうした過程をある程度制御できるようになった,その後で意識できるようになる、そして,それがまた次の動きに影響するのだが,「意識できるから制御できる「知覚した情報によって動きが生じる」という常識的考えが破綻したことは事実なのである

多くの被験者は脳波を随意的に制御できるようになる.これに伴い,被験者の中には「脳波感覚」と言われるような脳波の状態と対応した<感じ(こつ)>をつかむ者が出現する。常識的な予想では,〈感じ〉をつかんだので脳波が制御できるようになると考えがちだが,この予想は実験事実とは異なる.実験事実は,こうした〈感じ〉が脳波をある程度随意に制御できるようになった後に得られることを示している。つまり,意識化は制御の後に,制御できて,それが何らかの効果を持つようになって初めて生じると考えることができる

"Will" and Consciousness in the Stream of Movement, Action and Behavior : Toward an Environment Theory of Action

運動技能習得には3つの段階(「体得」-「出来る」-「知る」)があることが推察された.この3段階のうち,「体得」段階と「知る」段階は個人内のもので外に表出することはない.それに対して「出来る」段階は客観的な指標によって測れるものである

「体得」段階から「出来る」段階を経ずに「知る」段階に移行する場合や,先に「知る」段階から出発してしまった場合は,その運動技能に関して「出来る」 という感覚が形成されていないために,個人内(「体得」段階と「知る」段階)で混乱が生じてしまうことが推察できる.その結果,「出来る」段階へと移行することが妨げられてしまうことが推察できる

Chiesi,H.L.,Spoilich,G.J. and Voss,J.F.(1979) Acquisition of domain-related information in relation to high and low do

main knowledge. Journal of Verbal Leaning and Verbal Behavior. 18: 257-273

http://hdl.handle.net/10098/4980

「体得」,「出来る」,「知る」の3つの段階は,運動技能のみならず,一般的な知識等の理解にも敷衍可能であると考えられる.ヴィトゲンシュタイン(1968)は「理解はただ規則に従うこと」 と理解の概念を表現している.これは,1+1というような加法を学ぶ際に,数量の抽象性から入るのではなく,様々な足し算を真似するなかで,足し算の規則自体に従うようになるということである.つまり,懐疑するまえに模倣するということである(田中,2002).

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